生きづらさ。はじめてのnote
「なんか、生きづらいな。」
初めてそう思ったのは
いつのことだっただろう
あまりよく覚えてない
でも
ランドセルを背負うころには
うっすらと
そんなきもちが芽生えはじめてたように感じる
「あの輪の中にわたしも入りたいな」
「あの人たちと仲良くなりたいな」
生きづらさから解放されたくて
いつも居場所を求めてた
そして
いつも居場所にはならなかった
「ここじゃない。」
こころのなかでそう声がするようだった
なんとか馴染みたかった
けれど
どうしても馴染めなかった
INFP
HSP
数秘11
どれもこんな診断結果だった
いつのまにか膨れ上がった生きづらさを
診断結果の内容を読みながら
「なんだ、だからか」
と
「じゃあ、どうしたらいいの」
の
行ったり来たりだった
それでも
外へ出れば
人に会えば
そういうこころの特徴を
まるっと隠せる
とてもうまく隠せる
そして
そのひずみは
家に帰ると
ちゃんと出る
すべて、ちゃんと出る
2021年の春
むりが効かなくなってた
生きづらさは
・生まれ持ったもの
・遺伝
・育った環境
・インナーチャイルド
いろいろ言われてる
そのどれもが当てはまるように感じた
こころのなかで
数十年かけて
絡まった糸のかたまり
それを
途方もないきもちで
一本一本ほどいていった
たどり着いた先にあったのは
もう、身体の一部のようになっていた
大きな不安感、だった
身体の一部になっていたから
視界からも消えていた
だから
気づくのにこんなに長い時間がかかってしまった
そして
そのさらに奥にあったもの
こころの源泉は
「安心したい」
「愛を感じたい」
「ただ素直でいたい」
だった
そんなことを感じながらも
あまりうまくできなくて
なんとか日々をやり過ごしてた
noteをはじめるきっかけの話。
つい先日
のどと胸の痛み、息苦しさが数日つづき
いつもの気管支炎になったとおもい
かかりつけの病院へ行った
気管支炎になりやすいこの10年だった
いつもお世話になっていた病院だった
けれど
今回だけ、検査に異常はなかった
そして処方された薬が
精神安定剤だった
三十数年かかりつけの病院で
精神の薬を出されたのは初めてだった
人生初、だった
メンタル的なものがあるかもしれないね、と
おじいちゃん先生が言っていた
去年ヒステリー球になった話をしたこともあったのかもしれない
帰り道
ひとりで
なんだか、ふっ、と笑ってしまった
精神安定剤を出されて
驚いたのかな
得体の知れない恥ずかしさなのかな
ふっ、と笑ってしまったときの感情が
なんだったのか
今でもちゃんとはわからない
でも
言い当ててもらえた安心感
これがいちばん近いのかもしれない
帰り道は
不思議なほどに
空気がしんと静まりかえっていたことを
よく覚えている
たくさんの人が行き交う街のなかで
ひとり
だれもいない家に帰ったときのような
冷蔵庫の音さえも聞こえないような
とても静寂な空気に包まれていた
精神安定剤の入った紙袋を手に
「あぁ
これは
メッセージなんだ」
歩きながら、ほろっ、と涙がこぼれた
なんだかとてもあたたかかった
こころの底にタッチできたような
やっと見つけてあげられたような
そんなきもちにもなった
この日ことが
さいごの大きなきっかけになって
noteをはじめてみようとおもった
こころの居場所がほしかった
うまく隠せる、なんてもうしなくていい
「ただいま」って帰れる
こころの家がほしかった
ただ安心したい
ただ愛を感じたい
ただ素直でいたい
居場所は、つくるものだった
さいごに。
安定剤は飲んでいない
飲む予定もない
けれど
お守りに持っておこうとおもう
おじいちゃん先生ありがとう
三十数年通って、ほんとうに良かった
これからもお世話になります
ここまで
とても長い話を読んでくれて
ありがとうございます
これまでのこと
これからのこと
ぽつりぽつり残していきたいとおもいます
愛を、知りたい
育みたい
まずは、このこころのなかから
そういう場所になっていくとおもいます
これからどうぞよろしくお願いします。
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