東京タワーと守護霊、世界一らしくない22歳の恋バナ
日記を、書きに来ました、トピックがとても多く。
吐き出します
○実は、東京タワーを真上から眺めると
○私の守護霊は明治初期50代おばあちゃん
○仕事の焦りと方向性
○怒涛の引っ越しとオフィス移転
○いつぶりかのモテ期
○やっぱり彼氏は欲しくない
○お休みの日は
ちょっと濃すぎるので何個かに分けます。
○東京タワーと宝箱
絶対にみんな乗った方がいい。思ったより安く、1人一万くらいで飛ぶんだよ!
今度、花火を横から見たいという話をした🚁
いろんなアクティビティを経験してきたけど、私的上位。
だって、街がおもちゃで宝箱なんだよ。
○守護霊以上わたし未満
守護霊とみんなは、ニコイチらしい。
だから、守護霊の性格が私の本来の性格だと。
守護霊を信じていると言うより、信じている人の紹介で、今回こんな機会をいただいた。
守護霊がメインではなく、守護霊を元にしたインナーセルフとの対話による自己開示というのだろうか、本来の自分を見つけてあげる作業がメイン。
先生(?)の説明は一切スピに寄っておらず、また、私も脱同一化をして「在るままの私」を無意識に発露しやすくなっていたので、教えがスルスル心に入ってくる。
私の守護霊は、
明治初期50代おばあちゃん、口数は少なくちゃっちゃと自分の仕事をやるタイプ。料理が好き。
守護霊からこんなメッセージがあったそうだ、
「本来の自分と真反対に行って苦しんでいる」
こんな髪色をしてる、派手な私が、落ち着いたおばあちゃんとニコイチなわけなかろう!そう思うかもしれんが、私はそれを言われてすぐに納得した。
例えば、母からの強い制圧の反動で「自由」に憧れてそれを表層的にコントロールできる『髪色を染める』と言う事実が大切だったりするけど、本当のところかなりお金がかかるのでしんどいなと思っていたりする。ただ、髪が明るい方自分の方が自由そうで好かれるかな、なんて思ってたりを
他に、自分のキャパを無視して予定を詰めることがある。これも、表層的にわかりやすい『充実』が優先になってる故であり、本当は何もない日が一番ワクワクする。カフェに行くより生活する方がよっぽど好きだ。結構この問題は重大で、予定詰めすぎしんどい問題に悩まされてから4年以上だ。ただ予定を入れないだけ。が、できないのだ。不安になるからね。
あとは、最近脱同一化してから無理に喋ることが随分減って楽になった。以前なら姿勢を伸ばして前のめりでニコニコ質問を投げかけているシーンも、いまでは話している人がいれば聞いている方が心地よかったりする。
こんな類の話がいくらでも出てくる私だから、守護霊からの「反対に行って苦しんでる」は十二分に理解できた。
ここら辺で既に泣きすぎて死んでいる。
効率や見かけだけの自由、なによりも人から見放されないことに命をかけていた。
ここで出てくるのが、20歳以前の人の切り癖や、恋愛文脈での好意を受け取れないことだ。「見放されるのが怖い」と「好意を受け取らない」この2つは一見矛盾しているように見えるが実は繋がりがあることはすぐ理解できた。
切られる前に切る
離れられる前に逃げる
これだけの話だった。見放されるという点を作らないために見放すのだ。
noと言えない、言ってしまったら最後、その人は自分の欲求を満たせない私に価値を感じず離れていくから。言わずもがな、noが言えない、と言うよりも意思表示ができない関係はキツいものがあってそう長くは続かない。
反対意見を言えずに自分が壊れる前に、バサッと綺麗に切れば、傷口が膿むことはなかった。
それを繰り返す度に自分の心が錆びていくのなんて露知らず。
他に、過剰な愛情表現とかも「切る」作業と同じだったりするかもしれない。これは対異性のみの話になるが、私は今まで本気で「めっちゃ好きだから」そういう愛情表現をしていたけど、もしかすると「意図的に推しにすることで、恋愛成就しないときの言い訳をしたい」のかも、しれない。恐ろしい話だと思う(笑)相手が私の方に振り向くことがなくても「でも推しでいたい🥺」「あれだけ言われたらそりゃ引くかーww」みたいに自分に言い訳ができる。これらの本質的なメッセージは「私自身が見放されたんじゃないから大丈夫だよ。」だ。
他にも急に連絡とる、とか。相手に考えるスキを与えるのが怖かったり、急だったから対応できないのが普通とか。
勿論、所謂「推し」は、ただの人間なので、よく知らない相手から過剰な恋愛感情をぶつけられたらびっくりして受容なんてできないので、自慰的な推しにしてる間は基本的に人間関係は成立しないんじゃないか。
ここでだ、私は相手を見れない。だから、一般人を偶像化する。本質的な意味合いで、人を愛せないし大切にできない。どこか、自分の何かを満たすためのツールであったりする。(潜在的な話をしているのであって、いつもこんなことを考えながら人に接してるわけではないのを理解してほしい)
そうなる理由は、私が私を本質的な意味合いで見てないからだった。
私は私自身に向けられた愛を跳ね返してきたし、自発的な愛もなかったから、正面から「本来の私」が無条件の愛を受け取ることが、「本来の私」に興味を抱いてもらうことが(少なくとも私のフィルターを通すと)無かったのだ。
経験していないものは、人に与えることは難しく、これまで人間関係の大半は、ニーズに合わせた表層をなぞる付き合いを無意識的にしてきた。
だから、できないことはできないと、言えるようにならないといけない。
だから、自分が自分のままでいいんだよと、愛してあげられるようにならないといけない。
正直まだ全然できない。ちょっともやっとしてることも、どんな顔をされるのかが怖くて言えない。べきを探してしまい、心地いいという理由だけで選択できない。
先生(?)は、頭で理解するだけでいいという。
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