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《#村上春樹がドSな件(願望)❶》1973年のピンボール「配電盤の話をしよう」#23才秋

本物語を1973年の現在の僕の日々と

直子という女性と出会った1969年の日々の追想を、

直子がある田園都市に家族で越してきた1961年の解説を交えながら、

光と影の要素に勝手に分断し、語ってみる。語ってみちゃう。許してください^_^


例えば、1961年に直子が越してきた土地の

田園風景のまるで桃源郷のような

盛りの時期(光)とそうでない時期について。


そうでない時期とは、彼女の家を設計した最初の住人である年老いた洋画家は

おそらく孤独な生活の末、肺を壊して亡くなり、

さらに彼女の家の近所の井戸掘り職人は電車に轢かれ、

無惨な最期を迎えたことなど。(影)


また、直子と共に過ごした日々と彼女を失ったその後の僕の日々について。

1969年に彼女と出会い、次第に恋をした僕。(光)

だが、のちにその恋は悔しくも決して自然に訪れた類いのものではない、

唐突な「死」により、残酷な終わりを迎える。


そして、1973年までの何年かの間、

僕はいうまでもなく悲しみに打ちひしがれ、どん底状態の日々を送る。(影)


さらに、もうひとつ。それは直子の父親について。

名高い仏文学者として極めて安定した生活を送っていた時期(光)と、

堕天使や破戒僧などだいぶアンダーグラウンドな気配のある書物を

翻訳するだけのその後の極めて隠遁的な生活。(影)


だが、そうした要素はあくまでもこの小説の前提、書き出しの部分、

あらすじの頁であるようだ。


1973年の5月、正装をした僕は彼女の思い出にある種のピリオドを打とうと

決心し、彼女の語っていた駅に足を運ぶ。


主な目的はそう、「」だ。それは僕にとって彼女の存在を象徴づける、

とりわけ重要な記号的存在である。


そしてその一歩を機に、物語はわりかし明るい方向へ展開されていく。

決してはっきりとした輪郭のあるものではないが、

そのような予感を読者に与える。


両義性を有する記憶を背負いつつも、僕は(鼠も?)、

黒々とした穴ぐらのような心の奥深くの闇でささやかながら、もがき始める。

出口」を求めて。

「一九七三年九月、この小説はそこから始まる。それが、入口だ。…」


(本文P.25引用)

その程度はさまざまであるが、人生において絶望的状況は誰にでも訪れるもの。

そんな時、まるで四方八方を塞がれてしまったように思えても、

いずれは思いもよらぬところから

わずかながら光が差し込んでくるということなのか。



現実はそこまで事がスムーズに進むとも限らないし、

無責任に読者を勇気づけるのも時にはかなり罪深いものになりうる気がするが、

そうは言ってもそうした楽天さもフィクションの魅力(愛すべきずるさ^o^)だ。



それに、春樹の示唆する希望的観測(それは時に少々、楽天的に過ぎる)

のおかげで、ふと心を休ませる瞬間を幾度も頂戴してきた私としては、

傷つく人よりも前を向く勇気を与えられる読者の方が

割合として多いであろうことを信じたい。


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