【5分でホラー】悪友の部屋で遭遇したモノ
「俺、もしかしたら就活しなくて良くなるかも」
1杯290円のハイボールを片手に、順平はにやにやしながら俺にそう言った。
語尾が少し上がり調子になっている。こいつがよからぬことを考えている時は大概そうだ。
ナンパ師になると言って講義をサボって渋谷に入り浸った結果、単位を落としそうになりテスト前に俺に泣きついてきた。
スゲー人と仲良くなった、と言って大騒ぎしてSNSで自慢気に投稿を繰り返していた癖に、そいつがネットワークビジネスの幹部だと知って絶望したメッセージを送ってきたときもあった。
今度は何だろうな。
俺は無意識にタバコがないか探ってしまう手を意識から逸らそうと、店員を呼んで2杯目のビールを頼む。
5回目にして、ようやく今までで一番禁煙が上手くいっているというのに、酔いが回ると何故だかタバコが無性に欲しくなってしまう。
人間の体は、健康を害し、死に近づく物ほど我慢できずに欲してしまう。全人類、その本性はどMなのだろう。俺は昔から密かにそう確信している。
「お前なー、いくらなんでも現実逃避が早すぎるだろ」
「逃避じゃない。今の状況を考えた結果、新しいビジネスが思い浮かんだんだよ」
新しいビジネス。
胡散臭さに眉を顰める俺を先回りするかのように、順平の口はどんどん回り始めた。
「俺が霊感強いの知ってるだろ」
「知ってる。信じてないけど」
「信じろよ!そこが俺にしかビジネスチャンスってわけ」
「何だ、占い師でもするのか?」
答えを期待せずにビールを呷る俺に、順平は自信満々に言い切った。
「俺が出会う幽霊たちをインタビューして、その内容をネットにアップしていくんだよ」
「…はあ?」
またコイツは突拍子もないこと言って。そんな話に毎回相槌を打ちながら説教をする俺の身にもなってほしい。ここの会計は全部こいつに持ってもらおう。
「俺の部屋、霊道って言うの?毎晩割と新顔がふらっと来るんだ」
「居酒屋の店長みたいな言い方だな」
「で、そのまま居座られても困るから毎回気づいてないふりしてやり過ごしてたんだけどさ…気づいたんだ。すっげー勿体ないことしてるって」
順平がぺらぺらと得意気に俺に話した「ビジネス」を要約するとこういうことだ。
順平の部屋にやってくる幽霊…人生の諸先輩方にインタビューをする。どんな人生を送っていたのか。最期はどうだったのか。死んでみての感想(何だそれは、と思ったがひとまず黙っておいた)。
「な、絶対皆興味あるだろ」
「興味はあっても胡散臭いし不謹慎だ。そもそも信じてもらえないし、ビジネスにはならない」
「胡散臭くて不謹慎なものがネットの世界じゃ一番ウケがいいし、皆結局見ちゃうんだよ。で、俺は広告収入やらなんやらで儲けられる」
「それで一生食っていける訳ないだろ」
「もし飽きられたらこの経験を活かしてしれっと就職するさ。企画立案力。
行動力。PDCAサイクル回しました。どうだ、完璧だ!」
こいつの頭の中のお花畑を焼き払う方法を誰か教えて欲しいと俺は切に願った。
順平の「ビジネス」の話を聞いている間に冷めてしまった焼き鳥を一本取って口に運ぶ。歯に挟まった鶏むね肉の繊維を舌で取り除きながら、俺はどうやって順平の軌道修正を図らせるか、密かに考える。
「で、ここからようやく我が親友、長村隆太くんにもビジネスチャンスが与えられまーす」
ぱちぱち、とわざとらしく拍手をする順平に思考が遮られる。俺はまた眉をひそめた。
「な、協力してくれよ」
いつものように愛嬌たっぷりの笑顔でそういう順平に、俺はため息をついた。
**************
何度か入ったことのある順平の部屋は、いつものように規則性のある散らかり方をしていた。本人のこの部屋での動線が目に浮かぶようだ。行動も思考も、どこまでも筒抜けな男だ。
「この布団、買った時から全然使ってないからさ。隆太専用にしていいぜ」
「どうせアヤナのために買ったやつだろ」
アヤナというのは順平が猛烈にアタックして付き合ったものの、わずか2か月で破局した恋人のことだ。途端にうるせーよ、と不機嫌な声を出す。
忙しく都内を駆け回る、品行方正な就活生である俺にこんなくだらないことを頼んでいるのだ。このぐらいの嫌味は言わせてほしい。
「じゃ、俺もう寝るから。何かあったら頼むな」
そういって順平はいそいそと布団に潜り込んでしまった。ものの10分経たないうちに、すーすーという寝息が聞こえる。
全く、いい気なもんだ。
ふー、と俺は息を吐いた。ゲームでもして時間を潰すか。ESをやるかと持ってきたものの、順平のいびきをBGMに書いたものは全て1次選考で落とされてしまいそうな気がして、やめた。
それから、どのくらい時間が経っただろうか。
ゲームのステージを3面程クリアした俺は、いい加減に飽きてしまっていた。動画でも見たいところだったが、如何せん目が疲れてしまう。
あー、とおっさんみたいな声を出しながら、目を瞑り、首を回しながら肩を回していた時だった。
「…う、うぅ」
呻くような声に、はっとして、順平の方を見る。
さっきまで呑気な寝顔だったのが、どことなく苦しそうな顔に変わっていた。
俺は慌てて、スマホで順平の顔をクローズアップする。
順平の頼み事と言うのは、何か自分に異変があった時に撮影して欲しい、ということだった。
確かに、インタビューできるかどうかはさておき、遭遇している間の映像ぐらいなければ、本当にただのホラ吹き男の妄想動画になってしまう。
「勿論定点カメラは回すけどさ、そればっかりだと絵が単調でつまらないし…俺が寝言言った、とか。そんな時でいいから、ちょっと別の角度から撮っておいて」
こんな早々に出番があるとは。
とは言っても、ただ単に悪夢にうなされているというだけかもしれない。アヤナのことを俺が持ち出したばっかりに、夢の中で修羅場を繰り広げているという可能性もある。
録画ボタンを押し出して、2分。
以前顔が険しそうだが、変化は見られない。いつまで回そうか、と考え出した時だった。
生臭い匂いが鼻についた。
子どもの頃、動物園の触れ合いコーナーに行ったときのことが脳裏に蘇る。急になんだ、とスマホの画面から視線を逸らした時だった。
順平に、何かが覆いかぶさっている。
四つん這いで毛むくじゃらのそれは、さしずめ、猫をもっと大きくしたような体躯をしていた。体全体が真っ黒な毛で覆われていて、動くたびにそれがうねうねと揺れている。
頭だと思わしき部分がよく見えないのは、順平の首筋に顔をうずめているからだ。かろうじて見える耳のようなものは、やはりネコ科の動物のようにも見えた。
匂いが益々酷くなる。獣の匂いと、腐臭が混じったようなそれは息をするのも辛くなってきた。
いつからこいつは、ここにいたのだろう?
「うう…うぁあ」
再び聞こえた順平の声で、突如として現れた得体のしれないモノを目の当たりにして痺れ切っていた俺の頭がやっと動き出した。
かろうじて持ったままだったスマホの画面越しに見ると、正体不明の獣は映っていない。アップで映っているのは、さっきよりもはっきりと顔面蒼白になっている親友の顔だった。
このままだと死んでしまうのではないかもしれないと思った瞬間、その獣の息遣いが聞こえた。
はあぁあ・・・
口を開き、長い舌で、順平の顔を舐めている。見え隠れする鋭い牙が順平の首筋に当たりそうになる度に、ぞくりとした寒気が体中を襲った。
頭にあるはずの目がついていない。真っ黒の塊の中を引き裂くように、牙と舌だけが上下に動いている。
小刻みに震える左手を動かしながら、ローテーブルに置かれていたテレビのリモコンを掴む。
意を決して、獣に向かって投げてみた。-----当たったように見えたが、反応はない。
そうしている間にも、順平を気に入ったのか、毛むくじゃらの体で押しつぶすようにして密着し始めた。
やめろ、という声が頭の中に弾けた瞬間。順平と初めて出会った時のことが急に思い出された。
サークルの新歓コンパで隣だった順平は、やや気後れしていた俺にマイペースにやたらと話かけまくってくれた。
変なやつだなあ、とその時は思ったが、ただのお人よしで良い奴なのだと、分かるまでにそう時間は要しなかった。
スマホを握っていたスマホをゆっくりと下ろす。
胸ポケットから、ぐしゃりと潰れていたタバコを取り出した。
禁煙が上手くいかないことを、純平に何度いじられたか分からないが、この日のためだったんじゃないかと思う。
咥えたタバコに火をつけると、俺は獣に向かって思いっきり煙を吹きかけた。
部屋全体を占めていた酷い匂いの中に、嗅ぎなれたタバコが一筋、混ざる。
獣が、動きを止めた。
ゆっくりと、純平から体を離す。そしてそのまま、のそり、と前足を向けるような形で俺の方に体を向けた。
はぁあぁあああ・・・
さっきよりも、長い息遣いが聞こえる。威嚇しているのだ。全身が逆立つような感覚を覚えたが、負ける訳にはいかなかった。
目の前で横たわる男は、俺の人生で一番の親友なのだ。
相も変わらず震える右手で口元からタバコを離しながら、もう一度、煙を吹きかける。
その瞬間、目の前を黒が支配した。ぢくぢくとした毛が顔に当たっているのを感じると、黒の視界からざくろのような赤に変わった。
俺の顔面を、口を広げた獣が今にも噛みつこうと覆っていた。とてつもない怒りを込めて俺と向き合っていることが感じられた。
俺の両肩を、獣の両足ががっしりと掴む。こんな力で覆いかぶされていたのなら、あんなに顔も蒼くなるはずだと頭の片隅で思った。
最初から決めていたかのように、右手が勝手に動く。
火がついたままのタバコを、獣の口の中に放り込んだ。
じゅっ、という握りつぶしたような音が、部屋の中に一際大きく響いたように感じた。
************
「…た、隆太」
ぺちぺち、と頬を叩かれる感触で起こされる。
目の前には獣の代わりに、こちらを怒ったような顔で見ている順平の顔があった。
「起きたのか」
「起きたよ。っていうか、お前も寝ちゃったら意味ないだろ」
「…途中まではスマホ回してたよ」
ほら、と見せながら、二人でカメラロールを確認する。やはり、うなされている順平しか捉えていなかったが。
「うーん、まあいいか。今回は何も遭遇しなかったし」
「・・・はあ?」
信じられない気持ちで親友を見つめる。冗談を言っているようには見えなかった。
「嘘だろ、お前。あんだけうなされていたのに」
「えー?ちょっと寝苦しかったけど…特別何も無かったよ」
黙りこくった俺の心情を全く無視して、順平はいつもの調子でべらべらとしゃべり始めた。
「ていうかお前、タバコ吸っただろ?うちのアパート禁煙なんだからやめろって!大体意思が弱いなー。俺のこと色々偉そうに言える立場じゃ…いったぁ!」
俺の平手を諸に受けた順平が大袈裟に抗議した。
「何すんだよ!!」
「うるさい。やっぱりお前は真面目に就活しろ」
床の上に残された小さな焦げ跡だけが、俺の勇気を称えてくれているのだった。
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