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【脱力系】吉田松陰の一生

こんにちは。
今日は、幕末の奇跡の偉人、吉田松陰の一生を、脱力系でゆるーく、お伝えしたいと思い、少しポップにまとめてみました。

吉田松陰の年表

吉田松陰の波乱に満ちた30年のまとめです。(年齢は数え年です)

1830年(1歳) 誕生🤱
1834年(5歳) 吉田家の養子となる
1838年(9歳) 9歳にして兵学師範に就任❗️
1840年(11歳) ————/アヘン戦争が起きる/
1842年(13歳) ————/アヘン戦争で中国がイギリスに負ける/
1842年(13歳) 松下村塾に入門する✍🏻
1846年(17歳) 外国船渡来の風聞を書き記す📝(外夷小記)
1850年(21歳) 九州を旅して友達を作る👬
1851年(22歳) 江戸へ幽学。九州の友達👬と約束した東北旅行に行くため脱藩⁉️
1852年(23歳) 東北旅行🏞から帰り、萩へ戻され、藩士の身分剥奪される。
1853年(24歳) ————/黒船来航/アメリカ艦隊が浦賀へ/ロシア艦隊が長崎へ/
1853年(24歳) 再び江戸に戻る。ロシア艦隊🚢に乗り込むため長崎へ行くも間に合わず
1854年(25歳) 再び来航した黒船に乗り込む🚣‍♂️(→萩へ戻され、野山獄へ)
1854年(25歳) ————/日米和親条約が結ばれる/日露和親条約も結ばれる/
1855年(26歳) 📖「孟子」にハマって、獄中でも出獄しても説きまくる。
1856年(27歳) 松下村塾記を書き記す📝(久保五郎左衛門に贈る)
1857年(28歳) 松下村塾を引き継ぎ、塾生たちのハートに火をつけまくる💓
1858年(29歳) ————/日米修好通商条約が結ばれてしまう/
1858年(29歳) 「こいつの思想ヤバい😳」という理由で野山獄へ。(→松下村塾も閉鎖)
1859年(30歳) 安政の大獄で江戸に送られ、老中暗殺計画の罪で処刑される🥀

年表の解説

幼い頃から優秀で、10歳で先生をも務めた天才の前に、西洋列強の脅威が迫っているという構図が見えてきます。青年時代の松陰にはこんな情報が耳に入ってきたと思います。

海外は恐ろしく強いらしい
日本の幕府はヤバいらしい

それを確かめるように日本中を遊学して、日本の現状を知り、日に日に危機感を募らせ、天下のために己がなすべきことを探索する松陰。

答えを探索する過程で、友人の宮部鼎蔵と東北への遊学を約束して大事件を起こします。出発の日の1日前になっても藩から遊学の許可が降りなかったため、松陰は暴走します。

仲間との約束を破るくらいなら
俺は死を選ぶ!

そう言って、当時の重罪であった不法出国、いわゆる脱藩をしてしまいます。家族や身内にも大きな迷惑をかける可能性の高い脱藩ですが、松陰は天下のために仲間との約束を優先したんだと思います。

脱藩の罪で藩士の身分剥奪されて、自宅謹慎となるのですが、松陰の類稀なる才能を惜しんだ藩主から、向こう10年間の国内遊学の許可が与えられ、もはや無敵のスターマリオへと変貌していきます。

そんなこんなで日本中を遊学して、まず出した答えが、

異国のやつらに勝つには、
こいつらの技術を学ばないとアカン!
こいつらの船に乗って
異国に連れていってもらわないとアカン!

そしてペリー艦隊の黒船に乗ろうとするも失敗。その後投獄されるも、

獄中で囚人相手に孟子を講義して大フィーバー

自宅で幽囚処分になってる間に、

幽囚室で孟子を講義して長州のスーパースター

脱藩してまで日本中を遊学し、命を顧みず黒船に乗り込んだという誰にも真似できない武勇伝をもつ長州のスーパースターが独自の視点で解説する孟子の講義は長州では大人気に。なんと言っても、解説するだけでなく、とにかく考えさせて傾聴するスタイルで、

君はどう思う?・・・なるほど、素晴らしい
君はどう思う?・・・ほぉ、何故そう思う?
君はどう思う?・・・

気がつけば、

将来有望な若者が集うアクティブラーニング道場
「松下村塾」

という看板を掲げて、明治維新合格率ナンバーワンの塾として有名になります。もはや東進ハイスクールもスクールIEも敵いません。

いつやるか? 今でしょ!

行動が伴わない思考など無意味と、塾生全員を焚き付けて、みんなのやる気スイッチをバンバン付けまくっていきました。

しかし、大義名分が揃うと猪突猛進になってしまう松陰先生は、少し行き過ぎてしまうこともあるようで、

老中暗殺?・・・いつやるか?!
今だろ、コラァ!!

そう言って、猪突猛進の先生の勢いを、塾生の必死の制止でも止められず、かなりヤバい男でお馴染みの高杉晋作からも、

先生、それちょっとヤベェっす

と止めに入られますが、全く聞く耳持たず、

山があったら登るだろ!?
黒船があったろ乗り込むだろ!?
老中がいたら暗殺するだろ!?

と言ったかどうかは分かりませんが、賛同しない者たちを批判し出し、さらには長州藩に対して、

ちょっくら幕府と戦ってくっから武器をくれ

と言ってビビらせてきます。

(こいつ、今まで大目に見てきたけど、流石にヤベェな)

これによって松陰は萩の獄中に送られ、松下村塾は閉鎖されてしまいます。

そしてその時、江戸では安政の大獄にて井伊直弼が猛威を奮っていました。この一連の騒動の中で獄死した者と関わりがあったということで、松陰が江戸に呼ばれて役人から問い詰められます。しかし、この件は特に問題なく、話は終わりました。

終わったにもかかわらず、松陰はここぞとばかりに幕府の役人の心を動かそうとします。

お前たち幕府の人間は
天下のために働いているか?
俺は天下のために誠を貫く男だ!
俺は嘘は言わない!
老中の暗殺こそが正義に違いない!
たがら俺は老中暗殺を考えている!
君はどう思うんだ?
聞かせてくれ!

と言ったかどうかは分かりませんが、問われてないにもかかわらず、老中暗殺計画を幕府の前で話してしまった松陰先生。これには幕府も慌てて松陰を捕らえ、安政の大獄の渦中、30歳の若さで処刑されてしまいました😢

とまぁ、吉田松陰の一生を、ざっくりと綴らせていただきましたが、もう少し詳しく見ていきたいと思う方がもしいたら、次回のnoteを見ていただければと思います。

コテンラジオ

この記事で触れているエピソードや、そのエピソードに対する視点は、Podcast「コテンラジオ」の内容をもとに書いています。

このコテンラジオは、私の歴史の見方を大きく変えてくれました。

歴史は、昔から語り継がれた秀逸な人間ドラマとしての物語の面白さを味わうだけでも価値はあると思いますが、さらに、今の時代と照らし合わせて見ることで、今の時代の見方に関しても、とても視野を広げてくれるものだと気づきました。それだけでなく、ただでさえ面白かった過去の物語も、現代と照らし合わせて見ることで、その奥深さもさらに理解できるようになるので、結果として、人が作る社会に対する理解がとても深まることに気づきました。

不確定性の高い時代と言われる現代社会において、過去と対比することで、その不確定性や多様化する価値観の異常さを、色濃く把握することができると思います。そのような中でも、過去の歴史から自分が共感できる時代のエッセンスを抽出して、自分の中心にあるコンパスにインストールすることで、迷うことなく、自分の価値観に基づいた航海ができるのではないかと思っています。

参考文献