コンテンツを「消費する側」から「創作する側」に回らないとしんどくなりそう
「時間ができたら見よう」と思っていたNetflixの名作映画をいざ見てみると、冒頭10分くらいで「なんか違うな」と消してしまうことが増えた。
小さい頃あんなに好きだったRPGも、いかに効率よく経験値を稼ぐかの作業ゲーのように思えてしまい、昔のように心が躍る感覚は湧いてこなかった。
あらゆる娯楽を低コストで消費できる時代になったけど、小さい頃のように無邪気にハマれるコンテンツは数少なくなってしまった。
マンガは今でも楽しめているコンテンツの1つだけど、その熱量もいつか突然消え失せてしまう日が来るのかもしれない。
30歳、40歳になった時に、「どんなコンテンツを見ても心が動かなくなっちゃったな・・・」となってしまうのがとても怖い。が、十分あり得る話だ。
そう考えると、早いうちからコンテンツを「消費する側」から「創作する側」に回る準備をしておいた方がいいのではと思うようになった。
これは「クリエイターエコノミーの波に乗るためにクリエイターを目指そう!」といった話ではなくて、「人生を壮大な暇つぶしと捉えた時に、コンテンツを「消費する」よりも「創作する」方が暇つぶしの手段として優れているのではないか」という主張である。
なぜなら、コンテンツは消費するよりも創作する方が圧倒的に難しく、時間がかかり、終わりが見えないからだ。
1000文字の記事は数分で読み終わるが、1000文字の記事を書くのは(自分だと)1時間かかる。映画は2時間で見終わるが、制作には数ヶ月〜数年間かかることもある。
同じ暇つぶしをするのなら、難しく、時間がかかって、やり込み要素が無限にあり、終わりが見えないものを選んだ方が人生は楽しいと思うのだ。
(映像研には手を出すな!の好きなコマ)
別にクリエイターとして飯を食える状態にならなくてもいい。世間に評価される傑作を生み出すのもほとんどの人には不可能だ。
ただ、0からモノを作り出して、世に送り出すという作業を、人生を楽しい暇つぶしにする手段として持っておくのはアリかもしれないな、とふと思った。
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