【5分で読めるショートストーリー】飲めないOLが高級バーに行ってみた
持ち手が折れそうなほど細いワイングラスに、そっと口づける。
私の舌に広がるのは果実のような酸味が少し。そして次に感じるのは圧倒的な渋み。反射的に眉を寄せてしまうのを自分でも感じる。
いつもは絶対に来ないような高級なバーで頼んでも、結局、私の舌はアルコールの類全般を、こういう風にしか認識ができない。
ためいきをついた。
『俺、一緒に最後まで飲んでくれる子がいいんだよね』
飲み会の席で好みのタイプを聞かれた大山さんの一言。席が遠かったにも関わらず、私は周りの会話そっちのけで大山さんめがけてアンテナを全開にしていた。
それを聞いてああ、この恋は不戦敗だ、と悟った。
私は昔から、アルコールを美味しく飲めた試しがない。まだジュースのようなチューハイであれば太刀打ちできる。
けれど、ビールやワイン、焼酎、日本酒。おおよそ、大人の男女が嗜み、人間関係構築の後押しをしてくれるようなそれらを、私は楽しむことができないのだ。
ブルーのシャツが社内で誰よりもよく似合う、大山さんの爽やかな笑顔を思い浮かべる。
それと同時に、私が今いるバーで語らいを粋に楽しんでいる人々を無遠慮に観察した。
皆、育ちも景気も性格も良さそうな顔立ちをしている。女性は皆一様に美しかった。少々お歳を召したマダムも、その気品と立ち振る舞いが洗練されていて、惚れ惚れするようだった。
自分が座っている、高級そうな艶々とした美しい木目のカウンターに視線を落とす。ああ、自分はここにそぐわない人間だ、ということを実感する。
大山さんとこういうところでデートしてみたかったな。
バーテンダーさんの背面にずらりと並ぶボトルの壮健さにも気後れしはじめ、もう帰ろうかと思っているときだった。
「…ワイン、苦手なんすか」
妄想に耽っていた私に、急にかけられた声にぎょっとする。見ると、大学生風のひょろりとした男の子が、私のことをまじまじと見ていた。
私と同じ、と言っては大変失礼だが、素朴というか、あまり垢抜けていない風貌は、このバーと中々にミスマッチだった。まあ、同じようなことを思われているかもしれないが。
「あ、えっと…はい、あんまり」
「お酒自体、駄目ですか。もしかして」
「うーん…子供舌なんでしょうね。甘いやつじゃないと楽しめなくて…」
明らかに年下の男の子に敬語で答えながら、誰なんだこの子は。何なんだ、急に。と、警戒心を全開にしながら答えた。
「じゃ、ミモザとかどうですか」
「ミモザ?」
間抜けにおうむ返しをした私に、男の子はここ、とメニューを指さした。
「スパークリングワインをオレンジジュースで割ったカクテルなんすけど…ここのは特別美味しいと思います」
へえ、と思いながらメニュー表を眺める。オレンジジュースで割ってるなら飲めそうな気もする。
けれど、やはり子供っぽさが抜けきれないそれを飲んでいる自分を想像すると、何となく情けなくなった。
「美味しそうだけど…」
ちなみになんすけど、と彼は私の言葉を待たずに続ける。
「世の中で最も贅沢で美味しいオレンジジュース、って言われているらしいっす」
こくん、と喉が鳴った。世の中で最も贅沢で美味しい。そんな、子供の頃に読んだ漫画のような飲み物に、万年妄想だらけのオタクな私が惹かれない訳がなかった。
ヒカルくんの夢はバーを開くことらしい。勉強のために、都内のバーを色々とめぐっているそうだ。カクテルが出来上がるまでの間にそんな話を聞きだした。
私が密かに積み上げて作った心の防壁が、いつの前にかやや崩れてきている。
可愛げのある人たらし風の話し方も親しみやすい。接客業向いてそうだね、と伝えると満更でもなさそうな顔をした。
「おねーさん、全然美味しそうに飲んでなかったから。気になっちゃって」
そうか、やはりそんな風に見えていたか。大山さんの顔がまた浮かぶ。そもそも、私が大酒呑みであっても大山さんとデートできる保証はどこにもないけれど。
「お待たせしました」
バーテンダーの方が恭しく差し出したカクテルを見つめる。
鮮やかな、見るからに元気がもらえそうなオレンジ色がグラスの中で存在感を放っていた。
店内の暗い照明でも分かるぐらい、しぼりたてのフレッシュさが伝わってくる。
自分が作ったわけでもないのに、どこか嬉しそうなヒカル君に向かって軽く頷き、グラスに口づけ、ゆっくりと味わう。
「…美味しい」
オレンジジュースの甘味が、スパークリングワインの渋みを内包して、深い味わいに仕上げている。
子供の頃に親しんだあの味ようで、少し違う表情を見せるそれは、舌全体にその余韻を残して、私の喉を滑り落ちていく。
「でしょう」
益々嬉しそうなヒカル君に、うんうん、と頷いた。
「お酒、苦手かもですけど…カクテルだったら色々種類あるし。自分と相性が良さそうなもの、探すのも楽しいかもしれないっす」
そう言ってにやり、と笑う。
「う、うん」
10個以上年下の男の子の不敵な笑みに、僅かに体温が上がった、気がした。
きっと、体内に注がれたアルコールのせいだ。私はそう言い聞かせながら、彼に年上の余裕を見せるべく、微笑みを返したのだった。
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