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スマイル & スマイル

昨年の今頃、2022年12月。

私は病床に臥せていた。

指を剥離骨折、右足を打撲。自転車で落車し、まさかの重症。
特に右足の打撲はダメージが大きく膝を曲げることさえできず、酷い状態だった。
それでも一週間で治るだろうとタカを括ってたが、なんとか歩けるようになるまで一ヶ月。
違和感なく歩けるようになるまでは二ヶ月を要した。

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十年ほど前。
視覚障害者の方たちと一緒に走る練習会に参加させて頂いた。
伴走者というのは、彼らの「目」の代わりとして重い責を担う。
今走る自分の目に映る景色を色彩豊かに伝え、
今感じる思いをどのように伝えられるか、また感情をどのように受け取るか、
同じ時間を共有しながら、健常者と同様の状態に持っていけるか。
私たちの声は、彼らの命を守るための「声」でもあった。

しばらく接してるうちに彼らは健常者以上の強い何かを持ってることに気づいた。
それが何かはわからない。
私たち以上に感情豊かに笑顔が溢れでる強さはどこにあるんだろう。
私たちが気遣ったところで、彼らからはきっと「あ、そんな事考えてたの?」と言って、笑い飛ばされるだけなのかもしれないが。

傷を負った者は強いと思う。
私たち健常者よりもはるかに。

2 hearts

朝ラン後、フトモモちゃんの痛みが消えないまま、お昼はプールへ向かった。
昼時のプールは比較的スイマーが少ないので狙い目である。
走りながら考えていた平泳ぎのフォームを確立させたく、準備しておいたメニューをこなしたかった。

プールに着くと考えていたメニューをこなせそうなレーンを探した。
一人でゆったり泳がれてる方がいらして、そちらのレーンにお邪魔することにした。

レーンに入り泳ごうとした時、先に入られていた方から声を掛けられ、しばしの間、話に花を咲かせることになった。
泳いでる時の醍醐味、休んでいる時の醍醐味、
こういう醍醐味は些細な場所に隠れてたりするが、彼女の話は興味深かった。

「足に障害を持っててね。私、早く泳げないから貴方のペースで泳いで。
 私のことは気にしなくていいから」
「視力も落ちてて、ちゃんと前も見えないんだけど貴方は貴方のペースで泳いで」
「私が邪魔になるようだったら言ってください」と。

気品のある女性だと感じた。

偶然、視界に映った景色が彼女の体に刻まれた皺だった。
私より高齢であることは間違いない。
長い年月を経て山あり谷ありな時間を過ごされてきたんだろうなと感じた。
水の中でゆらゆら揺れる皺を見た時、この方を大切にしようと思った。
可能な限りプールへ足を運び、痛みもあるはずの足を少しでも長く動かすために、心も体も健康に保つために通われてるんだなと感じた。

「私は “間” を見ながら泳ぎますので、お気になさらずに、ご自分のペースで泳がれてください」

とだけお伝えした。
なんだか一緒に泳げる事が嬉しくて。
そんな言葉がぽんっと出てくることもなんだか不思議な気がした。

その後、何度か休憩してる間に話をし、彼女の海外旅行の逸話やプールに通う理由で盛り上がった。

「何度も読みたい広告コピー」より

プールで泳ぐ人たちは千差万別。
その中でも気遣いができる人というのは少ない。
常日頃、そんな状況に置かれる私たちにとって唯一の救いは、会話から生まれる些細な出来事やささやかな笑顔なのかもしれない。
心地よい空間を生み出すのはこういう些細なことだと思うのだ。

年齢差もあり、体力差もある私たち。
お互いが気持ちいい泳ぎが出来る時間やポイントを探りながらの水泳。
こういうのは楽しい。

向こう岸にいる彼女が私を捉えていないとしても、彼女の放つ空気感は心地いい。
今日は充実した時間を送っていただけただろうか。
今日、目標にしていたことは達成できたでしょうか。

私は今日、あなたの言葉に救われた気がしてならないのです。

「あなたと話せて良かった」

またいつか貴女と同じレーンで泳げる日が来る事を願って。


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