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さよなら、ばくだんおにぎり

ぴったりとくっついたラップの端を指先ではがす。狭いキッチンに広げ、くいっと手首をスナップさせ切り離したら、まんべんなく塩を。

炊飯器をオープン。覗けば少し黄ばんだ昨夜の白米。プラスチックのしゃもじにどっしり重みを感じるぐらい乗せたらそのままラップへ。平らになるよう軽く広げ、端から両手で包み込む。薄いラップ越しの熱は乾燥した皮膚に刺すように伝わってくる。「あっつ、つ、つ」ソフトボー大のそれが声と同じリズムで右手と左手の間をはねる。徐々に凹凸が押し込められ、まあるい形。


社会に出て一年目、このばくだんおにぎりが私のおひるごはんだった。


当時、デパ地下で働いていたが、家から片道で二時間はかかった。開店は早朝閉店は深夜、終電始発の毎日。慣れない接客の仕事に疲れ果て、寝て起きて電車に運ばれるだけでせいいっぱい。ゆっくりと朝食を取ったり弁当を作ったりする余裕などなかった。

百貨店のバックヤードには従業員食堂があったが、数か月前まで大学生だった私にお金もない。460円の日替わり定食は大人のご馳走だった。


仕方ないので食堂の席だけを借りて、持参した米だけの巨大なおにぎりをちまちまと口に運んでいた。はじめこそ梅干しやツナ缶、豪華なときは冷凍食品のハンバーグを詰めていたが、それさえ面倒になっていった。

ごった返す大都会のデパートは田舎ものの私には刺激が強すぎた。そこでは誰もが忙しなく、もたつけば最後、ぺいっと弾き飛ばされてしまう。「若い女はあかん、店長に代われ」なんて理不尽も、「次の電車に乗りたいから五分で三箱包装して」という無謀な要望も日常茶飯事。眉間に刻まれる皺、ショーケースを叩く指先、かなぐるようにして授受されるクレジットカード、むき出しの感情や言い分に疲れ果てていた。

せめて食べるときぐらい何も感じたくない。

六時間前に握った白米だけのおにぎりは、温くも冷たくもなく、申し訳程度の弾力で、ほのかな甘みが疲れた脳をじわじわと麻痺させていく。具がない方が都合がよかった。


「私も昔、そうやって大きいおにぎりこしらえたわあ」

いつも通りぼんやりと食べていると、前に座った豆腐屋のおばちゃんが懐かしむように言った。私に喋りかけているとは思いもよらず、妙な間がしとんと落ちた。

「この仕事、大変やもんなあ。忙しいやろ?」

せかせかしたところのない、まったりと上品な共感だった。これまで呆れたように自炊を勧められるか、ダイエットと勘違いされるかのどちらかで、その度に”身を削って働くストイックな私”を主張してきた。だけどこうして受け止められてみると、そんな姿はどこにもない。食べることさえままならない不器用な人間が社会の波に揉まれていた。

「家が遠くて」

泣きそうになりながら答えると、それは大変やなあとおばちゃんは頷いて、弁当箱のそばに置いてあった小さなラップの包みを開いた。

「そやけど白米だけやと味気ないやろ」

深くくすんだ色のきゅうりの漬物だった。おばちゃんの弁当もそれほど大きくはない。申し訳なくて一度は首を横に振ったが、隣の漬物屋さんにもらったというので、それならと小さく頭を下げた。おばちゃんは箸の後ろ側を使って半分くらい自分の弁当箱に移すと、ラップごと私にくれた。

しわくちゃのきゅうりを一枚、指でつまんで口に放った。ぽりぽりとにぎやかな音が耳に届く。噛むほどに塩からくてじゅわっと唾液があふれてきた。白いご飯を頬張る。ぐっと飲みこめば喉を通っていく感覚。野菜の青い香りとほのかな酸味が鼻に抜けた。久しぶりに舌が、歯が、喉が、生きている感じがした。

ちゃんと食べよう。

残りを大切に味わいながら、言い聞かせるように何度も思った。栄養だけじゃない。味や食感、色、温度。食べるって五感を働かせる喜びを取り戻す時間なのだ。

熱い息を吐き、視線を上げる。おばちゃんはぽりぽりと小気味の良い音をさせて、もうそれ以上何も言わなかった。


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