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小説『走る。』 4話

 帰り道、いつもの土手を歩いて帰る。
土曜日の午後、人は少ない。
最後に仙人に言われた言葉を考えずにはいられず、頭の中でくるくるとさせながらふらふらと帰っていた。その時、
「あ! 紗良さん!」
今日は紗良さんをデートに誘おうと思ってたんだった。すっかり忘れていた。急に思い出して声に出してしまった。

もやもやしてきて、
「よし、戻って誘いに行こう!」
と、つぶやいて振り返るとそこにはあの、教室で睨んできたショートカットの女の子がいた。
「うわ!」
大きめの声で驚いてしまった。
すぐ後ろを歩いていたらしい。
ムッとした顔でこっちをにらんでいる。
「なんなの、その反応」
よくよく見てみるとだいぶ若い。
おそらく美大の受験勉強であの教室にいる高校生だろう。

「い、いや。ご、ごめんなさい」
なんとなく謝ってしまった。
「私、りこっていうの。あなたは?」
「ま、松田。松田走一郎やけど」
「え、関西の人なの?」
いきなり目を輝かせ始めた。どういうことなのだろう。
よく見るとかわいい顔をしている。
とても紗良さんにはかなわないけど。
なんといってもまだ幼いよな。うん。好みじゃない。
紗良さんにはなんともいえない洗練された美しさがある。どうしてあんな雰囲気を出せるんだろう。体から紗良さんがあふれ出してるもんなぁ。どこか儚さもあって目が離せなくなるんだよなぁ。あぁ、もっと知りたいなぁ。
「ねぇ!」
ドキィッ。我に返る。
「何考えてんの? あ、どうせ紗良さんのことでしょ」
「え、え、なんでよ。そんなこと、まあ、あるけど」
「ふーん。そうなんだ……。
 まあ気持ちはわかるけどね。キレイだもんねあの人。
 どうしてあんなキレイな人が、あんな仙人みたいな人の娘なんだろうね。
 絵も透き通ってキレイなん……」
「む、娘ぇ?」
細い肩をガシッと掴んでしまった。りこはびっくりした顔で、
「な、なによ。知らなかったの?
 だいぶ歳は離れてるけど、たしかに娘だよ。」
「ええー! だってあんなに仙人は、仙人で、紗良さんは娘で……」
自分でも何を言っているのかわからなかった。
「何を言ってるの?」
りこはクスクスと笑う。
「そうか、娘か。よく考えてみたら、大きな目は似てるな。うん。娘か」
「なんなの?
 やっぱり面白いね。関西人」

 りこの家は土手をちょっと行ったところにあるらしく、少し回り道だったが家まで送ってあげた。
土曜の昼間、天気も良く、広い空が気持ちよかった。
初めの攻撃的な雰囲気がウソのように、家に着く頃には、りこは素直でよく笑うちょっと生意気な女の子という印象になっていた。
十八歳らしい。

思い返すと、教室でチラッと見た彼女の絵は、当然のように自分より遥かに上手いが、それ以上に堂々とした、芯の強さを感じる絵だった。
六歳も下の女の子に、たしかにあの時、尊敬の気持ちを抱いたことを思い出した。

 家について、
「あ、紗良さん」
またも忘れていたことに気が付いた。
りことの時間が楽しかったのだ。
気持ちは充実していた。まあいいか。紗良さんのことも聞けたし。
あ、そういえば紗良さんの絵は見たことないな。
もっと紗良さんのことを知っていきたいな。

 そういえば、二十四歳が十八歳の女の子の肩を掴む姿は、見る人が見たらやばかったんじゃないか。やばいやばい。と、言いながら笑えてきた。


 また土曜日が来た。
教室には宣言通り猫がいた。
真っ黒な猫が鋭い目でこっちを見ている。

時間になり、周りが描きだすのと一緒に描き始めた。
今日のウォーミングアップはどこか南米の国の仮面だった。
斜め後ろにりこがいた。
椅子をちょこんと蹴られて振り返ると、にしし、と笑っていた。

 ウォーミングアップが終わりいよいよ猫の絵に取り掛かる。
ウォーミングアップもウォーミングアップで楽しかった。
いつも一風変わったものがお題として提供される。
素人ながら、筆が温まってきたぞ、と鉛筆を持ちながらグッと姿勢を正してスケッチブックに向き合った。

 十分後、めちゃくちゃ難しいことに気付く。
まったく考えていなかったが、猫は動くのだ。
躾けられているのか台の上からは降りなかったが、とにかく動く。
寝ていてでもくれればいいものを、周りにたくさん人がいて警戒しているのか、ずっとそわそわしている。
どう描きだそうにも、目を向けるたびにポーズが変わる。
さらに、毛がふわふわとしていて境界線が曖昧なせいで、どうしても質感が出ない。それなのに動く。
何枚もスケッチブックの紙を無駄にする。
「これは見ながら写生するというわけにはいかないな」
ぶつぶつと独り言を言いながら戦略を練る。
「このままでは作品が完成しない。
 どうしよう。無理やり止めることもできないし。うーん」
一度、体の力を抜いてみる。
ふぅっと短く息を吐き、
「よし、描くのやめよう」
と言ってみた。
「まずはじっくり見てみよう。絵が浮かぶまでじっくりと」
 じっ。
キョロキョロと落ち着きがなかった猫もこっちの視線を意識しているように見える。

そのとき、猫がこっちをグッと見た。
そして目を離さずにずっと見ている。
しばらく見つめ合っているとグーッと目の中に吸い込まれるような感覚になった。
静かに座っている猫のオーラのようなものが激しく目の前に迫ってきた。

これだ!
この感覚を描こう!

そう思って、座ってただこっちを見ている絵を描いた。
描いている間、猫を見るのを止めた。
見ずともスラスラと描いていくことができた。
時々、細かいところを確認するために手を止めて観察した。

二時間ぴったしで描きあがった。
仙人がニコニコしながら近づいてきて、
「描けましたか?」
そう言ってスケッチブックを持ち上げてじっくりと見始めた。
「ほう」
その時、目の奥が少し真剣になった気がした。

「いいですね。来週、これに色をつけてみましょうか。おーい、紗良!」
「はーい!」
奥の部屋から紗良さんが出てきた。ドキドキと胸に緊張が浮き出てくる。
「画材買いに行くのを手伝ってやってくれ」
「わかった。いいよ。
 松田さん、行きましょ。今からでいい?
 あ、でもその前にこの子を家に連れて行ってからでもいいかしら?
 用意するから少し待っててください」
そういって紗良さんは猫を大事そうに抱きかかえて奥の部屋に入っていった。

 すると、仙人は振り返ってほかの人のところに行ってしまった。
「あれ? これだけ? 指摘は?」と、思ったが、よく考えるとそれどころではなかった。
こっちから誘おうと思っていたデートが向こうから舞い込んできたのだ。

 「やっぱり俺はツイてる。
 小四の時のビンゴ大会でも、あのゲームが当たったし」
抑えきれず口元が緩んでいたのがわかった。
ふと横を見るとりこが帰り支度をしていた。

「じゃあ、行きましょうか」
五分程経った頃に紗良さんが出てきた。
その間にりこはすっと帰ってしまった。

紗良さんの家は、教室から歩いて十分ぐらいのところにあった
仙人の家でもあるのがうなずける、味のある古民家という感じだった。
大きくもなく小さくもない温かみのある家で、裏に森があり、太陽と木々に包まれた、とても透き通った雰囲気だった。

そこから駅まで歩き、電車で二駅。
連れていかれたのは思ったより大きな建物の画材店だった。
そこで油絵の道具を一式買った。
すべて紗良さんが取り揃えてくれ割引までしてもらってくれた。
こういった趣味で必要なものはすごく高いイメージがあったため、ある程度の覚悟はしていたが、ふたを開けてみるとすべて揃えても一万円をちょっと超えるぐらいと、そこまで高くないと感じた。

店での滞在時間は一時間程で、僕らは来た道を帰った。
「お礼にご飯おごりますよ」
と、言いたかったが、言い出せなかった。
移動している時も買い物をしている時も緊張して言葉がなかなか出てこなかった。
良い天気ですね、とか、風が気持ちいいですね、とか、何の面白みもない会話しかできず、気分は落ち込む一方だった。

ついに終わりの時がきて紗良さんが、
「じゃあ、私はここで。楽しかったですね。絵、頑張りましょうね」
そう言って、ニコッと笑って去っていった。

紗良さんを見送った後、ドッと疲れが出てきた。
憧れていた紗良さんとのデートが終わった。
楽しかったかどうかはよくわからなかった。
たしかに目の前で見る紗良さんは綺麗で、独り占めしていることはとてもうれしかった。
ただ楽しませてあげられない自分の無力感は募っていくばかり。
優しい目を向けられれば向けられるほど情けない気持ちになった。
そのとき、ふっと、りこの顔が浮かんだ。
楽しそうに笑い、コロコロと表情を変えるりこを思い出すと体と心が少し軽くなった。
最後の紗良さんの笑顔は、思い出すとなんとなく申し訳ない気持ちになった。

土手を歩いて帰る。
あたりは夕日に照らされて真っ赤に染まっていた。
川の水が光を反射してキラキラしている。
広い空に重い心が解き放たれていくようだった。
立ち止まってしばらく川を眺めていると、自分がスケッチブックを持っていることを思い出した。

「そうだ、絵を描こう」

ぽつりとつぶやいて、川に向かって姿勢を正した。
教室の外で風景を描くのは初めてだったが、今の気持ちを描き残しておきたいと思った。
土手にドカッと座ってスケッチブックをリュックから取り出す。
描き始めると案外スラスラと描き進めることができた。
ただ、教室で描くのとは描くものの数が全然違う。
当然だが圧倒的に外の方が多い。
それでも丁寧に太陽に近いところから描いていった。

あたりは段々と暗くなり、橋の近くの大きなカトリック教会のステンドグラスが綺麗に輝きだした。
絵を描いてみなければ気づかないことがいっぱいあった。
この土手はいつも通っているのに、おれは今まで、川の向こう側を意識したことがなかったんだな。
カトリック教会をはじめ、パン屋やおしゃれな喫茶店もあることに、今日初めて気づいた。
何よりあんないい感じの駄菓子屋があったなんて。
小さいころ、学校帰りに通っていた大好きな駄菓子屋は今でも思い出す。
関西で大学に行っていたときは、近くに駄菓子屋などあるはずもなく、残念に思っていたのだ。行かねば。

絵を描きながら行ってみたい場所が増えていった。
暗くなり始めてから夜までは早かった。
絵が完成する前に手元が見えなくなるほど暗くなってしまったので、今日は切り上げてまた今度続きをやることにした。

立ち上がって歩き出した頃、教会から出てくる人影があった。
なんとなく目で追っていると、
「あれ? りこ?」
りこに見えた。
遠くて小さくて顔は見えない。見えないのになぜかそう感じた。
その女の子は橋を渡って、小走りでりこの家の方に消えていった。


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他の話はこちら!

1話:https://note.com/tsuka_joji/n/n5583b0044819
2話:https://note.com/tsuka_joji/n/n3de35a7b0edb
3話:https://note.com/tsuka_joji/n/n75a490bf8ad4
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最終話:https://note.com/tsuka_joji/n/n24cb28548056

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