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心から満たされない時に聴きたい一枚

私が小学校高学年だった頃、我が家では深夜近くになると「エンヤ」というアーティストの音楽をかけるのを日課としていた。


日頃から多忙を極めていた父曰く「これを聴かずして眠れない」とのことで、毎晩リビングの奥に設置されているオーディオシステムから「A Day Without Rain」という一枚のアルバムをかけていた。

それまでテレビから発していた日常的な音が、それをかけた途端に打ち消してしまうかのように、家中が神秘的にして心地よい一色メロディーに包まれたのである。

トータルで40分に満たない中、最後の曲まで再生し終えた頃には、父は既に深い眠りの中に入っている。日々における仕事の疲れが相まっているかもしれないが、他のアーティストには到底追従できない優美さの有るサウンドが要となっているからこそ、効果は絶大であったと思う。



当時、私の親は洋楽を中心に、両手だけでは数えきれないぐらい様々なアーティストのアルバムに触れる機会を増やしていた。和洋中なんでもござれと言わんばかりに、年代問わずロックやポップなどと、色々手を出していたのである。

その中で、代表曲の一つでもある「Only Time」が流れ始めた時は、それまで支配していた空気が一変した感覚を持ったことを憶えている。

ある時は、教会の窓から祝福するかの如く無数の光が降り注いでいるかのような。あるいは、扉より一歩踏み出したらそこは広大な大地が無限に広がっているような…。この場だけでは、まさに筆舌に尽くし難い世界観が待ち構えていたのである。


またその頃の私は、大の音楽好きである親の影響をかなり受けていることもあり、我ながら周りの同級生と比べて、洋楽における知識をある程度持っているつもりでいた。だが「エンヤ」の音楽との出会いを境に、一歩また未踏の地へと踏み込んだのだ。

音楽というのは、単に聴いた人の感情を鼓舞するだけではなく、時に心を癒してくれるのに最適な手段の一つでもあることを、誰かに一切の説明を受けることなく知るのだった。



後に、どこかのCM曲として起用された「Wild Child」においては、少なくとも私と同じ世代にいた皆さんはご存じではなかろうか。解放感に溢れたそのサウンドに、心奪われた人はいるのではないかと思う。

例えば、水平線が広がる静かな海の近くにソファを置いて、その場所でしか聴くことができない音を、自分の両耳だけでなく肌で感じ取るような。そんな世界観を真っ先に思い浮かべたのではないだろうか。

当時テレビで放送され始めた際には、私は既にその曲を存じていたが、特に誰かに勧めたり自慢げに話すような感情は薄れていた。「エンヤ」の音楽に出会って触れた時点で、心が満たされていると思ったからかもしれない。


発表されてから20年以上経過した今となっても、正直なところ強く人に勧めたいとは考えていない。常日頃から、新しい物などの刺激を欲している人にとっては、少々物足りないと感じるだろうと思っている。

何より、自分が「とても良い」と思って勧めたとして、必ずしも相手側にそれらの意向が伝わるとは限らない。まず自分が心の底から楽しんでいなければ、人に対して一定の共感は得られないであろう。

一言で「世界を楽しむ」と云っても、思い描くイメージというのは、百歩譲って人それぞれ異なるものだ。一通り聴いてみて、この人が良いと勧めていたからという感想で終わるのではなく、その両耳で触れてからどのような世界観を想像したのかを感じ取ってほしいと思う。


それでこそ、自らの心が満たされていない時に、ある種での救いを求めるのに最適な一枚と云えるだろう。



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