正義と正義がぶつかり合う時

いつも通りに仕事を終えて、いつも通りにファーストフード屋で夕食を済ませようとしたある日の夜。八人で会食してもいいような、八人でぼっち飯をするにもピッタリのような高くて長い食卓。

今日はなに読もうかな、とトレイを置いた私はスマホを取り出し――

ドン!

突然、轟きが机を走った。
どっしりと心臓に響く低音だった。

見回すと、隣の席には激怒の目線でカップルらしき二人を睨んでいる客がいた。
台パンした人とカップルが対峙している、一対二の構図だ。

耳を澄ませてみたら、

「なあ、君。絶対それ、誇りに思ってるだろ。なあ。よそ者にこんな仕打ちするのが勝ちだって思ってんだろ。君の母親には会ってみたいもんだ。おっと失礼。母親がいない可能性を考えてなかった。すみませんねぇ。母親がいないのか?」
「違う。いる」

それから煽っていたカップルの片方は、恋人に向かって喋るふりをして、煽りの言葉を延々と連ねた。
聞き捨てならなかったのか、机を叩いた本人はもう一度机を叩いた。

あの三人を無視しようと決めた。
けれど、心が揺らいでいる。

気がつけば、フライドポテト一本すらロクに握れないではないか。
落として初めて、自分の心臓がパクパクしていたことに気づく。
そうか。そんなにあの台パンが怖かったのか。

いや違う!
今はそんなことを気にする暇はない!
一刻も早くあの三人を止めなければ悲劇が起きてしまうのだ。
何と言えばあの饒舌な人を止められるのか。

そうこう思考を巡らせているうちに、台パンの客は、使ったティッシュをカップルのトレイに投げ入れた。
すると、止める隙間もなく――

ピシャ。

饒舌なあの人は自分のコップを握って、台パンの客に飲み物をぶっかけてしまっていた。

さすがに見兼ねて、私は口を出してしまった。

「その行為があなたの誇りですか?」
「あっちが先に机を叩いたんだ。こっちも仕返してやるのが筋だろう」
「そうです。あの人が先に挑発してきたんですよ」

ここで初めて、カップルのもう片方が喋った。
あーまったく言葉を整理する暇が足りない。このままじゃ説得力ゼロに終わってしまう……!

「程度が、全然、違うじゃないですか。ティッシュを投げるのと、飲み物をぶっかけるのとじゃあ、全然違います」
「こっちのトレイにティッシュを投げ入れたのだ。何の違いがある。これは順番があって程度が違っても問題にならないのだ」
「程度と、順番は、関係ありませんでしょう? それが、あなたが、飲み物をぶっかけていい理由には、なりません」

悔しいことに、指摘がしどろもどろになっていただけでなく、返された後は頭がよく回らず言葉に詰まってしまった。
体に触れたかどうかの違いだの、客観的に見てそれは合理的ではないだの、法律はそう言わないだの。そんな諸々な言葉が出てきたのは、後片付けまでもが終わった後のことだった。

恋人に連れられて席を立った際に、饒舌なあの人はこんな言葉を恋人と話すふりをしながら、私に言い聞かせてきた。
「ここは地元の人に贔屓ばっかりする場所だな。正義感終わってるだろここ」

怒り心頭である。
あんな衝動的な行動は誰のためにもならないのに。
カップルの二人。台パンしたあの人。「流れ弾」に遭って濡れてしまった人。清掃を担当した店員さん。友だちと楽しくだべっていた別の客。
誰一人幸せになれない結果だった。

たった一人の正義感のために、たった一人のプライドのために、あんなに多くの人の幸福を犠牲にしてしまった。
それはもはや悪である。

でもそれは、私一人の意見でしかない。

しかも、後味を悪く残し、自分の住んでいる街の印象を悪くし、憎悪を増幅してしまったのは誰でもないこの私である。
すべては、私が言葉を用意できなかったから。無視だったり、考え続けることだったりと、

私が、消極的な選択をしてしまったから。

もっと上手くできていただろうか。

席から離れて、関わらないほうが良かったのだろうか。
弱者と平和へのバイアスがそれを許さない。

では、もっと上手く言い負かせたのか。
おそらく無理だろう。
むしろ激化させる一方だ。

ならばやはり寄り添うしかないだろう。
心情に理解を示しつつ、これ以上固執する価値がないと示唆して、離席へと誘導する。この流れが一番理想的で、かける言葉も普段の自分とそんなに変わらない。
できそうだ。

今度は怖がっていても言葉が出てきそうだ。
備蓄から呼び出すだけである。
平気だ。

とすると、私は私のほうで、相手の心情に寄せることで安定させる経験を積んだ。今回のことで、いろいろと言葉のストックが増えたようにも思う。

ただしこの経験が私個人の中にとどまっていてはあまり意味がない。
私が二度とこのような事件に出会うとは限らないからである。この経験が確実に「次」へと繋いでいくためには、おそらくあなたの捉え方、そして活用の仕方次第だろう。

そもそも、このエピソードを記事にしたという選択は、果たして正解だったのだろうか。
答えは、あなたと一緒に作っていくことになると思う。