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おでんににんじん、入ってますか?

「おでんの具をひとつずつ挙げてみましょう」

という今思えばゆとり教育の賜物のような授業があった。

道徳だったか総合的な学習だったか忘れたが、先生は『注文の多い料理店』を一行ずつ朗読させるみたいに廊下側から順に当てていく。


「大根!」
「たまご!」
「こんにゃく!」


意気揚々と答える生徒たち。カッカッとチョークが黒板を叩く音。教室のちょうど真ん中に座っていた私は脇にべっとりと汗をかいていた。


こんな合コンの鉄板ゲームみたいな授業が道徳心を養えるとも総合的な学習につながるとも思えないが、いかんせん私はまじめだった。最後に食卓に上がったときの記憶を必死で呼び起こす。


ちくわ、は出た。餅巾着、も出た。ウインナー、も出ちゃったか。誰かが発言するたび頭の中のおでんリストに線が引かれていく。目立つグループの男子が「ギュースジ!」と答えたら、クラス中が沸いた。ずん、とプレッシャーがのしかかる。「わかりません」「私も同じで」は許されない謎の緊張感。泣きそうになりながら想像の鍋をかき回し、具材をひとつずつ取り皿に移していく。出汁もよそってようやく底にへばりついた鮮やかな橙色に思い当たったとき、ほとんど埋蔵金を掘り当てたような高揚に満たされた。


にんじん!


舌の上に乗せるだけでじゅくじゅくと崩れ、甘い出汁が一緒になって溶け出していく。余韻が残るうちに掻き込む白いご飯がまたたまらない。


これだ!すぐさま黒板を確認。まだ出ていない。発表も2列目の後半に差し掛かり、さすがにみんな口ごもり始めた。そうそう、大根やたまごのような存在感はないし、すぐには思いつかないよね。先ほどまでの緊張は嘘のように優越感たっぷりに仲間を眺めた。念のために他の回答も用意しておこうと余裕ぶっていると、3つ前の席の男子が自信たっぷりに「にんじん」と答えた。


うわ、盗られた!思わず心の中で叫んだ。盗られるもなにもにんじんは誰のものでもないのだが、直前で突破口を奪われ膝からずるずると力が抜けていく。何か別の具材を思い出さねば。


だが、どうも雰囲気がおかしい。教室を包み込んでいた熱がすうと逃げていき、白けたような沈黙がゆらゆらと落ちてきた。え?なんで?


「うちん家、にんじん入ってなーい」


どこからかぽーんと声が上がる。ガンッとこん棒で頭を殴られたような衝撃に視界が眩む。「うちも入ってない」「変なのー」小学生特有の容赦ない感想が次々に飛び交う。男の子は居心地悪そうにぎゅっと肩を縮めた。


いやいや、うちもにんじん入ってるよ!国民的野菜だよ!スーパーで一番目につくところに置いてるよ!うさぎも食べるんだよ!


かばいたい気持ちは山々だったが、にんじん擁護派は一向に現れない。一緒に野次を浴びる勇気はなく、縋るように先生を見たら、眉がきれいなハの字になっていた。


「たしかに……にんじんは一般的ではないかもしれないですね」


なんとも歯切れの悪い空気が漂ったが、授業はそのまま進んだ。


そこからの記憶は全くない。もしかしたら私があのブーイングを受けていたかもしれないと震えたことは覚えている。山手線ゲームみたいな授業は気安く家庭料理を暴露してはいけないという教訓だけを胸に刻んでいった。


ともあれ私は、あの日初めて我が家の「具材」がちょっと変わっていることを知った。おでんのにんじんをはじめ、みそ汁にはきんぴらごぼうがどっさり入っているし、カレーからはスーパーのジャガバタコーンが出てくることもある。


前日の残りものや賞味期限の近い総菜を母はとりあえず鍋に放り込む。友達の家で出てくるレシピ本の表紙を飾りそうな料理と違って、だいたいが見境なくごちゃごちゃしている。私はそれがちょっと恥ずかしくて、お泊まり会を開いたのはたったの1回。晩ごはんは宅配にしてもらったような気がする。


あれから20年近く経って、私もようやく酒の肴程度の自炊はするようになった。仕事柄詳しくなった地元野菜を買ってきて、ネット上に溢れる『手抜きレシピ』や『100円飯』をせっせとこしらえる。

「ちょっとちょうだい」

匂いに誘われて、箸を片手に母がダイニングにやってくる。

「ええよ。茄子の煮びたし。レンチンやけど」

色素が抜け茶色くなった茄子を取り皿によそって、ぱくっと一口。


「うん、おいしいやん」
「やろ。でもなんか物足りひんねんなあ。砂糖って書いてあったん抜いたからかな」
「そうやな、でも砂糖ではないな」


確かめるようにもうひとつ。もぐもぐと口を動かす母を黙って見つめる。このままでもおいしいけど、醤油の塩辛さが目立っていてちょっと単調。2個、3個と食べていると飽きてくる。砂糖を入れればコクが出るかと思ったんだけど。


「みりん……いや、しょうがやな」


母がすっと箸をおいた。

「私やったらしょうがをちょっと入れるわ」

小腹は満たされたのか、答えだけを残して食器を流しへ持っていく。私はさっそく冷蔵庫へ。扉の裏からしょうがチューブを取って戻り、黄色いペーストを皿の端に押し出した。箸でちょっとだけつまんで茄子に乗せてみる。


「あ、やっぱしょうがやわ」
「やろ?」


得意げに母が笑う。しょうがの酸味が塩辛さ和らげ、茄子本来の甘みを引き出している。後味もさっぱりとして、これなら胃にずしんと来る感じもない。


てっきり手当たり次第に放り込んでいると思っていたが、おでんのにんじんもきんぴらみそ汁もきちんと味覚の計算式ではじき出された取り合わせだったのだ。


決しておしゃれじゃないけれど、食卓に並んだ料理をまずいと思ったことは27年間一度もない。最後のひとかけを大事に噛みしめると母の偉大さがしみた。


晩ごはんの献立、決まってます?
まだならおでんで決まりでしょ。薄めに切ったにんじんもお忘れなく。


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