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金木犀が香る頃、君と別れ

秋晴れの清々しい空、肌寒い風が涙をさらう。金木犀が香りはじめた季節、パートナーは旅立っていった。遠い国へと。



2年の単身赴任へ、海外に旅立つ彼。最後の思い出をつくろう!と前日に羽田空港に泊まることにしたわたしたち。羽田を朝まで散歩しようよ、なんて笑いながら向かう。

家を出ると、なんだかいつもより空が綺麗だ。オレンジ色の西陽が差す街は、美しく光っている。思わず涙ぐんでしまって、「眩しいからだよ」と慌てて言い訳する。手を繋いで歩きながら、ああこの手の温もりももうすぐ消え去ってしまうのだな、と思う。すぐに「やっぱり暑い!」と手を離した。忘れられなくならないように、彼を離したくなくならないように。

夕陽と雲が溶け合って、地平線は燃える。工場地帯を抜けるバスは、どこまでも静かで、どこまでも穏やかだ。隣で眠る彼の顔を見つめる。隣り合わせで座ってくれるひとは、しばらくいなくなる。

くだらないギャグを言っても笑ってもらえなくなること。変な踊りを踊っても一緒に踊ってもらえなくなること。この空の美しさを「見て!」とすぐに言えなくなること。

そんなことを考えていたら、耳に流れ込む羊文学がやさしく世界を肯定するから、涙が一粒こぼれ落ちる。世界は美しい、それは愛するひとがいるから。そんな当たり前に気づいては、手のひらをぎゅっと握りしめる。



羽田に着いてからはあっという間だった。夜じゅうわたしたちは馬鹿みたいに、永遠に歩いた。まるでドラえもんとのび太のお別れみたいに。ウソエイトオーもあればいいのに、なんて思った。

展望デッキにたどり着いた頃にはヘトヘトになっていて。扉を開けると冷たい風がビューッと吹きつけてきた。そこに広がるのはたくさんの光と飛行機たち。色とりどりに光る滑走路、遠くに見えるスカイツリー。三日月は優しく照らして、オリオン座は清廉と光る。なんだか奇跡みたいな光景が、まぶたに焼き付く。笑う彼を見て、ただ生きていてくれたらそれでいい、と素直に星に願った。

彼はたぶん泣いていた。不安で震える足、汗ばむ手。明日から住む異国のことを考えては、不安を押し殺して笑っていた。その姿が切なくて、それでも頼もしい。

いろんなことがあった。まだ結婚して1年ちょっとだけど、彼とわたしにしかわからない歴史はもう教科書級だ。たくさんのことがあった生活、許せないことも悲しいこともある。それでも、幸せだと言える今日をくれた彼にありがとう、と言いたくなった。でも、言ったらお別れみたいな気がするから、今度帰ってきた時にでも。



見送って、羽田を出る。飛行機の轟音を背に、わたしはバスを待つ。彼のいない、がらんとした家に、帰るために。

秋晴れの美しい空は、青く輝いて空気まで澄み切っている。ふと、鼻先をくすぐる香り。懐かしくて、それでいて胸が締め付けられる。なんの香りだったけ、と思っていたら、彼の顔が浮かぶ。

そうか、これは金木犀だ。

金木犀が香る頃、わたしたちは出会ったのだった。学生時代に二人で初めて帰った帰り道、咲いていた花。この香り、だいすきなんだ、とつぶやくわたしに、俺も!という彼。わたしたち気が合うねえなんて、よくある風景。でも、わたしたちには間違いなく"はじまり"だった。

きのこ帝国の「金木犀の夜」を、何度も二人で聴いた。片耳ずつのイヤホンで聴いた歌を、今日は一人で聴く。聞きなじみのあるイントロが流れた瞬間、わたしは微笑んでいる自分に気づく。

ああ、わたしたちは離れていても繋がってるんだ。

彼の愛した香りも曲も、確かにわたしの中に残っているから。袖を通す洋服は、彼が好きだと言ったもの。作る料理は彼のお気に入り。そして、彼が愛するわたしも、確かにここに存在するから。

この空は、どの国にも繋がっている。この空の下で想えば、それはきっと彼に届く。だから、わたしたちはきっと、きっと、大丈夫だよ。



いってらっしゃい。気をつけてね。

その一言に、両手いっぱいの愛を込めて。

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