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どうしようもない夜にやりたいこと100個ひねり出して、会社を辞めた話

たまには新年らしく目標でも立ててみようと、やりたいこと100個を書きつけたノートを3年ぶりに引っ張り出してきた。

深夜の勢いで作成したはいいが、リストアップしただけで満足してしまい、1回見返したきりずっと放置してきた。なにを書いたのかもうあまり覚えていない。若い頃の熱の残滓に触れれば、停滞する日常を変えるモチベーションを得られるかもしれない。わずかな期待を胸に表紙を開く。

・昼まで寝たい
・会社サボりたい
・予定のない3連休を取りたい
・上司に本音を全部ぶちまけたい
・逃げたい
・嫌な同僚と関わらずに過ごしたい
・会社辞めたい
・少し休みたい

新年の浮かれ気分が吹っ飛んだ。熱もモチベもあったもんじゃない。これはもはややりたいことリストというより、なにもしたくないの言い換え100である。この調子で

・雨の中なにもかまわず泣きたい
・自転車で坂道をくだりたい

と続く。「I love you」を「月がきれいですね」と訳した夏目漱石もびっくり。凡人のしがないネタ帳から「I don't want to do anything」に「雨の中なにもかまわず泣きたい」というロマンチックな翻訳が爆誕。

正気の沙汰とは思えないが、このリストを作ったのは2020年の春。ただでさえ落ちていた勤め先の業績は未曾有のウイルスにとどめを刺された。感染すれば待ち受けるのは情報公開。さらに顧客が遠のけば、再起不能に陥るのは明らか。だれが感染してもおかしくない状況で、絶対にかかってはいけないプレッシャーが職場に張り詰めていた。

上層部の機嫌が悪い日が増えた。もともと気に入られていなかった私は無視されるようになり、業務上、直接すべきやりとりも上司伝いに行われた。かと思えば不意に怒鳴りつけられる日もあって、その脈絡のなさに怯えた。

こんな情勢では、友人に会って愚痴ることも、気晴らしに出かけることもできない。辞めるにしたって、どの会社も感染対策で手一杯。雇ってくれる余裕があるのかすらわからない。足を踏み出す先がどこにもない。感情を押し殺してしのぐしかなかった。



せめて紙の上では自由でいようとペンを握ったが、限界寸前の脳ではなにひとつ未来を思い描けなかった。頭にあるのは、朝が来たらまた会社に行かねばならないということだけ。そうして出てきた1個目が「(憂鬱な朝をすっ飛ばして)昼まで寝ていたい」だった。理想も野望もない。どうすれば6時間後の自分が幸せでいられるか、ひたすら文字に起こしていった。


10個目を過ぎたあたりから、筆がのってきたのを覚えている。手を動かしながら、こわばっていた感情や欲望は少しずつほぐれていく。

・友達に会いたい
・いきつけの居酒屋で飲みたい
・カラオケオールしたい
・海が見たい
・一人旅がしたい
・しずるのライブに行きたい
・寝台列車に乗ってみたい
・占ってもらいたい
・プロにネイルしてもらいたい
・ミラコスタに泊まりたい
・デパートの鍵のかかったワインを飲んでみたい
・ジョエルロブションのディナーを食べてみたい
・派手な髪色に染めてみたい

コロナ禍で我慢していることを書き出しているうちに、行ってみたい場所、味わってみたい一品、仕事柄あきらめたおしゃれ……放置してきたささやかな憧れが顔を出し始める。

・Illustrator、Photo Shopを覚えたい
・もう一度英語とスペイン語を勉強したい
・積読本を消化したい
・カメラを勉強したい
・小説を完結させたい
・もっとnoteを更新したい

そのままの勢いで、後回しにしていたチャレンジやスキルアップも。ひとつ見つかると、籍を切ったようにあふれ出す。私の中にこんなにたくさんの興味の種が眠っている。私の知らない世界がまだこんなにもある。そのことがうれしくて、無我夢中でペンを走らせた。


60個を過ぎたあたりで、手が止まる。無限に思えた欲望は想定の手前で尽きてしまった。6時間先の現実逃避やひととき気持ちを満たしてくれる体験だけでは、100個には届かない。ここからは、なんのために生き、なにによろこびを感じるのか、愛と勇気に真の友を見出したアンパンマンのように自問自答する必要があるかもしれない。


ざっと見返してみると、これまで挙げたものはどれも時間やお金が確保でき、自分ひとりが努力すれば実現できる希望ばかりだ。大人になると、達成までの道筋を明確に提示できる目標ばかり要求される。飛行機も乗ったことがないのにパイロットになりたいとか、本当の性格も知らないのに芸能人と結婚したいとか、存在しないはずのサンタになりたいとか、子どもの頃は考えなしに夢や希望を語れたはずなのに。

私しか触れないノート。そこに書いた目標が達成できなくて、だれがとがめるというのだろう。

私はなぜデザインソフトを勉強したいのか、noteを充実させたいのか考えてみる。

・本を出版したい
・私の言葉でだれかの心を打ちたい

それに、有名になれば

・しずると仕事したい
・津村記久子さんと友だちになりたい
・朝井リョウさんと友だちになりたい

なんて夢も叶うかもしれない。自分の人生を自分で選んでいる実感がわけば、大切な人のピンチにも気づくゆとりもできるはずだ。

・友だちの支えになりたい
・お世話になったひとりひとりにありがとうを伝えたい

100個目を書き上げ、充足感に満ちた息を吐く。40分が経っていた。ダブっているのも、意味不明なのもある。だけどなんとか100個やりたいことを挙げられた。ちゃんと自分の中に前向きな衝動が生きている。頭の中ではある決心がついていた。明日よ来い、と思った。



翌日、私は人事部に産業医との面談を申し出た。以前は月に一度相談していたが、コロナ禍で来客NGとなり、緊急事態宣言が明けてもなし崩し的に中断されたままだった。外部の存在を意識したからか、圧力は少しだけ緩んだ気がした。

結局、面談の前に退職願を提出することになったが、その隙に退職に必要な気力と体力を養うことができた。

あの夜、私は興味の種の水やりをずいぶんサボっていたことを、知らない世界の存在を見て見ぬふりしてきたことを思い知った。

つぶされそうになりながら大事に抱いてきた100個の夢。抑え込んで過ごすのはもったいなくないか。

コロナが終息したところで、今の会社が安泰とは限らない。だったらとどまるも踏み出すも同じ暗中ではないか。


あれから3年。実現した項目に線を引いていくと34個クリアしていた。着実に前には進んでいるが、想像していたような達成感はない。あの頃とは環境が変わった。noteの公式マガジンにピックアップしてもらえることも増えたし、いくつかZINEの制作にも取り掛かっている。コロナは依然猛威をふるっているが、行動規制は緩和されつつある。ステップに合わせてアップデートしなければ。

リストの93個目。あの時は我ながらばかげた願いだと呆れたけれど、まさか実現するときが来るなんて。私は最後に力を込めて線を引く。

・もっとやりたいことを書きたい


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