独身女性がスパルタ婚活塾を読んでみた

 私が今よりも少しだけ、ほんの少しだけ、若かった時の話をしようと思う。
 何度か一緒に呑んだことがあり、恋愛相談にものってあげていた年上男性が酔っぱらった時にしつこく私にこう言った。

「ツナさんはさ、ババアのくせに年下好きとか言ってるからだめなんだよ。ババアだけどそこそこ綺麗なんだし、年上と付き合うべき」

 まとめるとこういう類のことをだらだらとずっと言われ続けた。
 ババアのくせにから始まり、ババアは夢も希望も抱いてはいけないのかと思わせられるようなことを永遠と言われ続けた。
  私よりもジジイの不細工に、だ。
 もし20代前半の私であれば顔面に水でもぶっかけて、思いつくだけの暴言を吐いていただろうし、10代の私であれば椅子で頭部を殴っていたかもしれない。
 大人数での呑みの席なので、私は出来るだけ空気を淀ませないように笑ってごまかしながら「それは無理」と何度も答えた。

 今でもはっきりと覚えている。
 彼に「さすがにあれは謝った方がいいですよ」と言っていたのも「ツナさんは綺麗ですから大丈夫ですよ」と慰めてくれたのも年下男性だったということを。

 どうして私がこんな想いをしなければならないのか? と、悲しくて悔しくて、普段泣かない私はその日一人で枕を濡らした。
 どう足掻いても止めることが出来ない、誰しも平等に与えられた年齢というものを重ねただけで、どうしてここまで言われなければいけないのかと。

 彼には「私の一つ上で似たような系統の年下(で、イケメン)が好きな女性に振られ続けた」という背景がある。
 相談にのっていたので、そのことは知っていたが、私にその姿を完全に投影させた八つ当たりだったことにはすぐ気づいた。
 彼にとってはその彼女と似たようなことを言う私が彼女と重なり、思い通りにいかなかった想いをぶつけていたのだろう。

 そんなどうでもいいことの為に、私の女性としての自尊心は深く傷つけられたのだ。

 その自尊心は自分を肯定してくれる男性からとにかく搾取した。失った自信は男性で取り戻し、今はなんとかフラットな状態で過ごせている。
 自尊心を失うと最初に笑顔を失う。笑顔を失えば、容姿が良いとか悪いとか以前に人として魅力的に映らなくなってしまう。

 そんなことを思い出さされたのが、作中に「欲望を解放せよ」と大きな文字で書かれたスパルタ婚活塾である。

 世間の男達から上記のようなことを言われ、バッシングを受けることがある上で、著者は逆を唱えている。
 スパルタ婚活塾では「妥協」を最大のタブーとし、「でも自分の年齢を考えると……」と自らの心に嘘をつくことを禁止しているのだ。

 自分の本音に嘘をつき始めた時、人の成長は止まる。

 まさにその通りだと思う。
 私達、アラサー以上の女性は自分の本音に嘘をつき、嘘を重ね、嘘で塗り固め、それがあたかも本心であるかのように仕上げていく。
 そしていつしか、それが本音とすり替わってしまうことだってある。

 そうしないと私達の心が壊れてしまうからだ。

 素直になれないのではなく、素直になることが怖いのだ。でも本当は素直になりたい気持ちもある。
 その葛藤の末に生み出された言葉が男性とっては「こじらせている」と感じ、気持ちが悪く、めんどくさいものなんだろうと思う。

 そもそもアラサー以上で未婚なのだ。もう既に心には風通しのいい穴が開いていて、何度も血反吐を吐くような想いをし、傷ついてきたような戦士ばかりである(もちろん例外もいるけれど)
 歴戦の長とも言える、数々の戦いの末に生き残ってしまった我々は、もう本当は戦いたくない。死にたくない。殺したくない。
 そんな気持ちでいっぱいで、何より自分の心をこれ以上傷つけたくない。そんな想いでいっぱいだったりする。

 著者はそんなボロボロの私達に「熟女よ、大志を抱け」と言うのだ。

 今までもいくつかの恋愛本や婚活本を読んできたが、ここまで細かくプロセスが書かれていて、尚且つ前向きな本は初めてだった。
 LOVE理論を読んだ時も思ったが、この著者の文章からはとても愛を感じる。それは成功者がその方法を伝授するというものではない。

 弱い者の立場にたって、一緒に考えて、救いを授けてくれる――というイメージだ。

 それはまた著書の「最後に」に綴られていたが、この著者がその弱い者の立場にいた人間だからなんだろうと思う。
 そして何度も挫折し、逃げ出したくなり、悔しくて泣いて、それでも諦めなかった先にあった光を、まだその光を見ぬ人へ見せようとしてくれている……そう感じさせられた。
 傷みなんてものは感じた人間にしかわからない。想像では到底及ばない感情だろうと思う。だからこそ、この著者は非モテへの愛を感じれば、こうしてボロ雑巾のようになっている私達への愛も感じるのだろうと思った。

 きっとこれから減ることのない年齢と共に、私達アラサー以上の女性への風当たりは強くなっていく一方だろう。
 そんな向かい風を前に立ち止まるのも、前に進むのも、結局は自分の足なのだ。だからこそ私は大志を抱こうと思う。
 自分の幸せは自分で決めるものであり、それは等しく、いくつにっても得られるはずだからだ。

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