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子供の成長と人生儀礼

人生儀礼とは

 古来より、日本では、人生の節目節目において、様々な祝いの儀式が行われます。これらは人生儀礼と呼ばれ、家族・親戚を始め友人や知人、地域の人々らにより盛大に祝われます。これらの祝いは、近世後期の故実書『貞丈雜記』に「祝と云ハ神を祭る事也」とある様に、無事に節目の日を迎えることが出来たことを神仏に感謝し、今後の益々の健康を祈るとことを中心に構成されます。こうした儀礼は、家庭を中心とした小さな共同体「家(イエ)」と、氏神神社を中心とした地域の大きな共同体「村(ムラ)」の繋がりを深める上でも大きな役割を果たしてきました。
 現代に至る迄、人生儀礼の形態は様々な変化を経ており、おそらくこれからも時代に伴い変容することでしょう。しかし、人生儀礼に込められた思い、即ち子供の無事な成長を願う家族や多くの人々の心は時代を問わず共通するものであり、それらをこれからも受け継いでいくことは大変重要ではないでしょうか。本稿では、子供の成長に伴う人生儀礼について取り上げます。それぞれの儀式の意義について理解を深めると共に、ご自身の経験とも重ね、家族や地域との関りについて改めて思いを馳せて頂けますと幸いです。

帯祝い

 子供を授かり、最初に行われる人生儀礼は「帯祝い」として知られています。一般的には、妊娠5か月目の暦が「戌」の日に、妊婦が実家に帰省し、岩田帯と呼ばれる腹帯を巻き、安産を祈る儀礼です。犬は安産・多産型の動物であることに肖り、戌の日が好んで選ばれる様になりました。その起源は、神功皇后が三韓征伐に赴かれた際、後の第15代應神天皇をご懐妊中の為腹帯を巻かれたことに由来します。「岩田帯」の語源は、結肌・斎肌から転じたとも、岩の様に逞しく堅固にとの意ともいわれています。また、医学的には、腹帯の着用は、妊婦の身体的負担の軽減や衝撃・冷えからの胎児の保護に効果があることも知られています。皇室の御著帯の儀では、生平絹の御帯が用いられます。

御七夜

 出産から7日目には、子供に命名し、命名書を神棚や仏壇に奉献して祝います(御七夜)。古来、生後7日目は、子供の誕生を産土神社に奉告し、地域の人々に新たな共同体の一員として披露する日とされていました。命名は、今日では父母によって行われることが多いものの、嫡子や本家の家長、地域の有力者、神職、僧侶等によって行われる場合、或いは代々決まった名前を踏襲する場合等もあります。一昔前迄は、出産後数日での夭折が少なくなかったため、子供の無事な成長を願う大切な儀礼です。皇室では、降誕後7日目、宮中三殿において命名奉告祭が執り行われます。

初宮参り

 子供が生後初めて神社を参拝し、無事出産を終えたことに感謝すると共に今後の健やかな成長を願う儀礼を「初宮参り」といいます。参拝の際、子供は祖母や産婆に抱かれ、煌びやかな晴れ着を纏います。時期は地域により大きく異なりますが、一般的には男児が生後31日、女児が生後33日とされており、これは、生後30日前後を出産の忌明けとする古来の観念に基づくものと考えられます。新誕の皇子が初めて内裏に参内する鎌倉時代の「五十日祝」「百日祝」に由来するといわれています。皇室では、降誕後50日目に宮中三殿への御初詣が行われます。

御喰初め

 生後100日前後には、子供に食事を与える真似を行い、健やかな成長を祈ります(御喰初め)。自宅を置鳥・置鯛等で飾り、産土神を祀り、親戚縁者を招くもので、「箸揃」「真魚初め」「箸立」とも呼ばれます。食事を与える所作は、長寿に肖るという意味で、同性の最年長者が担当します。乳児の歯が生え始めるのが平均して生後100日前後である為、この日取りに行われる様になりました。食事の献立は地域により異なりますが、一般的には赤飯・吸物・魚・煮物・香物の五品であり、歯の丈夫な発育を願い小石が加えられる場合もあります。皇室では、降誕後100日目に御箸初めが行われます。

初節句

 節句は、陰陽五行説に由来する季節の節目で、人日(1月7日)・上巳(3月3日)・端午(5月5日)・七夕(7月7日)・重陽(9月9日)の五節句は、古来より重要視されています。上古より宮廷行事として祝賀が行われていましたが、江戸時代初期に幕府が式日として定めたことにより、一般にも広く浸透したものです。子供の誕生後初めての節句を初節句といい、男児は菖蒲の節句(端午)に、女児は桃の節句(上巳)に、それぞれ健やかな成長を祈り、特に盛大な祝いを行います。
 桃の節句では、雛祭りと称し、雛人形を飾り、桃花・白酒・菱餅・あられ等を供え、女児の健康を願います。大陸では、3月初めの暦が「巳」の日に禊・祓を行い、庭園の水路に盃を浮かべ詩を作る「曲水宴」と呼ばれる厄除けが行われていました。それが日本にも伝わり、第23代顯宗天皇の御代には宮中で行われる様になりました。雛人形は、自らの罪穢れを託して水に流す祓具の人形(ひとがた)と、女児の「ひひな遊び」に用いる玩具の人形(にんぎょう)が結び付いたものと考えられています。
 菖蒲の節句では、鯉幟武者人形を飾り、粽や柏餅を供え、男児の健康を願います。大陸では、端(初めの意)・午(五と同音)の文字に因み、5月5日に粽やアヒルを食し、疫病避けを祈る風習がありました。日本では、第33代推古天皇の御代に野山で薬草を採集する「薬猟」が行われており、平安時代には宮中での節会儀礼として定着していたことが知られています。中世以降、宮廷では廃れてしまったものの、菖蒲には邪気祓の力があり、音が「尚武」に通じるとして、近世以降に武家社会で広く受け入れられました。鯉幟は、武家が屋敷に家紋入りの幟・馬印・吹流し等を立て武威を称える様子に倣い、滝を遡る鯉の幟を掲げて子供の立身出世を願う風習が江戸の町人の間で流行したことに由来します。

七五三

 七五三は、3歳の子供・5歳の男児・7歳の女児が11月15日に晴れ着姿で社寺を参詣し、無事の成育を祝福すると共に変わらぬ御加護を祈請する儀礼です。日取りが11月15日となったのは、この日が陰陽道における最上の吉日「鬼宿日」であることや、旧暦の11月は秋の収穫を神仏に奉告する月であり、満月に当たる15日に五穀豊穣への感謝と同時に子供への守護の祈願が行われていたこと等に影響された為といわれています。七五三の呼称は明治以降に広まったもので、その起源は古来の髪置の儀袴着の儀帯解の儀に由来します。
 髪置は、3歳になった子供に白髪の鬘を被せ、毛髪が白髪になる迄長生きする様祈ったものです。髪置の式の終了後には、深曾木髪削等と称し、子供の毛髪の先を肩の辺りで削ぎ、髪の成育を祝う風習もありました。袴着は、袴・小袖・扇等を広蓋の上に用意し、5歳の男児を碁盤の上に吉方に向け立たせ、袴を著けるものです。平安時代頃は男児に限定されたものではなく、年齢も一定していませんでしたが、江戸時代にこうした風習が定まりました。帯解は、7歳の女児がこれまで帯の代用に用いていた付紐を取り、衣服の脇を塞ぎ、初めて帯を締める儀式で、帯結び・紐落とし・紐放ち等とも呼ばれます。俗に「七つ前は神の子」という言葉がある様に、古くは7歳迄の生育は困難とされており、7歳は女児にとって厄年にも当たることから、社会の仲間入りを果たす重要な時期とされていました。
 3歳・5歳・7歳の年齢の由来は、奇数を陽の数とする思想に基づいた等諸説ありはっきりとしませんが、医学的には、3歳前後で言葉を話し、5歳前後で自我が確立し、7歳前後で乳歯が永久歯に生え変わる等、それぞれ発育上の転機である反面、病気等健康上様々な危険の伴う時期でもあります。こうした節目の時期に改めて神仏に感謝と祈りを捧げることは、時代を問わず大切なことであると認識されてきたのです。

成人

 子供の成人を祝う儀礼は、古今東西にみられます。現代の日本では、満18歳を成年とすることが民法第四条により定められており、「成人の日」である1月第二月曜日には、全国各地の自治体で成人式が開催され、社寺への成人奉告も行われます。
 歴史的には、飛鳥時代頃より、大陸より成人が冠帽を著ける風習が流入し、これが奈良時代頃に成人儀礼として定着しました(加冠式)。現在でもよく知られる「元服」の語は、首皇子(後の第45代聖武天皇)が14歳の際、「皇太子加元服」(『續日本紀』和銅7年6月21日条)とあるのが初見です。「元」は「頭首」、「服」は「冠」の意で、成人に際し頭髪を結い加冠し、衣服を闕腋袍(脇の下が開いている袍)から縫腋袍(脇の下が縫い合わせてある袍)に改め、成人を社会的に示すのが習わしでした。武家の時代には、冠に代わって烏帽子が用いられる様になり、地位の高い人物が「烏帽子親」として烏帽子を被せ、幼名に代わる烏帽子名(成人名)を命名することも行われました。元服の年齢は一定しませんが、平安期の歴代天皇や皇太子は11-13歳、一般では15歳前後に行われることが多かった様です。
 女性の成年儀礼は「髪上げ」といいました。これは、古代、女児の髪形は放髪で、大人になると髪を結ったことに由来します。その際、笄が必要な為、「初笄」とも呼ばれます。平安時代頃には、成人女子の髪形は垂髪が一般的となったので、裳を着用する「裳着」が「髪上げ」と同時に行われる様になり、男性同様地位のある人物が裳の紐を結ぶ「腰結」を務めました。鎌倉時代以降は着裳の服制が廃れた為、女児の小袖の脇を塞ぐ「袖留」でこれを現すこととなりました。髪上げの年齢は一定せず、12-16歳頃が一般的であったといわれています。

おわりに

 この様に、人生儀礼には、神仏を中心とした家族・地域との繋がりが密接に関わっていることがわかります。少子高齢化・過疎化・核家族化等、目まぐるしい変動を遂げる現代日本社会では、普段の生活の有難さを忘れがちですが、子供の無事の成育には、家族や地域の支え、そして神仏の加護によるものが大きいと、我々日本人は考えてきました。宗教や思想信条の別を問わず、子供の健やかな成長に感謝すると共により良い未来を願うというのは、誰もが抱く自然な感情です。お子様の人生の節目の時期は、家族で氏神神社や菩提寺にお詣りし、神仏や日頃お世話になっている方に感謝を伝えると共に、日本の伝統文化に触れる機会とされては如何でしょうか。

※人生儀礼は地域色が強い上、独特の故実が伝わる社寺も多い為、お住いの場所によって事情が大きく異なる場合があります。詳細については、お近くの神社や寺院へのお問い合わせをお勧め致します。

参考文献

平成二十八年度皇學館大学博物館学芸員課程卒業展示第二班編『節目の祝い 人生儀礼と家族のこころ』皇學館大学佐川記念神道博物館、平成28年

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