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5歳、入院生活を謳歌する

幼稚園の年中くらいだったかな、入院したことがあります。大昔の記憶を辿るので曖昧なところが多くなってしまいますが、、笑

いつものように夜、こたつに寝転がりながらテレビを見ていたら、急に脚が痛くてたまらなくなりました。起き上がれないくらいには痛がっていた記憶があります。親にかかりつけの病院に連れて行かれて、大きい病院に入院することになりました。ここの詳しい経緯はあまり覚えていません、、

ついた病名は「アレルギー性紫斑病」。当時はどんな病気なのか知るはずもなく、病名だけは覚えていました。入院はまだ5歳程の年齢なので、母親がついていてくれることが多かったです。

足が痛くて歩けず、安静にしなければならないので基本的にはベッドの上での生活。移動しなければいけない時は、車椅子に乗りました。5歳の力では自力で車椅子を漕ぐのがめちゃくちゃ大変だったことを覚えています。でもアトラクションみたいでワクワクしてました笑

毎朝、看護師さんが血液検査のための採血をしに来ました。最初は怖かったですが、毎日採血されるうちにだんだん慣れてしまいました。粉薬を飲まなくてはいけなかったのですが、不味くてそのままでは無理だったので、アイスクリームに混ぜて食べてました。お医者さんも毎日様子を見に来てくれて、お話したり診察されたりしました。

幼稚園の頃は少食だったのですが、そこの病院食が美味しくて、いつも楽しみにしていたことを覚えています。たしか入院最終日の夕食は豆腐ハンバーグだったなあ。今の自分が食べたら味が薄くて量も少ないと思うかもしれないけれど、当時の僕からしてみたらご馳走ですごく嬉しかった。

僕の隣のベッドの患者さんは、骨折していた中高生の男の子でした。僕にとっては年の離れた近所のお兄ちゃんのような感覚で、よく遊んでくれました。そのお兄さんが僕より少し先に退院することになり、退院する日には僕に手紙と紙飛行機をくれました。すっごく嬉しいけどちょっと寂しくて、でもお兄さんが退院するのは喜ばしいことで、、幼稚園児の僕にはなかなか複雑で難しかったです笑

幼稚園のみんなから「はやくげんきになってね」というメッセージと寄せ書きが届きました。今でも実家の元自室に飾ってあります。良いクラスメートに恵まれました。

退院する時には、顔見知りになった看護師さんやお医者さんから退院おめでとうと見送られました。でもあまりにも入院生活が充実していて楽しかったのか、もうちょっと入院していたいなと思ってしまいました笑 でも、それもお医者さんや看護師さんたち、美味しい病院食を作ってくれる調理師の方々、隣のベッドのお兄さん、もちろん母も含めて、色んな人たちのおかげだなと思います。当時の僕も、それを子供ながらに感じていたと思います。

この経験は、僕が医師を目指すきっかけの一つにはなっていると思います。本当に最初、医者っていいなと思った背景には、入院生活が楽しかった記憶や、信頼できてかっこいいお医者さんや看護師さんの姿がきっとある気がします。

最近、大学の講義の中でこのアレルギー性紫斑病が登場して、一人懐かしくなったのでnoteに書いています。
IgA血管炎やHenoch-Schönlein紫斑病などとも言われるそうですね。小児に発症しやすい病気で、確かに腹痛や関節痛など、症状はよく似ていました。
血清IgAなどの値を見る必要があるので採血はするし、IgA腎症を合併することがあるので尿検査もします。実際ほぼ毎日採血してたし、おしっこもベッドの上で尿瓶にしていたからもしかしたら一部検査に回されていたかもしれないな、、
治療は原則安静で対症療法なので、ベッドから動けず車椅子移動だったのも頷ける。
こうして疾患を勉強した今振り返ってみると、確かに習った通りだなと思います笑

そんなことはつゆ知らず、ベッドの上でテレビを見て、お兄さんと遊んで、病院食に一喜一憂して、入院生活を謳歌していた5歳の僕。
君が憧れたお医者さんになるために今必死に勉強してるよ。君の病気、さっぱりわからないだろうけど今では少しはわかるようになったよ。

まだまだ先は長い、、良いお医者さんになれるように、勉強頑張ります。

実はその後もう一度入院することになるのですが、それはまたの機会に。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

P.S.
隣のベッドで入院していたお兄さん、元気にしてるかな、、今はもう30代だろうし、僕のことも忘れているかもしれないけれど、どこかでまた会えたらありがとうと伝えたいなあ。。

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