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好きなひとと似てるひとに、癒やされてもいいのかも


新しく出会うひとを、自分の知っているひとと重ねてしまうことがある。

はじめましてのはずなのに、外見や表情、しぐさなどから、知っているひとと重ね合わせて見てしまい、そのたびに後ろめたさを感じていた。

親も子もはじめての幼稚園での、担任の先生もそうだった。
切れ長のきれいな目と頬のあたりが、大学時のサークルの先輩とそっくりだった。いつも知的で、鋭い指摘をしたかと思ったら、ふにゃっとぼけたところもあって、私はその先輩のことが好きだった。

3歳の息子はさみしがりやで泣き虫で、家のなかでも私の姿が一瞬でも見えないと大泣きするような子だったから、年少の2学期まで毎日半泣きで通っていた。

「職員室にもトイレにも、一緒についてきてくれるんですよ」

先生はそう笑って話してくれた。
幼稚園での息子は、先生のズボンのうしろをにぎりしめて、一日中ついてまわっているようだった。申し訳ないやら、心配になるやら。ただ平謝りするしかなかった。

「そういう子は毎年いますから大丈夫ですよ。この前は、私が入っているトイレの扉の前で『せんせい、おそい~』って大泣きしちゃって。びっくりしたけど可愛かったです!」

まったくイヤな感じはなく、にこやかに教えてくれた。
幼稚園の先生、保育士さんというのは、ほんとうにすごい。


そして、先生と話すたびに先輩の顔が浮かんできた。にこやかながらもきっちりしていて、正義感のある先生。先輩と似ていることにおおきな親近感をいだきながらも、もちろん同一人物ではないので、ちいさな違いを感じることもあった。ネガティブものではないけど、あ、違う、と思う瞬間。いや、『違う』って失礼でしょうと、もうひとりの自分が思う。

先生は、先生なのだ。
先輩ではない。

勝手に重ね合わせておきながら、いつも罪悪感を感じていた。



***

先日、1年3カ月ぶりに美容院へ行ってみた。

伸びた髪をバリカンやコテでごまかしながら過ごしてきたけど、もういいでしょう! という気分になって、近くのサロンを予約した。

同じサロンに通い続けるかどうかは、髪型というより美容師さんとの相性のほうが大きい気がする(私の場合)。むかしから自分で前髪をパッツンにしてしまうタイプだったので、美容師さんに『自分で切った』と伝えた時にいろんな反応をもらってきた。だからその反応によって、相性がわかるような気がしている。

美容師さんが切り始めてから「あれ? 自分で切りました?」とバレるのがいちばん恥ずかしいし、申し訳ない。なので最近は先手をうつ。いわゆる、先手てへぺろ作戦(死語)。

むかえてくれたのは、30代くらいの落ち着きのある女性。お互いにマスクなので印象をとらえづらいけど、目のクリッとした自然体なひとだった。


「美容院すごく久しぶりなんです」「ああ、そうなんですね」
「自分で切っちゃってて(てへぺろ)」「ああ、そうなんですね!」

かわらず、感じのいい返事。切った、と伝えても動じない。
会話がさらさらと流れていく。

「髪型どうしましょうか?」
「ショートもいいけど、また伸ばしやすいようにボブがいいかなあと……」「ああ、今サロン行きづらいですもんねえ」「……そ、そうなんです」

サロンのひとなのに、そんなことを言ってくれるの。

「ショートにすると月1回は来ないとだし、首筋ギリギリの前下がりボブでいきましょうか。しばらくもちますよ」「は、はい! それがいいです!」

もう大好き、と思った。さりげなく私の立場で考えてくれて、それでいて髪質やクセをたしかめて、「朝セットしやすいように切っておきますね」なんて言ってくれる。


マスクを着用して初めてのサロンだったので、想定外のこともいくつか起きた。
出してもらった黒豆茶が激熱すぎて舌を火傷したけどマスクですぐ隠せばだれにも悟られないのだと学んだり、シャンプー台でアイピローをのせてもらうとマスク上部の空気の通り道が遮断されて窒息しそうになるということがわかったり。

そんなことも過ぎてみれば面白いできごとだったと思えるくらい、とてつもなく心地のよい時間だった。


そして、その美容師さんと話すうちに、義姉のことを思い出した。
くっきりとした目がよく似ていた。さっぱりした性格も。
私は義姉が大好きだった。家が遠いこともあったり、病気したりで、もう2年くらい会えていないけれど。

でも今日会えたような気持ちになった。
久しぶりに会って話せた。不思議とそんな気持ちにさせてもらえた。



***

晴れ晴れとした気分で家にたどり着く。
心も頭もすっきりと軽い。

以前にくらべて、どれくらいのひとと会えなくなっているのだろう。
以前が100人だったとしたら、今会えているのは何人くらいなんだろう。

会いたくても会えない、大切なひと。

自分でも気づかないうちに湧いていたさみしさが、知らず知らず心をむしばんでいたようだった。心の湿気がどんどんたまっておもたくなって、心の飛ばし方を忘れかけていたような気がする。

いいじゃない! 

好きなひとと重ね合わせてもいいじゃない!

なんだか強く、そう思った。

今はせめて、会えたひとと楽しく過ごし、会えないひとに思いをよせても許されるんじゃないだろうか。

気づけばわたしは鏡のまえで、軽くなった頭をふりながら「それくらい、いいじゃない!」と、何度もそうつぶやいていた。






***

なにげない日々に、ささやかな心の変化を感じた、たわいのない話です。
ここまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございます。

そして、ここでの出会いにも日々救われていて、感謝の気持ちでいっぱいです。みなさまのこの春の出会いが、どうかよきものでありますように。










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