失業は、多いより少ない方が良いに決まっている

失業者というのは、仕事をしたくても仕事がみつからない人です。とても可哀想です。そんな人が少しでも少なくなるように、というのが政治の使命です。

過労死するほど働かせる職場があるのは事実ですが、それはマクロ経済の問題ではなく、労働基準監督署の取り締まりが甘いからです。バブル崩壊後の経済停滞期にも、ブラック企業はありましたから。当時は、ブラック企業の社員は辞める自由がありませんでした。辞めたら失業でしたから。今は、ブラッック企業の社員は辞める自由があります。辞めても雇ってくれる会社がありますから。その意味では、今の方が問題が軽微です。少なくとも今の彼らの方が経済停滞期の彼らよりは自由度が高い分だけ恵まれていると言えるでしょう。やはり、失業が少ない事は良いことなのです。

「長野五輪の会場が使われないので、建設は無駄だった」という考え方もあるでしょうが、失業対策としては、十分に役立ったはずです。五輪がなければ失業して活用されなかったはずの労働力を用いて施設を作り、それが使われなかったとしても、何も無駄ではありません(コンクリート等の資材の話は別として)。どうせ使われなかった労働力ですから。ケインズは「不況の時は穴を掘れ」と言ったのを、実践しただけだと考えましょう。それよりは、立派な五輪が開催できた分だけ、マシな金の使い方だったという事でしょう。

まあ、「失業問題は、放置しておけば間も無く市場メカニズムが解決してくれるだろうから、気にする事はない」と考える人々と、「長期的には、何もしなくても嵐は過ぎ去るだろうが、それまで私たちが生きているか否かわからない」と考える人々は、議論しても噛み合わないのでしょうが(笑)。

P.S.

今のように人手不足の時に、長野五輪が開かれたのだとすれば、それは問題ですね。他の設備投資を「おしのけて」五輪会場が整備された可能性があるからです。その意味では、東京五輪向けの施設は、極力無駄のないように作る事が必要でしょう。長野五輪の時とは気合いの入れ方を変えて、無駄のない施設作りに注力していただきたいと思います。

https://comemo.io/entries/839

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