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ルールが時に非情となり得る理由

「あのーお客様。求職活動をしていないと、雇用保険は給付されませんので…」


 ハローワークに通うようになってから、早一か月が過ぎた。当初の目的は、雇用保険を受給するために手続きを行うだけであり、一回か二回行けば終われるつもりでいた。

 その一方で、受給がある程度の期間が過ぎないと降りてこないのも、そして受け取る額面も微々たるものであることも、承知はしていた。

 しかしいざ、そこに出向いて手続きを行うための説明なり講習会で話を聞けば、さらに頭を悩ますものが待ち構えていたのである。

 単純に、書類を提出して給付を待つような、安易なものだと期待していた自分は、肝心なところでなんて浅はかな考えしか持たなかったのだろう。

 そう痛感しながらも職業相談に出向きつつ、またハローワーク自体が主催しているセミナーを受講しながら、私は細々と求職活動をこなしていた。


 そして先日、受給資格の認定を受けるため、一通り揃えた実績を証明するための書類を提出し、呼び出しがかかるまで席で待機していた時のこと。すぐそばにある受付カウンターで、職員と後から訪れた人でなにやら揉めている声が聞こえた。

 私は気になりながらも振り向かず、耳だけを傾けてみた。声色と内容からにして、求職活動をしたくない旨の会話が伝わってきたのである。

 話を聞いている職員は、その訪れた人に対して必死に説得を試みているが、相手はこれから行うべき一連の活動に対し、頑なに拒んでいる様子であった。きっと直近まで努めていた会社で、最悪な形でもって冷遇されてしまったのだろうと伺えた。

 それも『働きたくない』と口にするなら尚更だ。だが、心身共に追い込まれてしまった身にとって、さらに受け入れ難い事実ルールを知ってしまった時の心情は、まさに筆舌に尽くし難いものがあった。


 なにせ雇用保険を受給するための条件が、ただ受給されるまで一定期間待機するだけでなく、ハローワークの定める求職活動を一定回数に満たす必要があるからである。でなければ、その資格を得ることができず、給付を受けることもできない。

 例外として、病気を患ってしまい活動が困難になってしまう場合には、その人の事情を鑑みて降りるかもしれない。が、余程の事情がない以上、給付してもらうためには、その事実ルールを避けては通れないのだ。

 ただ、昔はどうだったのか。さすがに始めから、現在のようにガチガチな規則で固めておいて、誰も易々と受け付けられるようにはしません、とまでにはいなかったと思う。

 そうは云っても時の移り変わりで、楽をして不正受給を横行した輩も少なくはなかったはずだ。おかげで、現在のような一筋縄ではまかり通らない状態までに、複雑に施されてしまったに違いない。


 いずれにせよ、事の経緯いきさつを気にしている場合ではない。前職を辞める以前に転職活動をしなかった私を含む大半の人たちは、あぶれ者という衣を羽織り、それぞれの目的をもってこの場所ハローワークに足を運んでいる。

 そこでイチャモンを付ける暇があるなら、あるいはこうべを垂れている暇があるなら、こちらの定めたルールに従って求職活動をしなさい。そういう意向が、少なくとも規則ルールとして込められているとも考えられる。

 人によっては、それを理不尽にして非情なものだと感じていることだろう。しかしながら、不満を募らせてばかりいては何も進まない。いつか降りていかなければならない場所から駒を進めていくしか、他に手段はない。

 人それぞれに何かしらの事情を抱えているにしろ、こうして今も取り巻く環境下からなんとしてでも打破しなければならないのだ。


 結局のところ「この場面ゲームに勝つのは規則ルールを作った人にある」という定理が、昔から根底にあるのだから。



最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!