「私は要領が悪い」「あと発達“障害”って言い方やめたほうがいい」

8月上旬に制作課題の提出に追われた週からずっと私は「頑張ってる」。自分の適正睡眠時間(6時間)をギリギリ確保できてないくらいの、カツカツな感じで過ごしている。就寝前も起床後も見えなに何かに追われている。

毎日スキを意識して取り入れてはいるんだけれど(ex.甘いおやつ、YouTube…)、毎日すこしずつ疲労を翌日に持ち越してしまっていて、今週は「泣いて」と言われたら3秒で泣けるくらい気持ちがいっぱいいっぱいになってしまっている。

じゃあ何をそんなに頑張っているの、と聞かれると
就活、検定勉強、サークル、ダイエット、読書とバイト、友人との食事、他にやりたいこと(手紙を書く、オタクする等)…と言った具合で、ラインナップはごく普通の大学生である。

ああなんか、これを書いてるだけでも泣いてしまいそう。これは書ききろう。

結論から言うと、私は発達障害なのではないかという考えに至った。
ADHDやHSPの存在は2年前辺りから知っていた。
ADHD診断がメンヘラの中で流行った時期があったように思う。Twitterに住むメンヘラ女がこぞってADHD診断の結果をスクショして載せて落ち込んでいるようなツイートをしていた。それを見て反吐が出る気分だった。
わざわざ自分の状態にそれらしい名前をつけて落ち込む必要なんてないのに、って。

ここまで言っておいて、実はネット上のADHD診断をしたことがある。勿論、自分にその節があると思っていたからだ。「精神科医にお世話になった経験が1度ある」というコンプレックス故の不安から来るものだと思う。
結果の数値はそこそこに高かった気がするけど100%じゃないのをいいことに結果を受け止めようとはしなかった。「どうせネットのものだし信憑性は薄いだろう、それにこんなの大体の人が当てはめようと思ったら当てはまるでしょ」なんて思っていた気がする。


そんな過去がありながらも、なぜこのタイミングで発達障害の可能性を感じたのかというと、最近頑張り始めて気づいたことが2つあるから。

1つ目は明らかに人より感情の起伏が激しい。ついこの間、立川駅前のサイゼリヤで同期とワインを飲みながら駄弁っているだけなのに過呼吸になる程泣いた。理由は些細なことだった。(もちろんエピソードはこれだけじゃないが)

2つ目は明らかに人より要領が悪いということ。やってることは月並みなのに(上記参照)明らかに周りの人より疲弊している。そして疲弊による精神的ダメージが大きすぎる。私がいう「周り」は私から見えてる範囲の極一部の姿ではあるけれど、少なくとも私が深く付き合っている友人で私ほど段取りが悪く優先順位がつけれない人は知らない。
私が人生で唯一後悔している「大学受験失敗」も本当に一生懸命やっていたつもりだけど、思えば容量の悪さが露呈していた部分が幾つも思い出せる。

そしてこの「2つの気づき」のきっかけになったものは、私の最近の読書ブームだ。やっぱり本は沢山のことを私に教えてくれるんだなあとしみじみ再確認したりもした。
ブックカフェでなんとなく手にした最近流行りのストレスフリー本でたまたま目にした「HSPの4つの特徴」という項目、全て即答でYesと答えられるレベルで当てはまった。
もしかして私は相当容量が悪いのでは…?と疑い始め手にした本2冊のどちらにも冒頭部分に「発達障害」「ADHD」の文字が載っていた。

自分が思い当たる節がいくつもある上に、手にした本3冊中3冊に発達障害について書かれていたらもうこれは降参。白旗。負けを認めざるを得ない。


そう、「発達障害」は「負け」だと思っている自分がいる。

理由は簡単で、「障害者は弱者」という思考があるからだと思う。勿論「悪者」なんて思ったことは、小学生の頃から一回もない。ただ小学校にも中学校にも居た「障害者」はとても生きづらそうだった。意思疎通ができていなくて、大人の手をだいぶ借りて生きていた。そういう子たちを見て「障害者は弱い生き物だ」と思っている自分がいる。(とても乱暴な言い方をしている自負はあります、ごめんなさい)

そして、発達障害は、障害なのだ。
障害なのだ。

弱者。弱い生き物。

あーー、これ書いてるのつらいな。書ききるって決めたから書ききる。

発達障害は弱い生き物、社会で不利な生き物、人と劣ってる生き物。そういう見方をしていた。だから、認めたくなかった。元々自分に自信は無いから、余計に認めたくなかった。


でも、それは個性だって。そう言うひとが本やネットや友人に居る。つまり、1人じゃなくて複数人、そう言うひとが居る。

うん。そうかもね。って、
人に文章を無理やり押し付けるようになってから、文章を褒めてもらえることが多い。私の文章は長くても読みやすいとか、面白いとか。良い文章を書こうと意識しなくても、そう言ってもらえたことが何度かある。
私が文を書けるのは、私の感情が「深い」ところから来ているんじゃないかなあと思う。

私は時間をかけて、5年かけてもいい、10年後くらいには、今の自分と気持ちよく生きる方法を見つけていたいな。
とても大きな課題が、また一つ自分にできてしまった。就活とか学校とか、そう言う単位のものじゃない莫大なモノが私に課されたけど、
あんまり焦らずに、自分のことを丁寧に分解して、1つ1つ包んだり磨いたり、洗ったりしてあげようと思う。


かききったーーー、えらい。達成感!
今日も頑張ろうっと🌱




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