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美容師になる夢をあきらめて美容ディーラーになるまでの話 vol.2(就職活動編)

13年間勤めた美容ディーラー・ミツイコーポレーションを4月30日付けで退社し、5月1日より別の業界のスタートアップ企業に転職する金丸(35)です。

昨日に引き続き、キャリアの振り返りvol.2をお届けします。https://note.com/tsukasa_kanemaru/n/n4ef2f759e71b

↑vol.1「中学〜大学編」はこちらから。
今回は「就職活動編」について書かせていただきます。


【就職活動-開始-】リーマンショック!就職氷河期時代の就職活動が始まる

単位の取得も順調に進んだことで進級や卒業の心配もなくなり、本来の目的である「夢を叶えるための就職活動」が始まる。
しかし、出鼻を挫くように世界を揺るがす大きな出来事が起きました。

それは2008年9月15日に起きた世界規模の金融危機、「リーマンショック」
僕達が就職活動を始める2009年になると、その状況は益々悪化しました。

リーマンショックの煽りを受けて経済が不安定になったことで、一つ上の先輩方が突如として企業から「内定取り消し」にあう。
また、企業の見る目が厳しくなり「内定枠が減少」するなど、就職活動の雲行きが一気に危うくなりました。

僕も連日流れてくるニュースや周りの声に急かされて、秋から就職活動を始めました。
夢は美容メーカーに就職することでしたが、「もしかしたらどこにも就職できないかもしれない」という不安もあったので保険をかける意味でも業界問わずとにかく多くの会社にエントリー。
エントリーした会社数は100を超え、住んでいる名古屋に限らず東京・大阪にも足を運んで会社説明会に参加し続ける毎日を送りました。

しかし、状況は想像以上に厳しく、全く選考が通りません。
選考を受けても受けても箸にも棒にもかからず、選考の初期段階で毎日の様に来るお祈りメールに落胆。

10月から始めた就職活動は冬を超え、春も超え、初夏を迎えてもまだ1社も内定が出ていないと言う状況になりました。
周りは内定が出て、就職活動を終える人も出てくる中で1社も内定が出ない状況に焦っていました。

そして、いよいよ始まった新たな夢・希望の「美容メーカー」の選考。
しかし、第一希望の美容メーカーの選考はあっさり一次面接で落選。
他に受けた美容メーカーも全滅
という結果に終わりました。

「こんなにも想っているのに、また夢が叶わないのか・・・」
再び夢が叶わない現実、まだ1社も内定が出ず全く光が見えない就職活動に、その時の僕は心身共にボロボロになっていました。

【就職活動-中盤-】「仕事は楽しいもの」父親からの言葉

就職活動に疲れ果て、絶望を感じていた時に光が差す、運命とも言える二つの出来事がありました。

一つは、”父からの言葉"
僕の父親は自営業で、自身が代表として会社を営んでおります。
あまりにも内定が出ない状況に弱っていて、就職活動から逃げたい気持ちから

「もう、お父さんのところで働かせてもらおうかな」
とボソッと呟いたところ

「え?いらないよ?就職活動から逃げて、楽して親の会社に入ろうとする人なんてうちの会社では必要としてないから。
というまさかの言葉が返ってきました。

「もういいよ、よく頑張ったからうちの会社に入りな。」
そんな救いの言葉をかけてもらえるんじゃないかと期待して呟いたのに、突き放す様な一言が返ってきて一気に背筋が伸びました。

就職活動に疲れ切って、もう社会に出て働くことに希望を持てなくなっていた僕は

「じゃあこの際だから聞きたいんだけど、お父さんは何のために働いているの?」
と質問を投げかけてみました。

すると、
「仕事が楽しいからだよ。」
という言葉が即座に返ってきました。

僕はてっきり「家族のため」「生活のため」という答えが返ってくるものだと思っていました。

僕の父は20代で起業をして、約40年間土日もほとんど休みなく働いています。
朝3時に起きて、5時に出社する毎日。
大きな病気を患い、死と隣り合わせの手術を受けたこともあります。

そこまでして仕事をするのは、「仕事が楽しいから」が理由だったのです。
仕事が楽しいから、好きだから、夢中になれる。
子供の頃から父の仕事に向き合う姿を間近で見てきたからこそ、その一言は腑に落ちました。

もう、逃げる場所はない。
時代を恨んだって何も変わらない。

そして、父の様に「夢中になれる仕事」に出会ってみたい。
覚悟を決め、もう一度真剣に就職活動に向き合うスイッチが入った父からの一言でした。

【就職活動】「美容ディーラーって知ってる?」美容師さんからの運命の言葉

そして、もう一つの運命となる言葉をもらったのは、高校生の頃から通っている美容室の"美容師さんによる一言"です。

髪を切りに行った際に就職活動の話になり、ずっと入りたかった美容メーカーに落ちてしまった話をすると

「金丸君、美容ディーラーって知ってる?
僕達がお客様に勧めやすいように目の前にあるPOPを作ってくれたり、僕達の技術が向上するためにセミナーを開催してくれたりすす仕事なんだよ。
美容師になりたい夢を持って、美容師を応援したい気持ちがある金丸君には、美容師との距離が近い、美容ディーラーさんの方が合ってるんじゃないかな?

という言葉をもらいました。
その美容師さんに教えてもらって、僕は初めて「美容ディーラー」という仕事が存在することを知りました。

美容師さんとの距離が近く、美容師さんを応援する、美容ディーラー。
まだ何かよく分からないけど自分に合っているかも・・・。」
そう思いました。

「美容師になる」夢を諦め、「美容メーカーに入る」夢も諦めた僕に訪れた、美容業界に入る最後のチャンス

美容師さんという仕事は髪を切ってきれいに、カッコよくするだけではありません。
髪のことだけでなく、お客様の"ライフスタイル・夢・悩み”を知っているからこそ、一言でお客様の人生を変えることだってできる

僕は美容師さんからもらった一言で、その日お店を出た瞬間から光が差すように希望が見えました。
そして後に振り返った時に、その一言は自分の人生を変える運命の一言になりました。
父親からもらった言葉と、担当美容師さんからもらった言葉がなければ今の僕はありません。
今でも感謝している出来事です。

そしてこの二つの出来事をきっかけに、「美容ディーラーとして美容業界に入り、美容師さんを応援する」と言う新たな夢をが生まれ、僕の就職活動は最終章を迎えました。

【就職活動-最終章-】ラスト二社!スタイリッシュな会社と暑苦しい会社

それまでにエントリーしていた他の業界の会社は全て選考を中断し、「美容ディーラー」二社に絞りました

その頃には既に真夏に突入していた就職活動。
内定という結果が出なければ美容業界に入ることはできません。
この二社で縁がなければ、美容業界への夢は諦める。
そう覚悟して二社の選考に臨みました。

第一志望は、運命の一言を頂いた担当美容師さんから紹介してもらった関東の美容ディーラー。

第二志望はリクナビでそのディーラーを登録した際に「この会社に興味を持った方におすすめ」で出てきた美容ディーラー。
後に僕が入社することになる、”ミツイコーポレーション"です。

第一志望の関東の美容ディーラーさんの選考実施場所は全て東京。
お金がなかった為、名古屋から毎回夜行バスで向かって早朝に到着し、漫画喫茶でシャワーを浴びて身なりを整えてから会社に行って選考を受ける。
そして、また夕方のバスで名古屋に帰るというスケジュールでした。

覚悟を決め、業界に対する熱意が伝わったからなのか、これまで以上に選考に手応えがあり「書類選考、集団面接、個人面接、グループワーク」とどんどん選考を通過。
いよいよ、最終面接まで進みました。

一方で、並行してミツイコーポレーションの選考も開始。
東京の一等地にある関東の美容ディーラーと違い、名古屋の今池駅から徒歩20分の住宅街に位置します。
猛暑の中、リクルートスーツで歩き続けて汗だくになりながらようやく到着したその会社はお世辞にも綺麗とは言えませんでした。

「まぁ、第二志望だし滑り止めのつもりで」
と期待せずに会社の扉を開けると、

「こんにちは!よろしくお願いします!暑い中ありがとうございます!」
と、新入社員らしき方が大きな声で元気一杯に笑顔で迎えてくれました。
そのあまりの元気の良さに、こちらも笑ってしまう程でした。

僕達の就職活動はリーマンショックの煽りを受け、有効求人倍率数が1倍を切る、企業側優位の「超・買い手市場」の中行われました。
更に、僕達の世代が「ゆとり世代」と言われていたこともあり、企業から向けられる目は大変厳しくありました。

圧迫面接は当たり前で、会社説明会で怒鳴られるなんてこともありました。
企業側としては募集する人数よりも遥かに多くの学生が申し込んでくるので、イニシアチブを取って採用活動を進めることができたのです。

超・買い手市場の就職活動で、「来てくれてありがとうございます」と言ってくれる会社なんてなかったので驚きました。

少し古い建物の急な階段を三階まで上がると、受付の方や他の社員の方が同じように元気いっぱいに迎えてくれます。

そして、会社説明会が始まると僕達の前にズラッと社員が並びました。
会社説明会は通常、採用担当者・先輩社員含めて2〜3名で行われるところ、この会社では10名近い社員により行われました。

「なんだか、変わった会社だな・・・」

そんな第一印象を抱いていると、僕達の一つ上の新入社員が4名も登場。
一発芸をしたり、会場を和ませようと冗談を言ったりしていましたが、夏まで突入した、鬼気迫る就職活動をする僕達学生はとても笑える状況ではありません。
むしろ、これは試されていて、笑ったら落とされるのではないかと疑心暗鬼になっていた程です。

そんな状況でも、新入社員の姿を後ろから温かく見守っている他の社員が大きな声で笑ったり、野次を飛ばしたりしていました。
こんなにもチーム一体となって行う会社説明会はこれまでになく、仲が良い会社なんだなと思いました。

そして「営業のエース」と紹介されて、ある先輩社員が前に出てきました。
その人は営業の癖に人見知りなのか、俯きがちにボソボソ話しをし、話の構成はあっちに行ったりこっちに行ったり支離滅裂。
学生の自分が「本当にこれでエースなのか?」と感じてしまうほど。

しかし、その人は「仕事のやりがい」というテーマに入り「お客様からのメッセージが書かれた色紙」を何枚も手に広げると、真剣な眼差しで僕達に語りかけてきました。

「僕達の仕事のやりがいは、美容師さんからありがとうと言われることなんです。
会社からお金をもらって仕事をしているのに、美容師さんからありがとうと言ってもらえる、そんな素敵な仕事なんです。」

決して話が上手な訳ではないけど、その一言に心が動かされました。

「人を綺麗に、かっこよくして、喜んでもらって、お金をいただける。」
その人が話していた美容ディーラーの仕事は、僕が中学生の時に夢を抱いた”美容師”の仕事と似ていました。

その対象が美容室に来店するお客様なのか、美容師さんなのかの違い。
やることは違えど、志は同じなんだと強く共感しました。
その人が、後の上司になるとはその時はまだ知らずに。

駅から遠くて、建物が古くて、ちょっとダサい。
けど、社員の仲が良くて、情熱があって、人を大切にしている。
「変な会社だけど、良い会社だったな」と思いながら徒歩20分かけて今池駅まで歩く帰り道、最終面接を控えている第一志望の美容ディーラーとの間で気持ちが揺れ始めました。

【就職活動-最終章- ラスト一社!夢への扉】

そして、先に最終面接に進んでいた関東のディーラーの選考を追いかけるように、ミツイコーポレーションの選考も最終面接まで進むことができました。

淡々と進んでいくスタイリッシュな関東のディーラーと、暑苦しいぐらいウェットな情熱的なミツイコーポレーション
気持ちはミツイコーポレーションに揺れ動いていましたが、僕の夢はあくまで「美容ディーラーとして美容業界に入ること」。
「二社の内どちらか一社でも内定をもらえれば・・・」と願い、両社の最終面接が始まります。

先に選考があったのは、関東の美容ディーラ−。
これまでと同じように名古屋から夜行バスで向かって早朝に到着し、漫画喫茶でシャワーを浴びて身なりを整え、ギリギリまで近くのカフェで面接対策をして会社に向かいます。

そして、いよいよ最終面接が始まりました。
扉を開けると先方の社長が座って待ち構えています。

しかし、面接が始まると
「バイトって何してるの?」
「名古屋にあるコメダ珈琲という喫茶店でバイトをしております」
「あぁー、あそこ落ち着くよね。僕も名古屋に行った時は良く使ってるよ。」

なんていう、選考にはあまり関係がなさそうな話をして30分ほどで呆気なく終了。
肩透かしを食らい、「最終面接、こんなんでいいのか?」とモヤモヤした気持ちと不安を抱きながらまた夕方発の名古屋行きバスに乗って帰りました。

「最終面接まで進めばほとんど内定が決まっているので雑談で終わることもある」という話もあったので、自分に言い聞かせるように良い結果を待っていました。

しかし、待てども暮らせど選考の結果が来ません。
痺れを切らしてこちらから先方に確認すると、返信することを忘れていたかのようにすぐにお祈りメールが届きました。

夢への切符を掴みかけたと思ったら、またもスルりと手から滑り落ちていきました。

「こんなに足を運んだのに」「あの面接で何が分かったんだ」という納得できない感情。
そして、これまでに何度も届いてきたお祈りメールを見て「またか・・・」という落胆。
しかし、もう落ち込んでいる暇はありません。

「そうだ、自分はそもそもミツイコーポレーションの会社説明会を受けてきた時から気持ちが揺れ動いていたじゃないか。
この会社を落ちたのはきっとそういう運命だったんだ。」
そう、自分に言い聞かせてミツイコーポレーションの最終面接に臨みました。

その頃には8月に突入。
10月から始め、100社以上エントリーをしてきた、約1年間に渡る就職活動もいよいよミツイコーポレーションが最後の1社です。

最終面接は静岡本社。
静岡までの新幹線代が支給されることにも、これまでに受けてきた会社とは違った温かさを感じていました。

覚悟を決めて本社に足を踏み入れると、少し強面の恰幅の良いおじいちゃんの様な方とバッタリ会いました。
この会社の人なのかどうかも分かりませんでしたが、ミツイコーポレーションの会社説明会で新入社員の方が迎えてくれた時と同じ様に元気いっぱいの大きな声で「こんにちは!本日はよろしくお願いします!」と言って挨拶をして階段を登りました。

控室で順番を待っていると、いよいよ声が掛けられます。
緊張の面持ちで重厚な役員室の扉を開けると、そこには横一列に7名の面接官がギュウギュウに座って待ち構えていました。

その中には、先ほど挨拶をしたおじいちゃんも座っています。
なんと、そのおじいちゃんはミツイコーポレーションの社長だったのです。

開口一番、そのおじいちゃんが「さっきは気持ちの良い挨拶をしてくれてありがとう。うちの会社は元気の良さがウリだから君みたいな子はピッタリだね。」と言ってくれました。

その時点で運命的なものを感じ、認めてくれたことに涙が出そうになりましたがグッと堪えました。

そしていよいよ始まった最終面接は関東のディーラーの時とは違い、自分という人間を知ろうと、面接官の方達が前のめりになってどんどん質問を投げかけてきます。

飛んでくる質問に必死に答えていくと、面接官同士で「いいね、いいね」「○○さん、そんな質問したら可哀想ですよ」と笑い合っています。
それは、これまでに受けてきたマイナスな部分を引き出して落とすことを目的とした圧迫面接とは反対で、人の良い部分を引き出して合格することを目的とした面接でした。

出だしから好調で、終始和やかに進んだ最終面接。
しかし、最後の面接官の番になった瞬間に一気に他の面接官から笑顔が消え、口を閉じ、空気が一変したことが分かりました。

その最後の面接官の方は、創業者で当時会長の三井正文さん
圧倒的な存在感に僕も一段と背筋が伸びました。

今までとは一段と違った鋭い質問に対して、「美容業界に対する想い」「美容ディーラーに就職したいという熱意」「ミツイコーポレーションに感じた魅力」を熱意を込めて伝えました。

競合他社である関東のディーラーの選考を受けたことについても質問され、最終面接で落ちたことも包み隠さず答えました。

難しい質問が飛んできて曖昧に答えてしまった時には
「それは違う!君ならこの質問の意図が分かるはず。時間を使ってもいいからもう一度しっかり考えてから答えて!」と叱咤激励をいただくこともありました。

考え直した答えが会長の求めるものだったようで、最後には「そう!その通り!」と言っていただいて一時間の面接が終わりました。

そして、お礼を伝えて背を向けてその部屋を出ようとすると

「おい!○○(最終面接で落ちた関東のディーラー)に負けんなよ!」
という言葉が、僕の背中に飛んできました。

振り返ると、先ほどまで厳しい顔つきで質問をしてきた時とは打って変わって、温かい笑顔の会長がいました。

僕はその瞬間、初めて会社の一員として認められた気がして、扉を出た瞬間にずっと抑えていた涙が溢れてきました。

後日、ミツイコーポレーションから届いた封書を開けると内定通知書が入っていました。
僕は、美容業界に入るという夢への切符を最後の最後にようやく獲得することができたのです。

そして、約一年に渡って行ってきた就職活動もようやく終わりを迎えました。
本当に辛く・長い就職活動でしたが、徹底的に自分と向き合い、何度も何度も立ち上がり、ひと回り強くなれた、かけがえのない経験でした。

「夢を諦めなかった先にあるのが運命」

「美容師になる→美容メーカーに入る→美容ディーラーに入る」
振り返ってみると、中学生の頃に抱いた夢からは大きく変わってしまっていいました。
けれど、たくさんの障害を乗り越えて夢を諦めなかったからこそ手にした、美容ディーラーと言う仕事に就くことが僕の運命だったのだと思います。

「夢は諦めなければ必ず叶う」とは思いません。
けれど、夢を諦めなければ必ず得られるものがあります。
僕は、それがその人の人生の運命だと思っています。

両親と親に夢を反対され、大学では落ちこぼれになり、新たにできた夢である美容メーカーも全部落ちました。

決してスマートな人生ではないけど、諦めずに何度も立ち上がってもがき続けた結果、景色が変わっていきました。
時に立ち止まり・遠回りし、それでも夢に向かって進み続けることによって、自分だけの道から登ってきた山から見える、自分にしか見えない景色。
その景色を見ることが人生の醍醐味であり、後戻りはできない歩いてきた道が一人一人の人生そのものなんだと思います。

僕は中学生から10年間登り続けた山の山頂にようやく辿り着き、また新たな山を登り始めました。

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