見出し画像

愛ある誰かの存在が、人生の苦境を愛にかえるから、人は誰かと生きてゆく

vol.37【ワタシノ子育てノセカイ

貴重なお時間をありがとうございます!

「痛み」は生きていくために感じる。痛みを感じたできごとから逃げられるように。

なのに人は我慢してやりすごす。私たちは耐えることが美徳の社会で生きているから。生き物として自然でない。

だから痛みを放置しつづけると、ドラッグに酔うか命がなくなるかして、人はいずれ消えてしまう。

心の痛みは、生命を抱きしめる、尊く愛おしいサインなんだ。

ところで私には「実子誘拐」で5年以上離れて暮らす、10代のふたりの息子がいる。

2023年くもり時々雨の夏至。

次男の誕生前日祭を、親子3人で過ごせた私の景色は晴天。母子で、4時間も、一緒に、いられた↓↓

実子誘拐による親子断絶があたりまえの社会で、あたりまえを疑いつづけて、あたりまえに反する行動をするのは、未熟な私にとってはまぁまぁ至難の業なんだ。

一方で5年以上、長男のタロウと次男のジロウは、母との親子関係を決してあきらめない。

勇気をしぼり大人に意見して、不条理に大人に否定され、釈然としないが受け止めて、否定された自分とひとり葛藤し、いや違うと静かに奮い立ってまた意見する。

伝える相手が「愛されたい人」だった場合、子どもの心の痛みはいかほどだろうか。自分の所属するコミュニティから、自分を否定されつづけた場合、どれほどの痛みを味わうのだろうか。

否定されても否定されても、母子関係を途絶えさせないタロジロは、私に誇りと希望を、ずっとずっと与えつづけてくれるんだ。

現代日本人の価値観は、単独親権制度という社会システムが創りだしている。家制度だ。特徴としては「婚姻と出産を紐づける」常識をもたらす。

だから日本では、婚姻制度を使っていないと、ひとり親だと勘違いしたり、婚姻制度を使っていると、子どもありきと勘違いしたりされる。

そして勘違いを常識と勘違いするので、差別が社会にはびこるんだ。まぁそもそも、常識とは偏見。

タロジロと私は、婚姻制度で親子になったわけではない。子らが私の腹に宿り、父母で産み育てたから親子になったんだ。

社会ぐるみで子から親を搾取する国で、子どもたちはどうやって心を育んでゆくんだろうか。

戦後から約80年間、制度の不備を理解して放置した日本では、もうしっかり結果がでてて、加速度的な少子高齢化へ。

家族が空洞化し、コミュニティが崩壊し、心がからっぽになるのが、単独親権制度の末路だろう。だからほら、離婚率も未婚率も上がり、家族を維持できないどころか家族をつくることすら、この国はできなくなっている。

世界的にみて子どもの自己肯定感は低く、2022年の小中学生の不登校数は約30万人、若年層の死因のトップは自殺でG7唯一。世界屈指の安全性と物質的に豊かな国で、どうして心だけが育ってゆかないのかな。

この国はなにをしているんだ?
私たちにはなにができるんだ?
子どもたちになにを贈れるんだ?

2023年6月21日、ジロウの誕生日会が終焉に近づいたころ。チョコレートより甘そうなほっぺで、ケーキを頬張るタロジロとの会話が弾む。

誕生日当日の22日は、父方の親族で食事に行くらしい。明日の誕生日会について、母子3人でアレコレ想像しながら、ふと私が相槌をいれる。「そういや誕生日とかのお祝い事、タロジロは6年前から2回もあるなぁ」。

するとタロウは、私に目配せしてはにかんだ。一方でジロウは鼻息荒く喋りだす。「ジロウのお家はみっつもあるから!お母ちゃんやろ、お父ちゃんやろ、あとじいちゃんとばあちゃんトコな」。

固まるタロウの頭に私は手を乗せ、「ふたつから増えとるやん!」と唸る。すると「まぁ病院の日とかは、ジロウはばぁちゃんちに帰るからなぁ」と事実確認するタロウはエクボ。

実子誘拐から6年近くすぎ、私には強くなる想いがある。

子どもたちはできるだけたくさんの大人に関わって、いろんな社会を知ればよいのだと。

世界の大きさは、あたりまえの大きさで、世界が大きいほど、あたりまえを疑えて、心の多様性も大きくなる。

単独親権制度の社会は、多様性の価値観を育みにくい。家族のカタチに画一性を強要して、社会を画一的にするシステムだから。違いをナチュラルに排除するんだ。

家を守るための家族のカタチにより、子どもたちは親を国から搾取される。そして国のシステムに侵された社会から、子どもたちは権利の侵害をほう助されるんだ。

この国は、子どもの尊厳を奪いながら、子ども真ん中と大声で謳う。

私はタロジロに、単独親権制度の社会から目をそらさないでほしいと願っている。何が起きているのか、なぜ起きるのか、だから自分はどうするのか。感じて、考えて、動ける、心身を育んでもらいたいんだ。

見たくない事実に蓋をくりかえすと、膨れ上がった醜さが未来を覆いつくし、醜さが美しさとなるカラッポの心ができあがる。

きたるべきときに子どもに打ち明ける、とか典型的な子どもの権利侵害やからな。子どもミクビルナヨ。

社会の問題は個人の問題にほかならない。社会問題の解決のはじまりは、個人が問題に気づくことなんだ。特に被害を受けている本人が、被害を理解することが大切だと私は思う。

じゃないと、何もなかったことになるから。

だけど人は弱い。だから害を加えるんだろうし、害を被っても声をあげられないし、そもそも害に気づけない。だからこそ周囲のあり方が問われるんだろうな。そして問われた解が、そのまま社会となってゆく。

日本は民主主義の国だから。主権者である国民のあり方が、国のあり方でしかない。

親子が会えるのはあたりまえだと、タロウもジロウもわかっている。子が親から引き離されることが「虐待」だとも知っている。

親が子どもを育てなくても、そんなもんだとされる国では、虐待はなかったことになる。子の利益や子の福祉の根元は、命のはじまりである親を子が知ることで、親を排除することは命を排除することになる。とりあえず知っとかないと、生命のないカラッポの心になってしまう。

傷の痛みを、感じきって、残った傷跡を、優しさへ。タロジロなら、できるよ。

ふたつのお家をみっつにして、母を喜ばせたいジロウ10歳の最終日。弟がみっつにしたお家に注釈いれて、母を気遣いたいタロウ14歳の夏至。

ええ感じに、痛みが、成長に、なってるかな。

つまるところ、家は何個あってもええけど、母親はひとりだけやねん。もちろん父親も。

実親以上に実子以上に、深く尊い家族はつくれる。だけど親は減らせないし増やせないから、新しい親なんかもつくれません。古い親があるなら、要再検討。

まぁとにかく、私たち人間は、モノじゃなくて生き物だから。

親と子は親子。
ただ、自然に、親と子なんだ。



2018年6月9日私の父の命日
母子分断から半年目
せっせとじいちゃんの墓掃除して
神社の如くお願い事をするタロジロ

子どもの尊厳が守られる
あたたかい社会を未来に贈れますように

この記事が参加している募集

これからの家族のかたち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?