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あたたかい思い出と満ちる身体とカラッポの世界

vol.87【ワタシノ子育てノセカイ

人生は自分のものだから、世界のサイズが自分のサイズとなる。

ここまでと思えばそこで世界は途絶え、あそこまでと思えばそこまで世界はつづく。世界の境界線を決めるのは、ほかの誰でもない自分自身。

世界は果てしなく広いんだ。だから、自分も、果てしなく、広い。

ところで私には「実子誘拐」で6年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

7月2日火曜日。私が「おかえり」とLINEする前に、長男タロウからメッセージがとどく珍事が起きる。

「明日お昼ごはん一緒に食べよ」

高1のタロウは期末テスト中らしい。テストなどで短縮授業の日は、私たち親子が一緒に食事できる日でもあり、中3のタロウが突如として始めたラッキーデイだ。

だけど5月の中間テストでは連絡がなく、平日に母子で会う時間は消えていたので、LINEさまに感謝する日々が続いていた。

この春に高校生になったばかりのタロウは、新生活に慣れるまでは何かと大変なはず。余裕ができれば連絡をくれるだろうと思いつつ、このままランチ会はなくなるのかもしれない、とちょっぴり愁いでいた矢先のLINEである。

とにかくタロウからのお誘いに私は下半期一の喜びをかみしめて、タロウが動くまでじっと見守れた自分を抱きしめた。

ランチ会当日となる。迎えに行くとタロウの手にはswitchの収納ケース。食後に桃鉄を一緒にしたいらしい。

「ご飯なに?」というタロウに「インド料理たべたいから外食どう?」と尋ね返すと「ええで。インド料理、久しぶりやな」とタロウは声を弾ませる。桃鉄とインド料理で、車中がなんだかワールドワイド。

異国情緒ただよったせいか、タロウは直近で訪れたインド料理屋さんの記憶を蘇らせ「行ったんは覚えてるけど、何食べたかは忘れてるわ」とはにかんだ。実子誘拐から1年少し経つ、面会交流してた2019年4月の出来事だ。

一緒に暮らしていたときも、年に1.2回はインド料理屋さんへなぜか足を運んでいて、タロウはラッシーという飲み物が大好きになった。食事中の甘い飲み物がカルチャーショックだったらしく、タロウの中で「インド料理=ラッシー」となる。

お店に到着して席につき、何食べようかとふたりでささやかに盛り上がる。種類の多さに圧倒されつつ、無事にカレーを選んだら「ドリンクはラッシーやな、お母ちゃん」とタロウがエクボ。

まだ食べていないどころか、オーダーもしていないのに、なんでだろう。もう、お腹がいっぱいだ。

5月ぶりの母子2人の時間は穏やかに流れていく。スパイスの香りとインドの音楽で、異国情緒は深まるばかり。タロウはマレーシアでの記憶も、ポロポロとよみがえらせた。私たち親子が一緒に暮らした最後の地が、なぜかマレーシアなんだ。

マレーシアのインド料理屋さんでは、ナンじゃなくてロティが多かったこと。辛い料理がたくさんすぎて、次男ジロウの口ぐせが「ノンスパイシー?」になったこと。屋台のピサンゴレンというバナナの揚げ物が甘くて最高だったこと。学校の食堂でおつりが返ってこなくて、気になるのに英語で聞けずにランチを食べきれなかったこと。同じコンドミニアムのパン屋のおじさんがいつも声をかけてくれて、お別れのときにはレインボーパンをくれたこと。

とめどなく記憶をたどるタロウの姿に、食は人生なんだと改めてかみしめた。

料理がきてもタロウの思い出はまだまだ掘り返される。中でも、短期留学先の「ドラマ」の授業についてが、私はとても印象に残った。マレーシアでの話はこれまでも親子でしてきたけど、初めて教えてもらう内容だったんだ。

日本ではなじみがないが、国によっては教育カリキュラムとして「ドラマ」という演劇の授業がある。そのドラマの授業におけるクラスメイトとの会話を、中学校で英語を勉強してふと思い出した、という思い出を高校生のタロウは思い出したみたいだ。

演劇の練習をするために、8歳のタロウはクラスメイトから英語を話せるか尋ねられたらしい。speakingとEnglishをなんとか拾えて、noを伝えたら、みんなしてジェスチャーでいろいろ教えてくれて、無事に死んじゃう配役を果たせた、という出来事があったそうだ。

そして日本の英語の授業でspeakingの文法的な意味を知って、ドラマの授業でのspeakingが府落ちしたという。併せて、非言語でのコミュニケーションの大切さも、なんとなく感じているっぽい。

時間を超えて、体験を経験に変えたタロウの話に、私はやっぱり、お腹がいっぱい。いや、胸な。てか死んじゃうってどんなドラマ?

今年に入ってから、海外へ行こう!という会話がちょくちょくでている。タロウはシンガポールのマリーナベイサンズとイギリスのビックベンを見てみたいといい、ジロウはアメリカでメジャーリーグを観戦したいという。

とはいえ2人とも長距離移動には難色を示すので、とりあえずサクっと行けそうな、マレー半島縦断を私はこっそりと企画していた。飛行機と鉄道とバスを使って、3ヵ国を陸路で国境越え。絶対オモロイ。

インド料理屋さんで、マレーシアの話に花を咲かせるタロウに持ちかけたら、絵に描いたように目をキラキラさせて興味を持ってくれた。縦断についてあれこれと疑問をわかせ、さらに溢れるように喋りだすタロウは、すでにマレー半島に飛び立っているようだった。

後日、ジロウにも企画を伝えると「行きたい!」とノリノリ。3人の意見が整う。

一方で、海外旅行の話をするたび、乗り越えねばならない壁に、タロジロは毎回ソワソワしていた。私こそ壁を見ないフリしたいけど、そうもいかないので向き合うことに。

7月7日、はばかる壁にお伝え決行。縦断旅行の概略から、子らがどうしたいか尋ねること、行くか否かの結果をタロウから私へ連絡すること、を依頼した。そしてすぐさま、伝えた旨をタロウにLINEした。

ほどなくしてタロウからのLINE通知音が鳴る。タロジロがどうしたいかではなく、父親がどうしたいかについてを、タロウは連絡してくれた。

文字が、震えて、泣いている。

実子誘拐による親子引き離しの前半戦を思い出す。お母ちゃんに会いたい、と号泣しながら断続的な交渉を3年ほどつづけたタロウ。なんで会えないのかという行き場のない想いを、くり返しくり返しタロウが耳にした言葉に乗せて、私にそっとぶつけていたんだ。

「会えへんのは、お母ちゃんのせいやで」と。

ランチ会でまとった7年前のマレーシアの思い出は、7年前からずっとあたたかいんだけど、ときどき、タロジロの体温をこれでもかと奪おうとする。

星に、願いを。



マレーシアのビックベン!?
スルタン・アブドゥル・サマド・ビル
(旧連邦事務局ビル)
イギリス植民地時代の代表的な建築
独立宣言+クアラルンプール発祥の地にて
実子誘拐5日前

親と子がただただ親子でいられますように

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