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なぜ私が保健室をやるのか

こんにちは。Hamaru StrategyのCOOつっきーです。

今日は本当にタイトルの通りで、なぜ私が今保健室に挑戦しているのかをお話ししようと思います。
会社としてなぜやるのか、創業者2人がなぜやるのか、というのは既に書いたのですが、今回は自分フォーカスです。

※保健室についてはこちら↓↓

正直かなり、自分語りみたいになってしまう部分も多いと思います。

ですが日々このビジネスに挑戦していく中で
「どうしてエンタメ事業やってたのに保健室?」
「経験が全然ないのに、なぜ?」

と言われたり、そういう疑問を持たれている感じがひしひしと伝わってきたり…なんてことが多くなってきました。

確かに新規事業では何をやるか、以上に「誰がやるか」が重視される傾向があると思います。
また、ビジネスのパートナーを見つけるうえでも、その相手の本気度を測りたくなるのは当たり前のこと。

ですのでここで、私がどうしてここに至ったのかをお伝えしようと思った次第です。
正直ビジネスの場では積極的に言いたくなかった、自分の中でやっと"かさぶた"になってきたばかりの傷もあるのですが…
それを示すことが、私が表現できる"本気度"の一部ではあると思うので、書いてみます。

虐待問題に興味を持った中高時代

私は関西の中高一貫女子校で青春時代を送りました。
学校はプロテスタント系で、毎朝礼拝を守り、苦しい立場にいる人に思いを馳せることが日課のような環境でした。

そんな環境ですから、ボランティア活動に携わるチャンスもゴロゴロ転がっています。
例えば元ハンセン病患者の方の隔離施設への訪問、ホームレスの方々への炊き出し、児童養護施設への訪問、様々な寄付活動、etc...

その中で私が一番積極的に携わっていたのが、児童養護施設・母子支援施設で暮らす小学生約100人を学校に招待して遊ぶ、という行事でした。
この行事の意義は、日頃の施設生活では大人になかなか構ってもらうことのできない子どもたちに、全力で甘えて、全力で遊んでもらうというところにあります。

子ども1人に対して高校生1~2人がつきっきりで遊ぶため、参加者は全体で200人を超える大きなボランティア活動です。
ですから開催日当日だけでなく、半年がかりでの準備が必要になります。
準備は段ボール遊具を手作りすることがメインではあるのですが
それと並行して、各施設への事前訪問というものがあります。

事前訪問は、子どもたちの様子を事前に知り、個別の注意点やアレルギーを聞いて回るのが主な目的です。
施設職員の方々は皆さんとてもお忙しいのですが、
時間を取って、その施設の現状や児童福祉を取り巻く問題について
熱心に教えてくださる方もいらっしゃいました。

常に人手不足で、頑張っても子ども全員を十分に見ることができないこと。
日本では里親になってくれる家庭が少ないこと。
小学生になると、受け入れ家庭がもっと少なくなること。

その他にも、たくさんのことを教えてくださいました。

ところで、この行事には、高校生スタッフ全員に必ず守ってもらわなければならない大切な注意事項が2つあります。
それが、「大きな声を出さない」「冗談でも叩いたり小突いたりしない」ということです。

なぜなら、施設には親からの虐待で入所する子どもも多く
自分より身体の大きな高校生にそんなことをされたり、友達がされたりするのを見たりすれば、フラッシュバックを起こしてしまう危険性があるからです。
最初この注意事項を聞いた時には、とても身構えたものです。

しかし実際に子どもたちに会うと、自分が今まで接してきた近所の子や、親せきの子どもたちと、何ら変わりがないのです。
もちろん物静かだったり、なかなか笑わなかったりする子もいます。
でも、元々子ども好きの私にとっては、どの子もめちゃくちゃに可愛いのです。
だから参加した3年間、私は全力で子供たちと楽しい時を過ごしました。

でも、終わってから毎回思うのです。
なんでこんな可愛い子どもたちが、虐待なんてひどい目に遭わなければならなかったんだ、と。
家庭ではなく、施設で日々を過ごすことになってしまったのか、と。

経営に可能性を見出し、進路決定

そこで私は、虐待をなくすにはどうしたらいいのか、小さな頭で考えました。

そして、当時の私が出した答えは、「経済的に豊かな家庭が増えること」でした。
そう思い至ったのには2つ理由があります。

1つ目は、小学生時代から経済状況と虐待との関連性に何となく思い至っていたから。

私が通っていた小学校は、大阪の、あまり豊かとはいえない地域にありました。
給食費が払えないご家庭も多く、修学旅行もかなりの近場。
そして今思い返せば、育児ネグレクトなどの虐待を受けていたであろう子も、同級生の中に何人か思い当たります。

虐待と親の経済状況には実際、ある程度の相関関係がありますが
そのことを、小学生時代から身をもって実感していたのです。

2つ目は、当時が大不況だったから。

私が中2の時に、リーマンショックが起こりました。
ニュースをつければ不況、倒産、リストラの単語ばかり。

企業経済は家計に影響を及ぼし、高校受験期の友達の進路決定にも少なくない影響を与えていました。
金融や企業など、中高生の自分にはいささか遠い存在だったものが
それぞれの家計にまでこんなにも甚大な影響を及ぼすんだ…ということを実感しました。
そしてその時期から、子どもの貧困に関する話も、以前よりよく聞くようになってきたのです。

経済的に豊かでないと、子どもは安心して育つことができない。
そして、子どもを育てる家計には、企業経済が大きく影響している…

じゃあ、企業が倒産しないように、経営が上手くいくように支えたい。
私はそういう思いを持つに至りました。
つまり当時の私は、企業コンサルタントになろう!と思っていたのです。

折しもその時期は、「もしドラ」、そして経営学が流行った時でもありました。
ミーハー心で「経営学かっこいい!」と思っていたことも相まって、私は経営学を専攻できる大学を目指すようになります。

わざわざ京大へ

少し話は変わるのですが、私には人生を変えた漫画がいくつかあります。
そのうちの1つが、週刊少年ジャンプで人気を博したアメフト漫画「アイシールド21」です。

小学生の時にアイシールド21にハマった私は
「いつかアメフトに携わりたい!」
という夢を密かに持ち続けていました。

そして高校生の時、元アメフト部だった父に連れられて見に行ったのが大学アメフト選手権の決勝「甲子園ボウル」
そこでアメフト熱が再燃し、
「大学では絶対アメフト部のスタッフになる!」という目標ができました。

それは大学選びにもダイレクトに影響します。

関西の強豪と言えば、関学や立命館。
でも、元々有利な環境では面白くない。
アップセットできるチームがいい!!
そう思った私の心を打ったのは、かつて6度の大学日本一を成し遂げた古豪、京大のアメフト部でした。

正直その当時の私はハチャメチャに成績が悪く、当時行きたい!と思っていた神戸大学の経営学部も全然無理そう…といった状況でした。

でも、そこからどうにかこうにか這い上がり、(ちょっとした入試制度の穴を突きつつ)奇跡的に京大の経済学部に現役合格することができました。

だから正直なところ、京大を選んだのは「アメフト部に入りたい」という理由オンリーなのでした。

生傷の大学1,2回生

そうして晴れて京大、そして京大のアメフト部に入れた私。
ですが結果として、私は身体を壊し、4年中たった2年で部を去ることになります。

ここは5年経った今でも生傷のままなので、さらっと流しますが

・女子高からいきなり体育会系男子学生100人以上の環境に入り、周囲とのコミュニケーションが全く上手くいかなかった
・24時間チームのことを考えた結果、常に思いつめていた
・そもそも体力がなかった

というのが主な理由です。

ずっと心も体も不安定で、毎日泣き、いつ死んでもいいと思い、たくさんいた中高の友達にも全然連絡を取らず、大学にも行けず、ゴミは溜まり、台所の流しにある皿は3日に1回しか洗えない…
異常な状態でした。

ただ一つ言えるのは、この時期があったからこそ、今の私があるということです。

就活に無理やり集中した大学3回生

実は私、そもそも大学の学部自体にも馴染めていませんでした。
最初に友達になろうとした同級生女子が、かなり底意地が悪く…
京大にこんなレベルの人がいるんだ…と、ショックを受けているうちに他の友達を作る機会も逃した、という具合です。

だから部活をやめて本格的に学業に戻ったとき、私の居場所は全くと言っていいほどありませんでした。
でも、仲良くもない知り合いは微妙にいる。

毎日学校に行くのが嫌で嫌で、誰にもバレないように下を向いて歩き
休み時間はイヤホンと、垂らした髪で周囲をシャットアウト
混んだ食堂に行くのが辛く、休み時間少し前に教室を抜け出して
生協のおにぎりを廊下の端で食べていました(ギリギリのところで便所飯は経験せずに済みました笑)。

中高時代や今現在の、うるさい私を知る人が聞いたら
「嘘でしょ!?」と思われるかもしれません。笑

だから大学から逃げるように、私は就活に集中しました。

そこで何を仕事にしたいか?と考えた結果思い出したのが、
「虐待をなくしたい」という思いでした。
では高校時代に目指していたコンサルタントになろうとしたのか?というと、そうではありませんでした。

なぜなら、経済学部の授業をいくつか受けるうち、私は「経済や金融によって家計を助ける」という理想が机上の空論だと分かったからです。
それと同時に、自分には大企業よりベンチャーの方が合っている、ということにも気づきました。
あと、別に起業をしたいわけではなく、世の中に本質的に必要なサービスを作りたいだけだ、ということにも。

だから私が目標にしたのは
「事業会社系のベンチャーで新規事業を立ち上げる実力をつけ
子育てに関するサービスを社内起業する」

ということでした。

(ちなみにNPOなどへの就職を目指さなかったのは、あくまでビジネスの領域で社会課題の解決に挑戦したかったからです。
稼げる=事業を提供し続けられる、ということだと感じていましたし、今でもそう思っています。)

そんな風に夢が固まりすぎていた私は、採用担当者から見て扱いづらかったため、就活では正直苦戦しました。
サマーインターンで夏休みを潰し、何度も夜行バスで東京のベンチャーに足を運びました。

そして最終的にご縁ができたのが、ITベンチャーで、ゲームでもWebサービスでも新規事業をハイスピードで出し続けているDonutsでした。

ワークライフバランスを考え続けた4回生

就活を通して、私はワークライフバランスについて考える機会が増えていました。

ワークライフバランスというのは、そのまま子育ての身体的・精神的な余裕に繋がる。
それはひいては、虐待を減らしていくことにも繋がっていきます。
だから私が作る新規事業も、ワークライフバランスに関するものになるんだろうなぁ、と何となく考えていました。

そんな時にあるご縁で、京大の1つ後輩である高島菜芭ちゃんに出会いました。
(今も"セックス診断サービスSeek H"を作るなどパワフルに活躍している、尊敬する友人です。)
会ってすぐにワークライフバランスに関する話が盛り上がり、何かやろう!という話に。
そこから頼りになる仲間を数人集めて、200人を集めるイベントを開催することになりました。

※その時NewsPicksさんに掲載していただいたレポです↓↓

メンバーは他の学生団体やサークルにも所属していましたし、今思えば本当に熱意だけで動いていたグループでした。

その関係で、ワークライフバランスや福祉に関するビジネスに携わっている方、研究している方、NPOの方など様々な方に会う機会を得ました。
そこで考えたことは「私には社会起業系のビジネスは向いていないな」ということでした。

社会課題について考え続けるということは、とても苦しいことです。
そしておそらく、よほどの聖人君子でない限り、24時間365日そのことについて考え続けるのは不可能。
例えば、途上国の貧困問題について24時間ずっと考え続けていたら、美味しいご飯を3食お腹いっぱい食べる生活はおそらくできません。
自分の心身の健康を保つため、ご飯の時くらいは問題を忘れてリフレッシュする必要がありますよね。
だからこそ、社会課題に携わっている人には、
普段の自分の生活と、携わっている課題とを意識的に切り離す「強さ」が必要なんだと思います。

でも私は、その切り分けがうまくできないだろうな、と感じました。
だから、社会課題を解決するビジネスに携わることを、当面は見送ることにしたのです。

オタクと仕事

ところで私は、就活が落ち着いた頃から本格的なオタ活を始めました。
メインのオタ活フィールドは声優さんです。

本当は中学時代からアニメや声優さんが好きだったのですが
お金も時間もなかったため、本格的にハマるのを意識的に避けていました。
その助走をつけた分、オタ活を初めてからは、沼の底まで一直線でした。

その頃にちょうど、前述の通り「社会課題解決のビジネスに携わるのを見送る」という決心をしたことも相まって
私は「働くなら、アニメ・ゲーム系の業界で研鑽を積んでいきたい!」という思いを持つに至りました。

社会人1年目で転職

そんなこんなで上京。
本当はDonutsでゲーム事業に携わりたいという希望があったのですが
もともとそのルートで採用されたわけでもなかったため、
Web事業で一番エンタメに近かった、ライブ配信アプリの企画に携わるようになります。

ですがやはり、自分のやるべきこと・やりたいことから遠い、とすぐに感じるようになり
結局、東京に行ってから9カ月で転職することになります。

転職先では「もっと主体的にオタク・エンタメに関わりたい!」という思いから、エンタメ業界に絞った転職活動をし
そこでフーモアと出会うことになります。

オープンイノベーションとの出会い

フーモアにジョインしてから配属されたのは、現Hamaru StrategyのCEOであるしみーさんがリーダーを務めるチームでした。
そのチームではオープンイノベーションに積極的に挑戦していて、私が入ってからは半年で4件採択されるという実績を残しました。

(オープンイノベーションの詳細は、過去の色んな投稿で既にお話しているので割愛します)

エンタメのプロであるしみーさんと共に、日本を代表する企業へ
エンタメを活用したビジネスの提案をするのには非常にやりがいを感じました。
Hamaru Strategyとして独立した現在も、その流れは続いています。

あとは、オープンイノベーションのコンテストに参加する中で
自分自身のプレゼンや企画に自信を持つこともできました。

フーモアには丸1年しか在籍しませんでしたが、その1年が今の自分の基礎となっているように感じます。

そして独立

Hamaru Strategyとして独立してから半年経った7月、私たちは保健室事業への挑戦を決意しました。
その詳細はこちら↓↓に以前書いた通りです。

様々な新規事業に挑戦する中でFemTechと出会い
社会課題解決とビジネスのバランスの取れた領域であることに、非常に惹かれたのです。

「これなら、うまく社会課題と自分の生活を切り分けて挑戦できるかも…!」
と思った私は、保健室を今、形にすることに決めたのです。

保健室こそ、大学時代に取り組んでいたワークライフバランス
ひいては働く人の心身のケア、子育てにも繋がっていくものだと、今は信じています。

過去のすべての流れが今の事業へ

長々と自分語りをしてしまいましたが…

これまでのすべての経験や考えが一つになったのが、保健室事業です。
遠回りにも見えるし、近道にも思える。
不思議なご縁がまとまって、ここまで辿り着きました。

私はまだ26年しか生きてきていませんし
他の起業家さんたちに比べれば、甘ったれた身であることも重々理解しています。

ですがこんな自分なりに、
この身で感じたこと・経験してきたものを、できる限り
このビジネスにぶつけていきたいと考えています。

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