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パン種プロジェクト(仮)の記録②


“パン種プロジェクト(仮)とは、 辻村優子が、明後日の方向「長い墓標の列」ドナルカ・パッカーン「オッペケペ」への連続出演を通して、福田戯曲に通底するものを浮かび上がらせ拡張していく試み。同時に俳優が主体性をもって企画に関わることの仕方の提案と実践の試みです。 二つの作品を行き来することが、発酵したパン種が引き裂かれるときに伸びて広がるイメージに似ていることから。 でももっといい名前がありそうなので(仮)です。”

前回記事の冒頭

西悟志さんという演出家の方がいらっしゃいます。

演出家であり、「オッペケペ」出演者です。川上音二郎をモデルにした城山という役での出演です。この説明だけで「おっ!」と思ったあなたはきっと福田善之通!年末ぜひ観に来てくださいね。

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こちらが今のところの情報!

そんな西さんと9月のとある日にTwitterのスペースをやろう。という話になり。で、その時西さんに「二作連続出演企画、名前あった方がいいよ」と言っていただいて、出てきたのが「パン種」。

なぜ、パン種

はなしは西さんとスペースをする三時間前にさかのぼります。

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新宿のど真ん中に都会のサンクチュアリ!

日和下駄さんという俳優がいます。
円盤に乗る派という劇団にいて、今年の6月に「仮想的な失調」という作品で共演しました。それに限らず下駄さんは話すといつも的確なアドバイスをくれるので、私は事あるごとに下駄さんにアイデアを喋ったり喋らなかったり。

実は「福田善之作品二作連続出演する!」と意気込んで演出家二人に話をしたところまでは良いのですが、じゃあその二作を通して私は何をしたいんだい?みたいな事はずっと一人で考えてるわけなんですよ。
誰かにこれを話せないものか。
「…下駄くんだ!」

そんな感じで連絡をしたら快く会ってくれて(ありがたや)写真はその下駄さんと待ち合わせた伊勢丹の屋上です。
この日は下駄くんと俳優の石川朝日さんが集まってスタニスラフスキーの「俳優の仕事」を読む読書会だったようで、朝日さんも伊勢丹の屋上にいました。伊勢丹の屋上の芝生でゴロゴロしながらしゃべりました。ちなみにこの日朝日さんは「俳優の仕事」を持ってくるのを忘れたらしくて、そりゃいいね!と思いました。

下駄さんにはまず二作のあらすじとか演出の方向とかを話して、まあ説明するつもりで話し出しても脱線したり。
精神分析の話から、欲望についての話になって、実行するかどうかは別にして欲望を開陳する。自分の中にある欲望についての話がパンチラインだったな。

作品内容と社会を結び付けて自分のしてることを説明することは可能かもしれないけど、そのずっと前に、私自身の「やりたい」という欲望があるし、
あと今回やりたいと思ってる企みが他にいくつかあって、それは例えば「べちょべちょ」という質感を表現することだったり、
客席にいる人をもみほぐす「ほぐしばい」の探求だったり。
それらすべて私の欲望なんだな。

乾いた理屈の前に、湿った欲望がある。

そのことを人に話すのは初めてだったけど、話してみたら確かにそうなんだよな、と、おのれの欲望を認めざるをえなくなった。
人にそれを話すのはなんかちょっと恥ずかしかった。

で、伊勢丹の屋上は19時で閉まっちゃうので場所変えて話題も変わって、
6月の「仮想的な失調」の話になった。

「仮想的な失調」は演出家が二人いる現場でした。演出家が二人いるってどういうことだ、てなるかもしれませんが、現場も、演出家が二人いるってどういうことだ、って考えながらの試行錯誤(ざっくりすぎるけど)で。

で、私は振り返るとそれが良かったなと思っていたんですね。

なにがって、私は幽霊という役だったんですが、ないわけです、正解が。どうしていいかわかんない。でも演出からの何かしらはある、それも二人の言葉がある。もう、引き裂かれるわけです。意見が違っているから間にいて引き裂かれるとかじゃない。一人一人の言葉のイメージが、出所が、違う。私も、違う。その「違うさ」に何かずっと着地することを拒むような、常に漂い保留が重ねられながらも、その現れては消えていくアイデアや言葉に引き裂かれ続けてるような感覚。まったく直線的ではない。二人の演出家の間でびよーんびにょーんと引き裂かれながらどうにも説明しにくい四次元的な作り方、みたいなものを見つけていった感じ。まあ、実際は今言葉にしているようなスムーズさはなくてまさに手探りでしたが。

上演に向かっていく直線を疑うこと。色んな事の狭間に自分を置いて、どうにも落ち着けないようにすること。これを続けていった先に、わたしなりの他者との共存、すなわち本当の意味で演劇をする、ということが考えられるんじゃないだろうか。

下駄さんと話す内に、そんなところにたどり着いていました。
「ありがとう…下駄くん!」

キーワードは「引き裂かれ」

で、時間は西さんとのスペースに戻ります。「なんか名前あった方が良いんじゃない?」と言われてとっさに思い出したのがこの引き裂かれというワード。二つの作品それぞれに出演し、別々に完成させていくというより、一人の作家で底の方では繋がっていながら、二つの現場、二つの役、世界観、関係者、様々な要素「違うさ」の狭間を漂い引き裂かせる。それは質感で言うと、ムズッとつかんで両手で引っ張ったときに、いきなりブチッと千切れるでも、だるーんと伸びるのでもなく、手に抵抗する強さを持ちながらも外から与えられる力を拒否しきらずに形を変えて伸びていく、発酵したパン種の感触に似ているな。と思ったわけです。

それで、パン種。

でも正直ほっこり感が前に出すぎててなんかもっと良いフレーズありそうなので(仮)です。

いずれにしても、二作に同時に関わることによって自分が引き裂かれ拡張していくことをイメージしています。とか言いつつ「ねえ引き裂いてよ!」みたいにこっちから積極的に引き裂かれようとしても、それは違う気がするので、まずは目の前の事象(戯曲とか現場のやりとりとか)に耳を澄ませていこうと思ってます。



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