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「なにもない」という全てに慣れすぎてしまっただけの人達


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会社で日報を提出していた時に事細かに書かされていてすごくため息をついてた記憶があるんだけど、帰宅して「どうだった?」って聞かれたときに「今日もなんもなかった」って答えてたな、って感じのお話。


書くことがない?

「お前どんだけ無味乾燥な日々を送っているんだよ!!」って言う人がおったりするけど、違うんだよなあ...と。

んなこと言ったら、僕はどうなる?
てきとうに起きて、散歩して、コーヒー飲んで、ゲームして...そんな日々を繰り返してますけど。

noteネタ帳は一応持っていて、ざっと見ただけで60個くらいあるわけなんだけど、この違いってなんだって思うわけですね。


学級日誌の特にない

これに一番近いのって、小学校の学級日誌だと思うんよ。
各授業でやったことを書いて、自由欄があって放課後に提出するやつ。何もなかったら自由欄の部分には「特になし」って書いてさ。

書くことがないってこれと全く同じだなと。

授業で習ったことなんて当たり前すぎて見向きもしない。
初めて知ったことばかりなのに、授業という当たり前から発生したものだから大したことではないと思っている。

『身体測定』とか『スポーツ大会』とか『終業式』とか、そういうものを特別だと思ってなにか書いたりする。直近だと成人式センター試験、これからだと節分とかバレンタインデーあたりかね?


無味乾燥なのは

感性』じゃねーかなーと。
特別を探し続けてる感じ。いや、そんな特別なんて早々あるわけないが。

じゃあその1回目が特別だったとして次はどうする?
またがんばって探す?それともくり返す?

どっちにしろそのうち行き詰ってしまう。
慣れてしまえば終わり、どんどんグレードが上がっていく『特別』。セルフ賽の河原状態ってやつか。

そのうちデスゲームでも始めちゃう大富豪の黒幕みたいになっちゃいそう


100円落ちてたという出来事まで下げろ

下を向いて歩いていたら100円落ちてた!ラッキー!!で十分じゃないかな。ダメ?ならいくらなら良い?

とか出来事や行動で縛るとろくなことにならん。
ここからなにか書ける能力を持てばいいんじゃない?

例えば、上を向いて歩こうとか言うけれど本当なのか?とか100円を落とした時は拾うのに1円は無視する人もいる話、とか落ちてた場所から落とした人を想像してみたりとかnoteっぽい内容を一瞬で考えてみたけどどう?
使ってもいいよ?


そんなわけでハードルを下げる。頭を使う。簡単ですね。
もう書くことがないわけがないんで面白い記事をたくさん投稿してください。よろよろのよろ。



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検索ワード:灰色の世界
クリエイター:てっちゃん さん
ありがとうございます。


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さて、特別のハードルを下げろとは言ったけれどすぐにできるようになるかというとそんなことはないと思っている。
ここからはできない人向けのアドバイスとして書いてみる。
僕が最近気をつけていることでもある。


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