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目に見えるすべてが優しさと

12月になると、「もう○日か」って毎日思うし、毎日カウントダウンしているような気がする。年末になると特に時間が早く流れるように感じるけど、当然、時間の流れはいつも一定で、1日は1日で違いはない。
人間は区切りがあるとそれまでの時間を短く感じるようになるのかもしれない。今年が終わってほしくないような、早く来年になってほしいような、そんな不思議な感覚が年末にはある。1年を振り返ってみたり、来年の抱負を考えたり。そういう機会は悪くない。いろいろあったけど、今年もたぶんいい年だった。

寒いのは大嫌いだから冬は好きになれない。寒いところとすぐに暗くなるところが冬が好きじゃない2大要因。
少ないけど冬の好きなところをあげるとすれば、空気が澄んでいる、というところ。出勤時、遠くに富士山が見えることがあるし、冬の夜空は1年でいちばんきれいだと思う。この前の双子座流星群、流れる星を震えながら待つ間に眺める星空はとても美しかった。色の違う星の瞬き、目が慣れてから徐々に見えてくる控えめな星の光、それぞれが悠久の時を経て今、自分の目に入っているのかと思うと、これはやはり奇跡のようなことなんだろうなと思う。夏の夜はカエルの声やら虫の声やらで賑やかで、それはそれで悪くないけど、音の聴こえない静かな冬の夜もいい。流れ星、流れるとびっくりしてしまって、願い事どころではなかったね。

教会通りにきれいな月 火花を散らす匂いとまぼろし
も少し僕が優しいことを言や傷つくこともなかった?
そんな風に心はシャッフル 張りつめてくるメロディーのハード・ビバップ
ただ一様の形を順々に映す鮮やかな色のプリズム
真夏の果実をもぎとるように 僕らは何度もキスをした
やがて種を吐き出すような 固い固い心のカタマリ
流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす

長い夜に部屋でひとり ピアノを叩き水をグッと飲んで
あん時誰か電話をかけてくりゃ涙だって流してた?
そんな風に心はシャッフル 張りつめてくるメロディーのハード・ビバップ
ただ激しい心をとらえる言葉をロックンロールの中に隠した
時は流れ傷は消えてゆく それがイライラともどかしく
忘れてた過ちが 大人になり口を開ける時
流れ星探すことにしよう もう子供じゃないならね

薫る風を切って公園を通る 汗をかき春の土を踏む
僕たちがいた場所は 遠い遠い光の彼方に
そうしていつか全ては優しさの中へ消えてゆくんだね

流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす
流れ星静かに消える場所 僕らは思いを凝らす
目に見える全てが優しさと はるかな君に伝えて

小沢健二「流れ星ビバップ」

この歌詞が昔から本当に大好き。いちばん歌詞が好きな曲かもしれない。すべてのフレーズが美しい。小沢健二の書く詞が大好きだったし、昔大好きだった曲は今も大好き。でも今の彼の曲を聴く気には何故かならない。変わったのは彼ではなく自分の方で、理由も特になくて、ただタイミングの問題だと思う。

クリスマスが近づき、いつまでも願い事が決まらない子どもたちにプレッシャーをかける時期になった。
サンタクロースなんかいない、というのは子供の言うことだ。サンタクロースは、いる。実体ではなく概念として確かに存在している。
小沢健二は、「神様を信じる強さを僕に」と歌った。神様なんていない、ということは容易い。神を信じ続けることは確かに強さだ。歳をとればとるほどそう思う。
プレゼントをもらうこともうれしいけど、贈り物をあげられること、そして、その喜ぶ顔をみられることが喜びであり、幸せだと感じる。
見返りを求めない好意が愛、と以前書いたし、今もそう思うけど、ある意味、それの喜びや幸せが見返りと言ってもよいのかもしれない。
誰かの喜ぶ顔をみて幸せを感じることができる資質はとてもかけがえのないものだし、そんな自分でよかった。

仕事と家の往復はあまり目新しいことがなくて、毎日毎晩、短歌を考えてはいるんだけど、なかなかテーマが思いつかないことが増えた。無理に作るようなものでもないんだけど。
あと、8時19分に投稿する関係で、どうしても推しのことを想う内容になってしまい、似たようなものばかりになってくる。それもあって、悩んだ挙げ句にボツにすることも増えた。

最初と最後のやつが好きかな。
読んで情景が浮かぶようなものにしたいと思っているけどとても難しい。
でもやっぱり考えるのは楽しい。

12月18日、大好きなユレルランドスケープのワンマンライブを観た。
今まで何度か書いているけど、ユレルラは去年の春に知ってすごく好きになって、ずっと毎日毎日繰り返し聴いていたし、当時の重苦しい先の見えない空気のなかで、何度も自分を助けてくれた、とても大切なグループ。
感染が落ち着いたらライブに行く、ということを心の支えにしていたんだけど、残念ながら、去年の8月15日に現体制終了となり、最後のワンマンも参加することができずに終わってしまった。今はもういないメンバーがいたユレルラのライブを観ることができなかったことは、この先もずっと心残りであり続けるのだろうと思う。
今年の4月に現体制として活動再開し、今回のワンマンにあたって、その心残りに対して、忘れ物をとりにいくような意味合いも自分の中にはあったので、始まる前に変な緊張感があった。でも、実際に観たら、そんな想いはすぐにどこかに行ってしまって、純粋にすごいライブに、ただただ圧倒されてしまった。大好きな曲たちが、あんなものすごい熱量で、むき出しの感情のまま歌われ、22曲やるとは思えないような全力のパフォーマンスを観せてもらい、何も考えられなくなった。シャングリラはあの瞬間、ただ音楽だけが満ちた純粋な空間だったと思う。永遠に溺れていたい幸せな時間はあっという間に終わってしまったように感じたけど、時計を見たら2時間経っていた。とても濃密な2時間だった。時間的に特典会には参加できず、熱にうかされたみたいにぼーっとしながら帰った。

その日の夜、夢の中でもユレルラのライブを観ていたんだけど、隣に推しがいて、並んでいっしょにライブを観ているという、そこだけものすごく自分に都合よく改変されていて、勝手な夢をみて申し訳ないと思いつつ、とてもうれしくて、幸せな気持ちで目覚めた。実際、推しは同じライブを(当然、場所は別だけど)観覧していたから、広い意味では「いっしょにライブを観た」というのはあながち間違いではない。と言っても過言ではない。かも知れない。たぶん…
そして、帰るとき、後方の関係者エリアと思われるところにいた推しの姿を、少しだけ見ることができて、表情もわからないくらい遠くからだったけど、とても幸せな気持ちになったので、それが合わさって夢の内容になったのだろうと思う。でも、もしかしたら、姿を見たことも含め夢だったのかもしれない。もしくは会いたすぎてイマジナリー推しメンが出てくるようになったのかも。そうだったらぜひ毎日出てきてほしい。
先月から、よく推しの夢を見ている。たいていは特典会の場面で、そして、だいたい自分は泣いていて、泣きながら愛と感謝を伝えている。前向きなことを言っていても、やっぱり心には大きな穴があいていて、これじゃよくないと思って水を入れて満たそうとするんだけど、入れても、その穴からどんどんこぼれてすぐに空っぽになってしまうような感覚がある。穴を塞ぎたくても、同じピースじゃないとぴったりとは嵌まらないし、でも、そのピースはないから穴は塞がらない。そして、別の何かでこの穴を塞ぎたいとも思っていない。何かで穴埋めをするくらいなら、このまま、空っぽなままでいい。

今ならわかるよ、「君だけが僕の音楽」なんだよ。


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