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モンテッソーリ教育を知る。序

兄夫婦の息子がいく保育園がモンテッソーリ教育なるものであると、
この正月に聞き、興味を持っていたところ
妻が図書館で予約していた本が
「マンガ モンテッソーリの幼児教育 ママ、ひとりでするのを手伝ってね!」
でした!!すご!!
(原作:相良敦子、マンガ:あべようこ)

そして読んだところ、
自分が目指していたのはこれだったんだ!!
と、目から鱗でしたので、参照してシェアいたします^_^

基本はとてもシンプル
子どもの
「自分1人で出来るように、手伝ってください!」を尊重する、
ということ。
素晴らしい。


本はこう始まります。
「モンテッソーリが発見した子供の見方や考え方を知ると、子供の健やかな成長を助けるのが上手になります。そして大変だった子育てが、ぐんと楽になるのです。」


アフロ田中で読んだんだけど、
しんどくて、寝不足で、思い通りにならなくて、
子供が可愛いと思えない、子どもがいる日々が幸せだと思えないことが、
母たちが、自分がダメな母だと責めるきっかけになるのだと言う。

モンテッソーリでは、思い通りにならない理由を明らかにする。
だから子どもを、ぐっと我慢して見守り、待つことができるのだと。
待つことができれば、もしかすると、
懸命に頑張っていることがわかって、可愛い、愛しいと思えるようになるのかもしれない。
心が少し軽くなるかもしれない。
「こうしないと!」から自由になれるかもしれない。
それがミソなのかもしれない。
僕はまだまだ子育て初心者ですが、その希望を持ってこの学びをいかしていきたいと思います。


5回に分けて記事を書く予定です。
第1章 自分でやりたがるのは子どもにとって大切な「自立への第一歩」
第2章 反抗期ではなく、「敏感期」
第3章 子供の「知性」が働く時
第4章 「活動のサイクル」
第5章 「秩序」のある環境を整える


<For Christian>
ここからはクリスチャン向け。

モンテッソーリとクリスチャンの歩みについて、
深いつながりを感じたのです。
モンテッソーリの本質は
「子どもを忍耐して見守る=待つこと」「秩序が作られていく過程を大事にする」にある、
そうなるとそれは、信仰生活、クリスチャンの成長と同じだと思ったのです。

忍耐して見守るとき、子どもの中に与えられている
「良い方向にいく力」を信じることが必要となります。
それを信じられる根拠は、神が世界と人間を「非常に良い」ものとして造られたという事実だと思うのです。
神が愛して導かれていることが、安心して成長を待てる根拠なのだと。

また秩序が造られていくという見方には、
成長の鍵があるのだと思うのです。
一つ一つ、段階的に秩序が造られていく、
それは神が僕らを、その時々に必要な機会を与え、言葉を与えて、成長を導いていくことと同じだなぁと思うのです。
思えば、創世記に描かれる世界の創造も、段階的に「秩序」が造られていきます。
モンテッソーリによれば、子どもは、敏感期(反抗期ではなく敏感期)に、
周りの世界にたいして「秩序」を作っていると言うのです。
(知性の順序の章も重なります)
それは神の世界の造り方と同じで、歴史の中で完成に向けて御心が段階的に成就していくことと同じで、クリスチャン一人一人がキリストの似姿に段階的に変えられていくことと同じだと思うのです。
反発して、疑って、見て、聞いて、触って、理解して、成長していく。
(聖書の教え方は、「こうしなさい」もあるけど、多くはただただ失敗を見せる感じ。それもモンテッソーリっぽいよね)
子どもの素直なその姿から、僕らも学ばないと、と思いました。
知らなかったことを知った時、できなかったことができた時、
すごく嬉しくなって、満面の笑みで、神の方を見たいと思うのです。

神の導きを知ること、信じて待つこと。
その前に「良い」と知ること。
それがモンテッソーリ教育なのかな、と思いました。

そっ
「愛するのに時があり、憎むのに時がある。
 戦いの時があり、平和の時がある。」
「神のなさることは、すべて時にかなって、美しい。」

<追記>
ここまでモンテッソーリを見てきて、
僕はクリスチャンとしての成長にこそ
モンテッソーリ教育が必要だと思いました。
信仰生活が喜びとなるまで「知る」のを待つ。
戒めが道標となるまで、待つ。
ここまで導かれたことの意味を信頼して、
これからの導きを期待する。
内におられる「良いもの」を信じて忍耐すること。
それがあるべき信徒教育ではないだろうか。
上から「教育」して、ルールで縛ることが多い気がする。
それは「さばく人」を作ってしまうのではないだろうか。
めっちゃむずいけど(笑) 絶賛修行中。
あと、禅もいいよね。

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