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同期23人中23番目の男が、新人賞を獲った話

13年間勤めた美容ディーラー・ミツイコーポレーションを4月30日付けで退社し、5月1日より別の業界のスタートアップ企業に転職する金丸(35)です。

本日は「キャリアの振り返り3部作」の前編、「営業編」を書きます。
↓プロローグはこちらから

念願の美容業界入社!・・・しかし、

中学生の頃から抱き続け、何度も挫折をした“夢”
「美容師になる」「美容メーカーに入る」そして、「美容ディーラーになる」。

形は変わったけれど、苦難の就職活動を乗り越えて美容ディーラー・ミツイコーポレーションから内定をもらい、念願の美容業界に入ることができました。

↓美容業界に入るまでの話はコチラから

僕が生まれたのは昭和最後の年の昭和63年(1988年)。
同世代にはサッカーの吉田麻也選手、野球の田中将大選手・前田健太選手、ラグビーのリーチマイケル選手など世界的活躍するアスリートも多く、「逆境に強い世代」と呼ばれています。

それはなぜか。
節目節目で大きな出来事があり、大きな変化を余儀なくされてきたからです。

誕生と同時にバブル崩壊。
小学校入学前に阪神淡路大震災。
小学校中学年の時にゆとり教育導入。
中学校入学後に9.11アメリカ同時多発テロ。
高校3年生に履修漏れ問題が発覚。
大学2年生の頃にリーマンショックが起きて就職氷河期時代に突入

そして、ミツイコーポレーションへの入社を直前に控え、最後の大学生活を謳歌していた頃に大きな出来事が再び起きました。
それが「3.11 東日本大震災」です。

僕たちは東日本大震災が発生した三週間後に入社をしました。
日本全体が悲しみに襲われ、経済状況は悪化、原発問題などで多くの人が不安を抱えており、お祝い事やおめでたいことを自粛する状況の中です。

僕自身としては、憧れの夢の美容業界への入社。
期待に胸を膨らませて本社で行われる入社式に行きましたが、歓迎ムードではありませんでした。

入社式を終え、昼食の後の研修ではいきなり社長から怒られました。
世間が大変な状況にも関わらず、学生気分を引きずったまま少し浮かれた気持ちで入ったきた僕たちの身を引き締める目的だったのだと思います。

決して華々しくはなく、目の覚めるような入社式から僕の美容業界のキャリアは始まりました。

同期というかけがえのない存在

僕は、ミツイコーポレーションに入社して一番良かったことは何かと聞かれれば、「同期というかけがえのない存在に出会えたこと」と答えます。

「同期」とは、同じ年に生まれ、全く別の環境で育ち、たまたま同じ年に会社に入社した存在。
会社によっては、同じ時期に入社したただの職場の人という関係で何の思い入れもないかもしれません。

しかし、僕は「同期」に出会えたことは「奇跡」だと思っています。

新卒で入社した会社で生まれる、同世代の「同期」という存在は、一生に一回限りです。

僕たちは静岡本社で1ヶ月間研修を受けるため、県外の新入社員は静岡のレオパレスで暮らしていました。

毎日22時ごろまで続く研修を終えて、夜道を一緒に帰り、部屋で一緒にご飯を食べながら課題をやり、朝はまた一緒に歩いて出社して、休日はみんなで集まって飲み会。
どんどん距離が近くなっていき、研修中に一度だけ実家に帰れる機会があった際にもすぐに静岡に戻って一緒に遊んでいたほどです。

親元や友人から離れて1ヶ月間の共同生活を共にし、大変な研修を乗り越えてきたことで、どんどん絆が育まれていきました。

時に自分の身を削ってまで助け合い、また時には厳しく意見を交わす。
友達とも家族とも言えない、これまでの人生にはなかった「同期」という新たな関係の存在が生まれたことが何よりの財産でした。

配属後、地獄の日々

無事に全員で1ヶ月間の研修を乗り越え、僕たちは各拠点に配属されました。

僕が配属されたのは会社説明会で初めてミツイコーポレーションに足を踏み入れた始まりの地でもある、千種区・今池にある名古屋支社。

当時は名古屋に進出してまだ5-6年目で、新卒採用が始まって4期目。
社員はまだ30名ほどしかおらず、若くて勢いだけはあるような支社でした。

そこで僕は新人始まって以来の「ダブル担当」という制度で営業としてのキャリアを始めることになりました。
「ダブル担当」とは先輩社員と一緒に2人で予算(売上目標)を持つ制度。メンターよりも深く、一身一体のバディの様な関係になることが求められる取り組みです。

ダブル担当のお相手は、入社6年目の30代前半の男性社員。
当時、MVP(最優秀社員賞)受賞候補と言われるほど成果を上げていたエース社員の方でした。

エース社員の方に付けることはとても嬉しく、他の同期にはない自分だけの制度だったため優越感も感じていました。
しかし、それは地獄の日々の始まりでした・・・。

その先輩とは会社にいるときはピッタリと横につき、外回りは毎日同行。
エース社員で売れっ子だったためとにかく忙しく、解散は現地で23時ごろ。
そこから僕は電車に乗って帰るので家に着く頃には日付が変わっていました。
そして新人は先輩より早く出社する文化があったため、5時半には起きて片道1時間かけて7時半に出社。
いきなり環境が激変し、覚えることが多く脳みそがパンパンな中、睡眠時間は不足。
体力的に毎日限界で、土日は一日中家から一歩も出れなかった程疲れていました。

そして、更にその先輩は普段は優しくおっとりしているのですが、仕事に対してストイックで毎日厳しく怒られました。
そして、現場仕事の出身ということもあり、上下関係に厳しく、表現や伝え方も厳しい。
高校を喧嘩で中退したというその先輩の怒り方は凄まじく、「おい」と一言言われるだけで条件反射で背筋が伸びる様にまでなりました。

ある時は「お前は俺のキャリアの汚点だ」と夜中の3時まで怒られ続け、涙が枯れるほど泣いたこともあります。

更に
・先輩の社用車を会社の駐車場で壁にぶつける

・先輩のお客様に失礼をしてしまい、入社3ヶ月でいきなり2軒の出禁を食らってしまう

・100kmウォークという新人恒例の研修に参加し、70kmでリタイア

・毛髪知識の試験に不合格

など、ポンコツっぷりを遺憾無く発揮させてしまいます。
毎日の様に失敗をし、先輩に怒られる姿を見て、他の先輩社員からも冷ややかな目で見られる様になりました。

営業先のお客様からも「何もできない、ダメダメだな」と言われるほど。

「もう、自分はダメなのかもしれない・・・。」

期待に胸を膨らませて美容業界に入り、厳しい研修も同期と乗り越えて、ようやく営業としてデビューできたと思った時には肉体的にも精神的にもどん底に落ちていました。

お前、23番目だよ?

僕が毎日その先輩に怒られている中、同期は既に1人で営業をし始めていて、結果を出していました。
自分は1円も売上を上げられず、日々怒られるだけ。
僕はできない自分が悔しくて、同期と比較してずっと焦っていました。

そんなある日、採用から本社の研修まで担当してくれていた人事の方が名古屋支社にやってきました。

「調子どう?」と聞いてきた人事の方に対して

「全然うまくいかないです、毎日怒られてます。」と落ち込む自分に対して

「お前勘違いしてない?お前、同期23人中23番目の採用だったんだよ?
誰もお前ができると思ってないし、立派に落ち込んでんじゃねぇよ。」

と冷たく言い放ったその言葉を聞いて、なぜだかフッと心が軽くなりました。
その言葉は現代だったらコンプライアンス的に一発アウトかもしれません(笑)。

けど、その時の自分はとても救われました。

「あれ?自分って同期の中で一番下だったんだ。
じゃあ失うものも何もないし、落ち込んでる暇もない。
もう、やるしかないんだ。」

と吹っ切れました。

ここで終わったら本当のポンコツだ。
ここから巻き返して全員見返してやる。

正直に言うと、新人賞を獲りたいと思ったのはそんな気持ちからでした。

同期23人中23番目の男が、最後尾から逆転をするために「新人賞を獲る」という明確な目標を立てました。

新人賞を獲るための戦略

新人賞を獲るという「目標」に向かって何をしたか。

まず「美容ディーラー」の営業の「市場構造」について考えてみました。
「市場構造」と言うとかっこいいのですが、当時はどうやったら売上を上げられるか常に考えていた先に気づいたことがありました。

それは、美容ディーラーの営業は「短期目線の売上」「中長期目線の売上」に分けられるということです。

美容ディーラーの営業は、お客様に商品を購入していただいて売上を上げることが一番のミッションです。

カラー剤、シャンプー、ドライヤー、タオル、化粧品、椅子、鏡など、美容室で取り扱うあらゆるものが売り物です。

つまり、極端に言えば売上を上げるというミッションさえ果たせれば何を販売したっていいのです。

実際に会社から「これを売ってこい」と言われたことはなかったですし、一年目の頃からどのお客様に何を案内するかは自分で考えて自分で決めていました。
「どのお客様に何を販売するか」が美容ディーラーの営業の一番の腕の見せ所と言っても過言ではありません。

そして、僕はいろんな先輩を見てきて「短期目線の売上」で売上を作る人と、「中長期目線の売上」で売上を作る人がいることに気づいたのです。

「短期目線の売上」とは「売切り型の商品」を販売します。
カテゴリーで言うと、ドライヤーや美顔器など器具商品。
高単価なのでその場で大きな売上が上がりますが、リピートはしないので常に商品を提案し続けなければいけません。

「中長期目線の売上」とは「商品をリピート」して発注してもらう。
カテゴリーで言えばカラー剤や、パーマ液などの消耗品。
一つ一つの単価は低いですが、売上は安定し、どんどん積み上がっていきます。

今の言葉で言えば「ストック」「フロー」かと言うことです。

では、どちらの先輩の方が成果を上げていたか。
それは「中長期目線の売上」で売上を作る、「ストック型」の先輩でした。

当時、「炭酸ミスト」や「高級美顔ローラー」など高額の商品が人気だったのですが、僕は「短期目線の売上」を捨てて、「中長期目線の売上」を上げることに集中することを決めました。

なぜ、「短期目線の売上」を捨てて、「中長期目線の売上」を上げることに集中したのか。

それは包み隠さず言えば、先に成果を上げている同期たちに勝つことができる唯一の道だと思ったからです。

きっと、「短期目線の売上」で勝負をしても、先に成果を上げている同期たちには敵いません。

けれど、「中長期目線の売上」に集中してじわじわ伸ばしていければ、もしかすると最後に勝てるかもしれない、と言うわずかな可能性にかけるしか新人賞を獲る道はなかったのです。

なので、僕は「中長期目線の売上」で成果を上げている先輩たちを観察し、共通点をひたすら探していました。
その先輩たちの共通点は何か。

それは、「商品を販売しない」と言うことです。
営業なのに商品を販売しない?と疑問符が付くかもしれません。

しかし、実際にその先輩たちはお客様の元へ言っても一切商品を販売しないのです。
何も提案せず、何も売らず、お店を後にすることが当たり前なのです。

では、商品を販売せずにどのように成果を上げていたのか。
その答えは、「価値」を売っていたのです。

美顔器などの器具は製品そのものの特徴が一番の魅力で、価値を差別化するには「価格」ぐらいしかありません。

しかし、カラー剤やパーマ液などの消耗品は、その商品を使った新メニューや業務効率改善など、いくらでも付加価値を生み出すことができます。

成果を上げていた先輩たちは皆、お客様の元に足を運んで価値を提供し、中長期目線の売上によって成果を上げていました。

なので、訪問時に商品を販売しなくとも、どんどん売上が上がっていくのです。

美容室も美容ディーラーの営業も、モノを販売・購入して終わりの短期集中型ではなく、極端に言えば永遠に続いていくものです。

「顧客と信頼関係を築き、中長期目線で売上をつくっていく」

その為に「顧客の課題を発見し、商品を通じて課題を解決する」。
僕も先輩たちのように商品を売るのを辞めて価値を提供して、お客様の課題を解決しよう。

自分の営業の方向性(戦略)が決まったので、後は走るだけです。

新人賞を獲るための行動

戦略が決まったとは言え、僕はその時点で同期から遅れを取っています。
なので、僕は「人の倍やる」と言う作戦(戦術)を立てて実行していきました。

お客様から頂いた質問には他の人(競合他社)の「倍の速さ」で返答をする。
例えば、訪問先でもらった質問は車に戻ったらすぐに確認・調べて、そのまま車から電話を折り返して回答していました。

週1回・月4回配信と決められていた社内報を他の人(社員)の「倍の量」配信する。
年間48通配信すればいいところを、僕は年間100通配信しました。

目標の「倍の売上」を上げる。
予算は100%で達成ですが、自分の中の予算を200%に設定して達成する為にどうすればいいかを考えていました。

「絶対に新人賞を獲る」
後はこの気持ちを常に持ち続け、絶対に諦めないこと。

僕はこれまでの人生で勉強やスポーツなど、何かで一番になったことが一度もありませんでした。

それは、負けず嫌いな性格が故に、負けることを恐れて勝負を避けてしまうからです。

どこかで「負けるかも」と思った瞬間に折り合いをつけて努力することを辞め、自分が傷つかないようにしていました。

けれど、絶対にこの「新人賞」だけは獲りたい。
泥臭くても、カッコ悪くても、最後の最後までこの目標だけは絶対に諦めたくないと思っていました。

そして、全社員が見る社内報で「新人賞を獲る」と言う宣言をしました。

先輩社員には「お前が獲れる訳ない、調子に乗るなと」馬鹿にされました。
暴力や暴言など、いじめの様なことも受けてきました。

けど、それでも「新人賞を獲る」と言う目標のためにグッと堪えて笑顔で乗り切ってきました。

「絶対にいつか見返してやる」と言う想いを胸にしまって。

そして1年間、やりきった先に「新人賞」を獲得することができました。

「同期23人中23番目の男」と言われた自分が、一年かけて同期で一番になることができた瞬間でした。

「新人賞」とは振り返ってみれば、たった一年の出来事で評価される、それほど価値はない賞かもしれません。

けれど、僕の人生は「新人賞」を獲ったことで大きく変わりました。

新人賞を獲ってからお客様の見る目が変わって、更にお取引が増えました。上司の見る目が変わって、大きな仕事を任せてらもらえるようになりました。
それまで、冷ややかな目で見ていた人たちが一目置くようになって嫌がらせをされなくなりました。

そして何より、自分に自信を持つことができました。
僕はこれまでの人生で何かで表彰されたことも、一番になったこともありません。

そんな僕が初めて手にした賞が新人賞でした。
もしかしたら「営業の世界では自分はできるのかもしれない」、そんな風に良い意味で勘違いをさせてもらえました。

そして、新人賞を獲った後にも勘違いは続き、No.1営業を目指す道が始まりました。

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