私たちは言葉を操っているつもりで、言葉に操られて生きている
vol.43【ワタシノ子育てノセカイ】
誰かへの言葉掛けに悩むのは、自分の理想に近づけるためかも。
言葉でのコントロールは「気がついたらこんなことに」となりやすい。言葉は檻となって、小さな世界をつくり、檻の外を忘れさせるから。
心と心が繋がれるのは檻の外で、つまり、言葉の外となる。
語る文章より語らせている文脈で、人の心は、深く、強く、繋がってゆくんだろうな。
◇
ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。
◇
2023年夏。長男タロウとの時間が感慨ぶかい。
8月になっても週に1回は、タロウがお昼ご飯を食べにくるんだ。私が迎えにいくたびに、「今日のお昼ご飯なに?」とあいさつするタロウの言葉は、ありふれた親子の日常を一瞬で創造してしまう。
夏休みのランチ連絡は、いつもタロウからくるんだけれど、ちょっとした特徴が表れてきた。LINEの文章に必ず主語が入るようになったんだ。
「タロウが」って。
誰が私とお昼ご飯を食べるかを、タロウは明記するようになった。
◇
タロウとのふたりの時間を重ねる一方で、次男ジロウとの連絡は途絶えている。会えなくなって、もうじき3週間になるかな。
下校中に密会しているジロウとは、夏休みになると会えなくなるだろうと、私は織り込み済みだった。それでもタロウと会えるなら、ジロウとも会えそうな気がしてしまう。
だけどジロウは日常生活にて、無意識の思い込みが強くなってきているんだな。「母親とは、ふつうは会えない」って。だからこそ私は、母子の時間を1分でもつくりだせるように、頭をひねり続けているんだ。
私にとって、親子が会うことは、「会う」と意識するまでもなく、あたりまえのことだから。
◇
タロウとの夏のランチ会にて。私がジロウについて尋ねるたびに、タロウはバツの悪そうな雰囲気を醸しだす。
2021年に面会交流がなくなって、タロジロおのおのとの密会交流をつくりだしたころだったかな。タロウが母親と内緒で会っていることをジロウに伝えないように、タロウは私へクギを刺した。
クギを刺すタロウの文脈には、タロウが生きている社会の枠と、タロウの感情がにじみでていたんだ。2023年のバツの悪そうなタロウからは、クギを刺したタロウもなんだか見え隠れする。
クギを刺された実子誘拐から4年目の頃、私たち親子のあり方を、私はより丁寧に見つめはじめた。ひとりひとりと向き合って、ひとりひとりと人間関係をつむぎたいなって。
タロウとジロウは、ふたりとも私の息子だけれど、ふたりとも別々の人間なんだ。
◇
主語が「タロウ」のLINE文脈は、「ジロウは一緒に行きません」である。
タロウが私とランチしていることを、ジロウはどうやら知らないらしい。実子誘拐時に5歳だったジロウは、母親と過ごす小学生の夏休みはあたりまえじゃない。
同じことをくり返すほどに、世界の文脈は固まり、固めた時間は、もう戻らない。
だからこそ、テスト期間中のタロウのランチ会を羨んだジロウに、夏休み前の短縮授業がテスト期間と似ている旨を、私はジロウにほのめかしたんだ↓↓
母子でいつも会えないことは、誰かのあたりまえなだけで、ジロウのあたりまえじゃないはずだから。
ジロウの人生を創りあげてゆくのはジロウで、人生を豊かにするには「今」を疑える、しなやかで固まっていない心がきっと大切。
無意識の思い込みは、だいたい、人生の重荷となる。戻らない時間を嘆くより、今をしっかり見つめるんだ。
◇
私たち人間は、虚構の世界を生きている。
あらゆる枠から社会をつくりだし、小さな小さな枠の中で、私たちは日常を過ごしがちなんだ。
「枠」が価値観をつくり、価値観は「言葉」がつくりだす。言葉で説明される社会システムに、人は従い、枠の世界に秩序と規範をつくりだすんだ。
日本の礎となる枠は「親権制度」だと私は思う。親権制度は「親子のカタチ」の枠だから。親子が家族になって、家族が社会になって、親子から始まった社会が、日本となるんだ。
私たちの家族の枠は、今のままでいいんだろうか。単独親権制度の社会に、規範の世界はあるんだろうか。
戦後から80年近く変わらない私たちの家族の枠は、伝統でもなんでもなく、明治民法を礎にする。2023年の今も、なんで富国強兵で国を創るんだ?同一量産型の国民を、教育システムで生産し続けた結果、日本社会は、今、どうなった?
親と子が、ただ、親子であれる世界を、私は子どもたちに、贈りたい。
国の礎は、親子だから。
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中学生の授業はこれ読むだけでいいかも
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ワールドトリガーを月に2冊づつ、親子で集めだした春先。14歳タロウに私は、お母ちゃんの好きなところを尋ねた。
「話が合うとこかな。特に漫画の話!」
以降、単純な私は、過去イチ真剣に、漫画を読んでいる。
私たち親子は一緒に暮らしているとき、映画館へよく足を運んだ。映画が終われば、お茶か食事しながら、3人で映画の感想会。あーだこーだとお喋りする時間は、私にとっては至福の瞬間だったんだ。
あらゆる物語は、人生のメタファーで、文脈の読み方に、その人らしさが詰まっているから。
今、親子で映画を観にいく時間は、ない。だけど溢れんばかりのタロウの物語は、ワールドトリガーが私に教えてくれるんだ。
◇
2023年8月8日のランチ会にて。
漫画について熱弁していたタロウが、一息ついたところで、おもむろにシマホをいじりだす。友達からLINEでもきたのかな、と私はお茶にて一呼吸。
食い入るように画面に張り付いていたタロウが顔をあげ、エクボへこませて私に話しかける。
「お母ちゃんはな、文豪ストレイドックスが好きやと思うねん!」
我が子から文豪好きと思われているらしい私は、月下獣の作者が「中島敦」だとタロウから教わる。文豪好きの怪しさはさておき、物語の概要をまたしても、タロウは熱っぽく喋りはじめた。左手のスマホには、文豪ストレイドッグスの登場人物が、ずらり。
親より子どものほうがよっぽど、親子の時間をかみしめようと、一生懸命なんだな。
親という生き物は、なんて贅沢なんだろう。
ジロウは11歳の夏を、どんな枠で過ごしているのかな。誰かの物語を生きるのではなく、ジロウの物語を積みあげる日々を、どうか送れていますように。
▼高田夫妻の夫・あっちゃんの家族のお話▼
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