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ウイスキーから鮨の道に1本化。日本のものづくりを世界に伝えたい。

お久しぶりです。Kenny改め、毛利です。

私は2023年8月末を持ってTisTaでの役割を終え、鮨職人として日本のものづくりを現場で深く学ぶべく、9月1日から鮨道を歩むこととなりました。

ニューヨークの大学を卒業してから4年と少し。TisTa、TSUKURUを通してかけがえのない経験を積ませてもらったので、本noteで振り返りたいと思います。

私の大学生活など振り返ったnoteもありますので、よければそちらもご覧ください(本文含め、少し長くなるので、お時間のある時にご覧いただけたら嬉しいです)。


ものづくりの本質を学んだ TisTa社の事業活動

TisTaでは「ジャパニーズウイスキーの価値を守り、高める」をミッションとしています。 そのため、活動は主に日本のウイスキー蒸溜所に着目したイベント運営やメディア取材、蒸溜所の視察や会員様との交流など、「つくり手」を中心としたものが多いです。

地域のウイスキーイベントに参加したり、実際につくり手の方のお話を伺ったりと、つくり手との交流を通じて日本のものづくりを深く知ることができます。

それこそ、一般の方ではお話しができないような立場の方とのご縁が溢れており、ウイスキーファンからしたら夢のような仕事だと思います。

それに加え、代表 辻さんの「ヒトを育てたい」という想いから、若手にたくさんチャンスが巡ってくる環境です。

アウトプット(目に見える成果物)を重視するスタイルの会社なので、以下のような方にはピッタリの会社です。

■ 自分でどんどん事業づくり、事業活動をやってみたい
■ 失敗を恐れずに、チャレンジできる環境が欲しい
■ 単純にウイスキーが大好き。それを仕事にしたい

もし興味があれば、以下に代表へのインタビュー記事が綴られていますので、ぜひ覗いてみてください。

ロングセラーブランドの極意

私は、主にメディア周辺の管理やイベント運営における蒸溜所との調整などを行っていたので、つくり手の方々とお話しをさせて頂く機会が多く、たくさんの刺激を受けていました。

その中で個人的に特に心に響いたのは、現キリンマスターブレンダー 田中城太さん(以下、城太さん)への取材でした。

本インタビューの後編記事(無料会員限定記事)では、城太さんの考える2つのエッセンスを紹介しています。

 長く続くブランドにはこだわりの哲学と技術が詰まっていて、それがしっかりと受け継がれていること。
 “Passion”が大事。ブランドへの熱意と仕事に掛ける熱意は、しっかりと人から人に伝わり、願いは成し遂げることができる。

アメリカを放浪!?キリン マスターブレンダー 田中城太の生い立ちを探る。【後編/全2回】

この、『技術・こだわりの伝承』と『ブランドへの熱意』の重要性はどの業界にいても通ずるものだと思います。

もちろん、城太さんだけでなく、当メディア CELLARRアドバイザーの輿水精一さん(サントリー)を始めとしたCELLARRの考える「日本のものづくり」に本気で取り組んでいるつくり手の皆さまとの会話を重ねることで、自分自身もその世界に入りたいという思いが強くなりました。

この場でお世話になった皆さんのお名前を挙げることは難しいですが、輿水精一さんをはじめ、元ニッカウヰスキー佐久間さんや本坊酒造マルスウイスキー 久内さんと草野さん、ベンチャーウイスキーの肥土さんと𠮷川さん、久住蒸溜所の宇戸田さんや武石さんなど、多くの方々のお話しを伺うことができ、本当に光栄でした。

現場で、ものづくりに携わることの大変さや職人のこだわりを伺うことで、自分自身もその想いを届けたいと強く思うようになりました。

子どもの頃から見てきた父の背中

ウイスキーのつくり手にそこまで刺激を受けたのなら、ウイスキーづくりにいくんじゃないの?

そんな声も聞こえてきそうでした。なので、私の背景をご紹介します。

私は1997年、明治20年(1887年)から代々続く鮨屋の5代目として生まれました (実際に自分が5代目であることは、鮨の道に進もうと決めた後に初めて知ったことでしたが(笑))。

そんな環境に生まれましたが、両親は私に後を継がせようという気は一切なかったらしく、私の進路やキャリアに関しても、口出しせず、自分のやりたいことを自由にやらせてくれました。

そんなわけでアメリカの大学にも行かせてもらい、外国人の妻と結婚し、
いわゆる鮨屋の倅(せがれ)とは縁もかけらもない生活をしていましたが、TisTaの事業を通じて日本のものづくりを知れば知るほどに、小さい頃から見てきた父の仕事を思い出しました。

2022年4月に帰国後、父の店でお鮨を食べていた私は改めて日本のものづくり、特に「鮨(すし)」の文化や鮨職人のこだわりや姿勢を「父の存在」を通して学んでいたことに気づきました。代表の辻は、この点を早くから見抜いていたように感じます。

これまで自分が感銘を受けていた「日本のものづくり」は父の仕事そのものであると気づいてから鮨の世界に入ると決めるまで、そう長くはかかりませんでした。辻さんは「まさか!」が起きたとは言っていましたが(笑)。

日本のものづくりとは、なんなのだ

さて、そんな背景があって、職人の世界に足を踏み入れましたが、もちろん大変です。 覚えることは多い、睡眠時間は短い、接客は難しい、、で慣れるのに時間がかかりました(笑)

ただ、面白いことに、お客さまの「美味しい」の一言で疲れが吹っ飛ぶんですよね。

”やりがい”とはこのことだと身に沁みて感じました。

それと同時にそのお客さまからの「美味しい」を自分自身が早く届けられるように精進しようと心に決めたのを覚えています。この初心を忘れずに、今後も努力をしていきます。

そんなこんなで、鮨職人見習いを1年弱やってきましたが、外から見ていた時と違い、日本のものづくりを肌で感じる時間を過ごしています。自分なりにその要素をまとめたので、自分自身のメモ用にこの場でご紹介します。

①日本人の美意識とセンス

海外で生活してみて感じたのが、これです。美意識という言葉にまとめましたが、日本の「美」に対する感覚は間違いなく世界特有です。

間や余白を美しいと感じる感性や侘び寂びの精神など、日本人がこれまで培った繊細さは世界で評価されています。食文化にもその要素は色濃く現れていて、盛り付けの技術やシンプルを追求した日本食の数々は本当に美しいと感じます。 お鮨は特にその要素が強いです。

最近では様々なスタイルの鮨が出てきていますが、基本的には「魚と米」。これをより際立たせるための、わさび、醤油、海苔、などなど。 私の父は、鮨を「引き算」と捉え、いかに飾り気を少なく、シンプルかつ美味しいものを提供できるかを何よりも重視しています。

そのため、素材(目利き)の良し悪しや仕込みのクオリティがダイレクトに現れます。この難しさが面白いし、お客さまに喜んでもらえたとき、そのこだわりに気づいてもらったときは何にも変え難いやりがいを感じます。

この素朴かつ美麗な世界を「良いもの」と捉えられる感性こそ、日本のものづくりが評価されている要素の一つだと思います。

②豊かな自然環境とそれを活かす術

日本は世界屈指の食材王国です。豊かな自然環境の中で長い年月をかけて、たくさんある食材ごとに適した調理方法や保存方法が生まれ、日本ならではの食文化として発達したものこそが日本食だと思っています。

この自然と調和した日本食は、海外では名前も聞かれないような野菜、魚、それらを本当に美味しく調理する術が詰め込まれていますし、これこそが「日本のものづくり」は素晴らしいと言われる所以だと思います。

③プライドという名の愛国心

日本人は(もちろん、一概にはいえませんが)世界で日本出身の人が活躍することを好む性質があります。例えば、野球の大谷翔平選手がMLBを代表する選手としてアメリカで大活躍を見せていますが、そのニュースをまさに自分のことのように誇らしくみられている方もネットで多くみられます。

それ以外にも、ワールドカップの試合後にゴミ拾いをする日本人が世界で称賛、、など「僕らはすごいんだぞ」という事実を多くの日本人が主張したいような印象を受けます。

いや、全く悪いことじゃないんです。僕も同じですから。

愛国心というと嫌がる方もいるかもしれないですが、日本人として、日本のサービスや発明はこんなにすごいんだぞという「誇り」や「精神性」こそが日本のものづくりをここまでの質に押し上げていると思います。

もちろん他にも様々な要素が挙げられると思いますが、私の中でパッと頭に浮かんだのはこの3つです。これからどのように私の意見が変わっていくのかは個人的にも楽しみにしています(笑)

ご指摘がありましたら、なんなりとコメント欄で教えてください!

いざ鮨の道へ

さて、職人の道へ進むことを決めたのが2022年7月から約1年間、TisTaでの活動と鮨の修行という異例の兼業をしてきました(笑)。

学ぶことばかりだった1年間、体力的にギリギリでしたが、なんとか周りの皆さまのサポートのおかげさまで、走り切ることができました。

これからは鮨の道に従事し、日本のものづくりを通して文化や歴史を世界に発信し、これまでご縁を頂いた皆さまにも胸を張って鮨職人になりましたとご報告ができるよう、精進を重ねていきたいと思います。

私が今修行をしているのは、代々木上原にある「鮨武」という父のお店です。お店でお出しするものは基本全て手作り。明治20年からの歴史を継ぐお店です。ぜひ機会があればお越しいただけたら嬉しいです。

【私の家業のルーツ<亀井鮨>】

さいごに

振り返るとCELLARRの一つ一つの企画は、目利きとチャレンジ精神から生まれていると感じます。その結果、企画力を褒めて頂けることも生まれる状態になりました。

鮨道に1本化した毛利は「日本のものづくりを世界に伝えたい」に響きあいつつ、陰ながら自然とTisTaと響き合って参ります。

鮨屋という空間を通して、様々な方とのご縁を紡いで参ります。CELLARRの企画と連動することもあるでしょう。

CELLARR事業に携わる人は総じて、ガッツと情熱を持っており、TisTaを通じて知り合えた人たちとは本当にかけがえのないご縁をもらえたなと、本当に感謝をしています。

後任のAさんやこれまで一緒にやってきたOさんも僕の後輩ですが、とてもしっかりとしていて、頼り甲斐のある仲間たちです。

後任Aさんの、TisTaで働くまでのプロセス(ご参考)

本当に優秀な人たちと仕事ができて、幸せだったと感じます。これからもTisTaメンバーの持ち前のガッツと明るさでウイスキー業界を盛り上げていってほしいと思っています。

最後になりますが、これまでご縁を頂き本当にありがとうございました。
どうぞ引き続き、よろしくお願い申し上げます。

Fin


Kenny
毛利 乾太郎

鮨坊主


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