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結婚したわたし、恋をはじめます

【わたしはゆるいポリアモリーになりたい】

「病める時も、健やかなる時も、愛し、慈しむと誓いますか?」

結婚して一年過ぎたわたしが、これを呪いの言葉だと思うようになったのは、最近のことだ。愛する、ということについて考えるたびに、わたしはこの社会が定義する"愛し方"に違和感を覚えるようになった。その象徴がこの誓いの言葉だ。病める時も、健やかなる時も。そんな愛なんて存在しない。だって、ひとは完璧じゃないから。

そう思いはじめたのは、夫と過ごすようになってから。わたしは、一日の終わりに、必ず夫と語り合う。なにがあったか、どんな辛いことや楽しいことがあったか。そんなことを取り留めもなく語り合う時間を何よりも大切にしている。でも、彼と話すたびに、わたしは彼に話せないことが増えていった。

例えば、フェミニズムについて、障がい者差別について、貧困について。話せない!となった理由は、夫が理解がないからではない。夫は社会問題について話し合えるひとで、わたしにとって大切な理解者だ。

でも、彼が仕事で疲れて帰ってきた夜、わたしが一日中考えていた社会の問題点を語るのは、多分間違いだ。もちろん、全部話して全部お互いに考えを話し合える!なんて関係は、もしかしたら理想的なのかもしれない。だとしても、わたしは彼のことを想うたび、こういった話は避けよう、と思うようになった。なぜなら、平日の仕事終わりの彼にとって、ふさわしい話題ではないから。

こないだ友人に会った時に「彼に愛を伝える方法は、彼の土俵に降りて、彼のことばで語ることだよ」と言われた。その時、わたしはとてもハッ!としたのだ。わたしは彼に、すべてを求めすぎていた、と。

夫婦関係や恋人関係は、お互いに嘘がないことや、なんでも話せる関係、というのが理想とされているように思う。でも、それは違う。彼のことを想うからこそ、わたしは話すことを取捨選択すべきだし、彼の土俵で、彼の言葉で語るべきだと思いはじめた。

それを愛がない!とか信頼がない!というひともいるだろう。でも、わたしは彼の理解者であるからこそ、彼の気持ちを大事にしたい。これは決して、わたしが卑屈になっているわけでも、諦めているわけでもない。ただ「ありのまま」を互いに愛しつづけるのは無理があるし、それは「ありのまま」の押し付けでしかないのではないだろうか?と考えたのだ。

わたしは、ゆるいポリアモリーになりたい。

ポリアモリーというのはそもそも、一人だけ!ではなく、全員同意の上で複数と恋愛関係を結ぶことだ。私が言うゆるいポリアモリーは、少し違う。

例えばトキメキやセックス、といった性愛的なもの。他にも、社会問題に対しての議論や、親との確執について。そういったことを分かち合いたいひとは、何人いてもいい、と思っている。

ときめく気持ちは抑えられないのが普通だ。でも結婚では我慢するべき!とされている。どこからが浮気か?なんて話もあるけど、それは結局相手を縛っていると思う。多分ときめいた時点で浮気になってしまうから。でもそんなの悲しすぎる。好きなひとができることは美しいことだ。だって、この世に生きる理由がひとつ増えるということだから。

セックスに関してもそうだ。パートナー間のセックスにわたしは比重をかなり置いているけれど、それは夫にとって時には負担になってしまう。そもそも、セックスという行為は悪ではない。他のセックスから始まってしまう恋愛関係により、去られてしまう可能性が高くなるから、お互いに怖いだけなのだ。セックスをコミュニケーションと捉えれば、夫とのセックスをより良いものにするために、他の人とすることは、あっていいことだと思う。

議論もそうで、わたしがアンテナを張っている映画や社会問題、フェミニズムについての話題をすべて夫と共有しようとすると、夫にはかなり負担をかけてしまうことになる。だからこそ、そういった話題をいつでもフラットに。そして、気軽に話し合える関係性の相手がわたしには必要だ。

そんな風に、わたしはたくさんのひとと繋がりたい。この話題はこのひと!あの話題はあのひと!みたいな感じで、まるでいろんな扉を開けるように、好きなひとのもとにお邪魔したいのだ。結婚はすべてを理解するものでなくていい。わたしは夫を愛しているし、夫の側にできるだけいたい。だからこそ、夫を愛しつづけるために、たくさんのひととコミュニケーションが取りたい。そんな切実な思いで綴っている。

病める時は、結婚生活をお休みしたっていい。いつでも一緒!なんでも話す!ができなくていいのだ。罪悪感ではなく、大切なひとを大切にするために、自分の理解者を増やす。シンプルなことだと思う。

愛し方を社会は勝手に定義してくる。キリスト教的価値観の下では「ひとりだけ」が重視されてしまう。

でも、わたしたちは自由でいい。一度きりの人生で、大好きなひとと傷つけあって生きることほど苦しいことはないから。大好きでいるために、わたしは恋をしよう。たくさんのトピックで、たくさんの側面で。いろんなひとと繋がって、いろんなひとを好きになりたい。

死ぬまで夫と添い遂げたい。だから、わたしはゆるいポリアモリーになりたい。かけがえのないパートナーである、夫を何より大切にするために。

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