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身体が弱い「罪悪感」との戦い

こんにちは!Hamaru StrategyのChief OTAKU Officerつっきーです!

今日は若干暗めの話になってしまうのですが……
ここ1~2年ずっと自分の中にある罪悪感と、それとの戦いについて書いてみようと思います。

休める→ラッキー?

私は幼少期に身体がそこそこ弱く、小学校くらいまではかなり学校を休みがちな子どもでした。
小児ぜんそくがありましたし、ちょっとの風邪でも毎度かなりこじらせてしまう。
年に4回くらいは点滴を受けていた記憶があります。

幸い入院は免れていたのですが、1年生の時には肺炎で1か月療養になり、クラス全員からのお見舞い手紙が送られてくるなど、少々大ごとになったこともありました。

そんな私は通常休むとなると、だいたい症状が出ている2~3日+大事を取って1日、平均で3.5日くらい学校を欠席することになります。
復帰すぐは体育の授業も見学です。

ですがそれは、私にとってラッキーでしかありませんでした。
何故なら私は小学校が大嫌いだったからです。
(体育も大嫌いでした)

症状が出ている間は本当にしんどくて、病院に行くために家の階段を降りるのにも5分くらい掛かってしまいます。
吐くまで咳をしたり、血が出るまで下痢が続いたり…
それでも、学校を休めることを考えると、割と±ゼロなことが多かったのです。

私だけではなく、多くの健康な小学生にとって「学校を休む」という行為はある種の特権を得たようなもの。
だから休んでばかりいると「ズルい!」と言われることもありましたし、
症状が引いた後の休みでは、自分自身も「ズル休みじゃないか??」と思うことはありました。

こんな風に、たとえ本当にしんどかったとしても、学校や仕事を休むことに対して潜在的な罪悪感が伴ってしまう人は多いのではないでしょうか?

不調の再来

そんな私も中学生になると、人並みに身体が強くなりました。
おそらく自然豊かで空気がキレイな校舎と、山登りを含む片道1時間半の通学路が、身体を強くしてくれたんだと思います。

しかし、二十歳を過ぎたあたりから私の身体はまた下り坂に差し掛かります。
おそらく大学の部活で精神的に参ったことがきっかけです。
とは言えその頃は大学生らしく飲み会オールもできていましたし、過酷なライブにもガンガン参戦していました。笑

ただ、2020年、起業する直前くらいから、明らかに身体が不調をきたしてきます。

例えば……

生理痛はあまり酷い方ではなかったのに、痛み止めすら効かない激痛が起こるようになった。
カフェインがほとんどダメになり、好きだった紅茶が飲めなくなった。
牛肉がほぼ食べられなくなった。
真冬のディズニーランドで脱水をおこし、医務室に運ばれた。

そんな感じで、日常生活に支障が出るレベルのことが度々起こり
定期検診はB判定→E判定まで一気に落ちました。

幸いその後の検査で異常はなかったのですが
各科で「痛いと思うけど、体質だからある程度は付き合っていくしかないね」といった診断でした。

人生を無駄にする休み

不調が明らかになった今、分かるのは
「今私は8時間×5日間の労働がコンスタントにできない
という事実です。

今は起業して労働体系に囚われずに済んでいるのと
フルリモートで通勤がなくなっているので、どうにか生活は送れています。

ですが一昨年までのように、毎日電車で通勤し、一般的な労働時間の企業で働くのは、今の自分にはたぶん無理です。

この事実は、なかなか堪えるものです。

みんなが働いて、キャリアアップして、社会に貢献している間に
自分はただただ寝ている。

もともと睡眠時間が長く、活動時間が短いことを歯がゆく思っていた私。
ただただ寝て、起きたら世界が進んでいて、自分は若い時間を無駄にしている。
しかも今は起業して、頑張らなきゃいけない時なのに。
自分だけが何もできなかったという罪悪感が、自分をますます追い込んでいきます。

幸いCEOのしみーさんは理解があって、私が休んでも心配し続けてくれますが、負担をかけているのは事実。
他にも周囲が心配してくれるのが申し訳なく、どんどん気持ちが負のスパイラルに陥ってしまいました。

罪悪感って???

そんなことを毎日考えているうちに
「この罪悪感の根本は一体何なんだ???」と思うようになりました。

それはおそらく、小学校の時に感じたあの「ズルい」という感覚です。

周囲が頑張っている時に、同じように頑張っていない。
自分だけ休んでいる。
だから、ズルい。

でもこの罪悪感は、果たして持つべきものなのでしょうか?

この世界には、私より身体が弱い人なんてゴマンといます。
私と同じように、何となく人より元気じゃない人もたくさんいます。

じゃあ、その人たちも私と同じく、罪悪感を感じながら生きなきゃいけないんだろうか??
答えは"No"です。

そう考えてみると、自分の中の固定観念に気づきました。
それは「がっつり働ける人のスタンダードに合わせられない=欠陥」という固定観念です。

その考えは、障がい者の方々などを差別するのと、根本は全く同じものです。
そんなものに「身体が弱い」当事者である自分自身が囚われて、どうしようというのでしょう。

そう思うようになってから、私は自分自身の罪悪感をできるだけ消していこう、という考えを持つようになりました。

変わるべき時

がっつり働ける人がスタンダード。
そこに合わせられないのは欠陥。

今まではハンデを抱える人が、がっつり働ける人のスタンダードに無理して合わせるか、ドロップアウトするかしか選択肢がありませんでした。

でも、その考えのままで、この社会は本当に良いのでしょうか?

実力主義で評価していこうという社会の流れと、人材の多様化の流れがぶつかるところに、この問題が今後浮上してくるのだと思います。
今こそ変えていきたいし、変わる時です。

変えていくと言っても、この弱い自分ひとりの力では、できることが限られています。
ですが、幸いなことに私は周囲に理解があり、身体が弱くても続けられる仕事をしています。
リモートワークの時代も、体力のない自分にとっては後押しになります。

私自身が自分らしい道を見つけて楽しんで生きることで
せめて周りで困っている人だけにでも、「そうやればできるんだ!」という道を示せれば
……と、今は考えています。

とは言え自分ひとりだと心が折れると思うので笑、
弱いなりに楽しんで仕事をしているよ、という方と繋がって
コミュニティを作っていくことも同時にできればと思っています。

「実は自分も……」という方は、声をかけていただけると嬉しいです!


みんなが無理せず、楽しく暮らせる世の中が来ることを願って。
目の前のことを、ちょっとずつやっていきましょう。

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