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おかん

突然ですが。。
(僕の中では、突然では無くいつか書こうと思ってたので突然ではないですが。。。まぁ、そんな事はどうでも良いんです。こんな事を書くから手短に話せないんでしょうね。)

何となく、急に僕のおかんの話をしようかと。。
(やっぱり突然やんかいさ)

僕のおかんは、子供の僕からしても、分かりにくい人。
あまり、感情を表に出さず、何を考えているのか分からない、不思議ちゃんタイプだった。
でも、温和で、おっとりしてて、柔らかくて、優しくて、いつも、僕を肯定し続けてくれた。


僕が悪い事をして、親父にボコボコに殴られる度に、僕の代わりに

「もう、やめたげて」と何度も謝ってくれた。守ってくれた。
(あっちゃんは尖ってたから謝りもしなかった。本当にごめんなさい。)


僕は、アホなんで、そうやって必死に謝ってくれた事、守ってくれた事をすぐ忘れて、三日後には同じことをしては、守ってくれての繰り返しだった。(今は違うよ!)

ずっとずっと見捨てないでいてくれた。
見返りを求めない愛をたくさんたくさん注いでくれていた。

19歳(18歳やったかも?)の頃、病室で親戚一同が見守る中、親父が亡くなった。
おかんは、人目をはばからず声を出して泣きじゃくっていた。
初めて見た、おかんの最大限の感情。
むちゃくちゃな親父やったけど、本当に愛してたんやなと思った。


親父が亡くなって間もなく、おかんは統合失調症を患うことになり、僕と2人で暮らす時期があった。

当時は、とにかく、被害妄想が酷く、兄妹や僕、周りの人が、病院や行政の相談窓口に行こうと言えば、

「あんた達は私を変人扱いして!」


幻覚、幻聴が聴こえて、独り言を言っていたと思えば

「あんたが私をこんな風にしたんや!」と
毎日、罵声を浴びせられ、僕がしてもいない事を責め続けた。

おかんは、次第に痩せて、お風呂にも入らず、歯も磨かず、家の事も出来なくなって、いつも、早起きして作ってくれていたご飯も作れなくなった。


ある日の事。
いつものごとく、罵声が飛んできた。

罵声を浴びる度に思っていた。

「本当に思って言ってるんじゃない、、」
「違う違う、、」
「本当のおかんはこんな人ちゃう!」
「病気のせいや!」

いけない、いけない、いけない、、


ついに僕のリミットが外れてしまった、、

おかんの胸元を掴んで

「何で俺がそんな事言われなあかんねん!!!!!」


やって、もうた。。。

「ごめん、ごめんな。。ごめんなさい。」
我にかえり、おかんに言った。

おかんは何も言わずに、僕の部屋を出て行った。

少しの時間、僕は部屋でボーッとしていると、おかんが戻ってきた。


自分の身の周りの事もロクに出来なかったおかんが、僕のために、作りたての温かいうどんを持ってきてくれたのだ。

「こんなお母さんでごめんなさい」

おかんは何も言わなかったけど、僕には、確かにそう聞こえた。

具も何もない、素うどん。

本人はなりたくてなったわけじゃない、統合失調症。

誰のせいでもない。

最愛の人を亡くし、いきなり、見えない何かに真っ暗な部屋に閉じ込められたような感覚だったんだろうと思う。

それでも、自分と戦いながら、わずかに残っていた"おかん"が作ってくれた素うどん。

優しいおかんの味がした。
涙と鼻水で少ししょっぱい味がした。 


今、思えば、あの頃の僕は、統合失調症のおかんを恥ずかしく思ったり、おかんを一人にするのは心配だと、友達に遊びに誘われる度、嘘を付いて断っていた。
そんなこんなをしてる内に、自分勝手にストレスを感じてただけな気がする。
友達に打ち明けると、ちゃんと理解してくれて協力もしてくれるようになって、大分、楽になれた。

一人で悩まないで。
(いやこんな公共広告機構のCMみたいな着地点のつもりじゃなかったはず)

えーと、、、
書こうと思ったきっかけは、

なんか、当たり前にそこにある幸せって何やろ?
慣れって怖いなぁ。。

とかって、考えてたら、フッと思い出したので書いてみました。

っで、書いてて思ったのは、やっぱり、子供って親に似るんやなぁ。
子育て大事やなぁ。
実は自分は感情表現下手くそなところあるんやなぁ。

とかって、自分を見直すきっかけになりました。


今は、皆さんのお陰で「おいぃー、素うどんかいっ!お揚げさんくらいは入れたって!」って、突っ込めるくらいに、おかんは良くなりました。

いや、ほんと、慣れって怖いっすねぇ。

あぁ、お腹が空いたなぁ。

"おかん"
元気でいてくれてありがとう。

御拝読ありがとうございました🙇‍♂️

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