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シンパシーとエンパシー、二つの共感力

共感力を示す英単語には「シンパシー」と「エンパシー」の二つがある。僕なりに説明すれば、シンパシーは相手に感情移入したり仲間だと思う、相手を自分と同じだと思う感情。エンパシーは、相手は自分と違うことを前提に、相手の気持ちを想像する能力。シンパシーの方がきっと僕たちの多くが想像する「共感」という言葉に近いと思う。分かりにくいのは、エンパシーがシンパシーとどう違うのかだと思う。

マンガやエッセイで読むシンパシーとエンパシー

ドラマにもなった松田奈緒子の「重版出来」にはこんな説明が出てくる。

ざっくりまとめて、二つとも「共感力」って訳されててるけど。自分の理解では「自分と同じだ」と思うのがシンパシー。「他者を理解したい」と思うのがエンパシーかな。

松田奈緒子「重版出来!」6巻第31話

ブレイディみかこの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」ならこうだ。

オックスフォード英英辞典のサイトによれば、シンパシーは「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」「2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為」「3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」と書かれている。一方、エンパシーは、「他人の感情や経験などを理解する能力」とシンプルに書かれている。つまり、シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」なのである。

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」5章

シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だが、エンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」5章

どうだろう。ピンときただろうか。実は僕はピンとこなかった。分かった気はするけど、でも例えば目の前に辛いと感じる人がいて、自分も同じように辛さを感じるシンパシーだろうと、それは感じないけど辛いだろうなどうにかして欲しいだろうなと思うエンパシーで、じゃあ何かしてあげられることはとなって区別できない気がする。ここからこっちはシンパシー、ここからそっちはエンパシーみたいな線引きがイメージできなかった。

シンパシーでないこと、エンパシーでないこと

シンパシーから生まれた「シンパ」というカタカナ語は、この二つを区別する一つの手掛かりになる。思想信条政治理念などに賛同する仲間、イメージでいえば「同士よ!」と声をあげて肩を組める相手がシンパだ。これが「その意見はすごくよくわかるよ!でも僕の意見は…」とか言い出す相手なら、これだって共感(エンパシー)だけど、これではまあ肩は組めない。シンパじゃない。

これはエンパシーがシンパシーにならないケースだけど、最近「共感疲労」という言葉の本来の意味を知って、これが逆のシンパシーがエンパシーにはならない例だと気づいた。もともとは介護など医療従事者に見られる問題として提起されらしい。花王のサイトに掲載された『自らの感情をコントールし続けると生じる「共感疲労」とは?予防策も解説』が、タイトルも説明も分かりやすい。

介護スタッフ様は、どんなに腹が立っていて怒りやイライラした感情をあらわにせず、相手の立場や思いに寄り添い受容や傾聴の姿勢を示し、ご利用者様の前では自らの感情をコントロールして対面するよう求められています。(略)例えば、「次の業務が待っているから早く切り上げたいのに、目の前のご利用者様を放置できない」「本当はイライラしているのに笑顔で対応する」といった、ご利用者様に対して抱いた何らかの感情を抑制したり、抱いていない感情を抱いているかのように振る舞ったりする状態が挙げられます。(略)その場面において社会的に職業上望ましいと思われる感情を実際に抱いているかのように振る舞い、自分の内に湧き上がってくる感情をなだめ、別の感じ方に加工し、感情の感じ方そのものを意図的にコントロールしようとすること。こうした自己の感情コントロールを日常的に経験し続けると、感情の消耗をもたらすことになります。

自らの感情をコントールし続けると生じる「共感疲労」とは?予防策も解説

「共感疲労」や「思いやりの疲労」と訳されるCompassion fatigueを、UCF ONLINEではこう説明している。

共感疲労(Compassion fatigue)をもっともよく説明するのは心配することの代償(cost of caring)だ。医療従事職者が患者と接触し共感(empathize)することには、精神と感情の苦痛が伴いうる。

How to Cope with Compassion Fatigue in Healthcare | UCF Online

シンパシーで疲れるのは、相手の感情に引き付けられて揺さぶられて自分の感情が大きく動くからで、動き続けていれば疲れる。エンパシーで疲れるのは(少なくとも医療従事者の共感疲労という問題は)どうもその逆、相手の感情に配慮して自分の感情を抑制、ときには抑圧してふるまうからで、感情を抑圧したストレスが積もり続けて耐えきれなくなる感じだ。医療従事者は患者と共に嘆いているわけにはいかない。彼らの負う共感疲労の意味を知ったときに、僕はシンパシーは感情、エンパシーは作業や能力(=感情ではない)という話が腑に落ちた。

共感疲労という言葉は、東日本大震災ウクライナ侵攻の報道視聴に関連して話題になった。この中には、もちろん感情を揺さぶられ続けるシンパシー疲れの一面もあると思う。ただもう一つあるのは、被災者の状況や感情を思い「何かしてあげたい」という使命感を抱くことと、実際にできることが乏しい無力感からくるジレンマ、そのもどかしい感情を押し殺して日常をおくる日々が重なるというエンパシー疲れだ。これは医療従事者の共感疲労と同種だと思う。

職場ではシンパシーもエンパシーも大切

シンパシーとエンパシーの違いは、「同情と(狭義の)共感」とか「感情と能力」とかいろいろ言われるけど、でも実際に共感が働いている場面を思い浮かべるとどちらか区別できないことがおおくて、はっきりと違いをイメージすることが難しいように思う。そこでここでは「シンパ」や「共感疲労」といった、シンパシーとエンパシーがはっきり区別がつく例を探してみた。

Indeed キャリアガイドの「職場におけるエンパシーとシンパシーの違いとその重要性とは」によれば、職場においてはシンパシーとエンパシーはどちらも重要だという。シンパシーに基づく行動、エンパシーに基づく行動として以下が挙げられている。簡単にまとめれば「思いやる心」と「助け合う行動」と言えるかもしれない。

■仕事でシンパシーを示す方法
・他者に寄り添う
・メモを書いたり、カードを送る

■仕事でエンパシーを示す方法
・相手の立場に立って考える
・傾聴を実践する
・軽率な判断をしない
・行動する

チームは利害関係だけでなく「思いやる心」で支えあうし、競争や個人プレーだけでなく「助け合う行動」で問題を解決し前に進む。この原動力であるシンパシーとエンパシーの二つの共感力を意識して高めたり使いこなしたいと思ったら、まず最初にこの二つの違いを明確に意識できるイメージが必要だろう。そうじゃないと、例えば料理には甘さと辛さ(しょっぱさ)が大切だと知ってるけど、砂糖と塩との区別がつかない、みたいなことになってしまう。料理であれ職場であれ、激甘も激辛もあまり健康的ではなさそうだ。


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