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パット・メセニーがみせてくれる風景

 ジャズをいろいろ聴いていくと、「パットメセニー」というミュージシャンに出会う日がくると思います(まだきていない方もきっとそのうち)。どんな風にジャズミュージックを聴いてきたのか、ということにもよると思うのですが、「これはジャズなのだろうか」というのが最初の彼の作品への印象でした。

 わたしは、スタンダードなジャズをあまり真面目に聴いてこず、他のジャンルにどっぷりはまっていた時期もあったので、Return to Forever のいわゆる「かもめ」の愛称で呼ばれているアルバム(正確にはかもめではないらしい)「Return tu Forever」でフュージョンに開眼したことで、パットのデビューアルバム「Bright Size Life」(1976年)を聴く流れとなり、とにかく度肝を抜かれたのでした。

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 一音かき鳴らしただけで彼とわかる奏法、超絶なテクニック、でもそれが技術自慢でなく素晴らしい音楽に昇華されていること。「ジャズ」を聴いているとか、そういうことが一切どうでも良くなる、それはだた「よい音楽」という存在。ベースがかのジャコパストリアスというのもすごいのですが、その掛け合いのような互いの才能のぶつかり合い、並走感も聞きごたえがあります。しかもジャコにとってはこれがアルバムデビュー作品なのだそうです。

 夭折してしまったジャコとの貴重なアルバム発表前のライブ音源。ちなみに当時二人とも二十代前半、、脱帽。もう一体、なんなのでしょう。

 永遠に鳴り響くようなギターの音色、味わい深いメロディー、ずっと前から聴いていたような気になる不思議な親しみを感じる、どこまでも歩いていけそうな履き慣れたスニーカーのような。これがもう40年以上前の作品であることは全く感じられない傑作と言えます。

 彼のコンサートにはたったの一度だけ、東京での来日公演へ行きました。おなじみの長髪にジーパンにTシャツにスニーカー(たぶん履き慣れた感じの)といういつもスタイルで登場し、あの技巧を存分に披露し、オリジナルの4本ネックの「ピカソギター」での演奏も楽しめました。ひょっこり散歩の途中で現れたような風態で奏でられるその音風景は、もうただすごいという記憶、その音のクオリティは言うまでもなく圧巻でした。


 今回パットメセニーを久しぶりに聴き直したくなったのは、とある方の連載ポッドキャスト最終回の中でこちらのアルバム内の曲がかかっていたことがきっかけでした。

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 ジャズベーシスト、チャーリー・ヘイデンとの共作「Beyonde the Missouri Sky (ミズーリの空高く)」(1998年)です。慈悲深い音風景とでもいえば良いのでしょうか、身体の奥に染み込んでいくような二人の共演。ジャコパストリアスの若々しいベースとはまた違う、チャーリー・ヘイデンの柔らかく優しい芯のあるベースと対話するかのようなパットのギター。チャーリーから声をかけられ実現した共演で、共にミズーリ州を故郷に持つ二人なのだそうです。
 グラミー賞受賞アルバムでもあるのですが、パットメセニーはこれ以外にもソロ、グループ名義でなんと18回もグラミーを受賞しています。これってかなりの頻度ですよね。

 パットの音楽を聴くと、脳裏にアメリカの原風景のようなものが浮かんできます。
 ロードムーヴィーの中で見るような風景、乾いた土埃、灼熱の太陽が無慈悲に照りつける中を車で走る風景がライ・クーダーのスライドギターだとしたら(パリ・テキサスの記事もよかったら読んでみてください)、パット・メセニーは、その地に根を下ろし、生活を営み、日が昇り沈んでゆく様を日々眺めている自分の心象風景のよう。

 一日の終わりに、束の間のひとりの時間に、どさっと椅子にからだを沈め、巡りゆく日々の様子をただ感じいる時間に聴きたいパットメセニーのギター。出会えてよかったと心から思える音楽です。

 そしてちょっと薄汚れているけれど、履き慣れたスニーカーでまた明日も歩いてゆこうと思うのでした。




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