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「うつ×酒」は絶望のマリアージュ!

前回のおはなし
引きこもりになり大学を休学。お酒は一旦やめられた。

さて、第2話です。


復学して、新しい大学生活を始めたわたしは、積極的にサークルに参加した。休学している間に大好きになった、映画鑑賞のサークル。新しい友人に誘われ参加した、緩いアウトドアサークル。

すぐに恋人もできて、ハッピーな大学生活!と思っていたのだけれど、酒の魔の手は忍び寄る…

お酒を飲む頻度が増えて、いつのまにか毎日毎日飲み会を家で開催するようになった。

その頃の酒は楽しくて、毎晩ボードゲームをしながら酒をちびちび、なんていう理想の飲み方。恋人もお酒がだいすきで、よくカクテルを作ってくれたり二人で飲みに行ったりした。

後輩もできて、一緒に飲んでは、介抱したりされたり。笑えるような話もできたし、危険性は承知してたけれど、まあいっかなんて流していた。

京都に住んでいたわたしは、相変わらず鴨川の土手を夜中に先輩と走ったり、カラオケで中島みゆきのファイト!を歌って号泣したりしていた。(こわい)

飲み屋で出会った知らない人の経営するバーで、一夜店長をやったこともある。(なんで?)

ど素人が振るシェイカー


楽しい日々もすぐに終わりを告げ、時は3年生。

最悪の四字熟語が来る。

そう、「就職活動」だ。


こいつはなかなか強敵で、わたしは病んで病んで、とにかく病みまくった。うつ病という爆弾を抱えたわたしができる仕事なんてあるかよ〜!という感じだし、大学生活と就活というマルチタスクはこなせなかった。

就職活動では、京都から遠く九州まで行ったり、障がい者雇用も検討したり。うつで苦しんでいても、関係なく進み続ける選考。見えるはずない"未来"が、わたしの前に立ち塞がっていた。焦りだけが増してく日々に、人生の全てがかかってる。闇の中を手探りで進むのが辛すぎて、大学のキャリアセンターで号泣したこともあった。

"自分らしさ"を活かしながら、社会に馴染むことは、こんなに難しいのか、と毎日呆然とした。

恋人も友達も忙しく、みんなストレスでギスギスする毎日。そんな日々に耐えられなくなって、孤独にお酒を飲むことが増えていった。

恋人とはさらにうまくいかなくなり、別れの二文字がよぎり続けた1年間。

そうしてどんどん孤独になり、恋人とも別れ、わたしは留年した。

留年したことで、さらに自己肯定感が下がり、自分のことを愛せなくなった。もちろん元々愛せてはいなかったのだけど、もうほんっとに酒に頼るしかなかった。

その頃には酒量がガンガン増え、毎日白ワインのボトル2本を1時間で空けるようになった。今考えると正気の沙汰ではない。こわすぎ。やばすぎ。

それでも足りず、泣きわめいては暴れる始末。実家に強制送還されたものの、実家でも倒れるまで飲むのが日常に。

そしてなんとか大学を卒業し、東京に引っ越すことになる。理由は長らく友人だったひとと結婚することになったから。

いわゆる"理解のある彼くん"登場だけど、

わたしの地獄はまだまだ続く。


彼とともに暮らすことになってからも、わたしはお酒をやめられなかった。最悪な時は朝から晩まで飲んでいて、それも都会にきてから「デリバリー」という手段を手に入れてしまってもうヤバい。酒を運んできてくれるのだから、わたしはガンガン頼んではへべれけになっていた。

わたしは昔から太宰や中原中也が好きで、文豪を愛するものとしては酔わずにどーする!と思っていた節もある。(書けないのに…)

いっぱしに、アブサン電気ブランを飲んでは、カッコつけてタバコを吸う。もう気分は作家だ!(書けないのに…(2回目)

そんなわたしを彼は、なんとか更生させようとしていていたけれど、わたしの酒量は増すばかり。定職に就けず、物書きをしては、それもうまくいかず。何もできない自分に腹が立っては飲み、飲んでしまう自分が嫌すぎて飲み。本当にループしていて、現実感の無い毎日だった。

普通「結婚」するとなったら、やっぱりハッピーで最高な日々!みたいなイメージだったのだけど、まっったくそんなことはなかった。それはもちろん夫が悪いのではなくて、わたしの抱える不安感劣等感が原因だった。

今まで生きてきた四半世紀、苦しいことばかりで何度も命を投げ出そうとしてきた自分の人生が、「結婚」ですべて報われるなんて、そんなこと絶対ないのだ。

結婚はゴールではなく、スタート

という言葉が身に沁みた頃だった。

そんな中でも毎日支えてくれた夫に心から感謝している。

悲しい時ほど酒を飲んでしまうわたしにとって、

「うつ×酒」は絶望のマリアージュ!


気づきながらもやめられない、と気づいた時にはもう多分立派な「アルコール依存症」だったのだろう。

それでもそんな自分を認めたくなくて、震える手でまた開けるストゼロ。炭酸が苦手な私は、量が飲めないので、度数最優先。いかに「効率よく酒を吸収できるか」が毎日のタスクだった。(やべ〜!!!)

そんな私の効率よくアルコール摂取できる商品ベスト3!!!

3位、ストロングゼロ9%ロング缶

2位、ガツーンとサイダーサワー9%ロング缶

そして栄えある1位は…

鬼ころし!!!!


日本酒の鬼ころしについては、味が苦手なのにも関わらず飲んでいて、サワーを飲みまくって味か分からないほど酔ってから投入していた。(ボイラーか?)

そんな毎日から抜け出したくて、どうしようもなくて、毎日罪悪感にまみれていた。

いつもわたしは"根源的な不安"に悩まされていた。いわゆる芥川龍之介でいうところの「将来に対する漠然とした不安」だ。自分が生きてていいのだろうか、という不安。そして将来が見えないことに対する不安。死への恐怖、生への恐怖。歳をとることの不安。

芥川「何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」

そんなものばかりで埋め尽くされた脳内は、考えることを拒否するために"酒"を選択していた。

酒を飲むことで、なぜか許された気持ちになるのは、もはやわたしにとって宗教だった。それ以外わたしを許してくれるものはなかったから。常に自責思考がつきまとい、世の中の常識やニュースに、いちいち動揺してしまう自分が平静を保つためには必要不可だった。

生きづらさを見えないことにしてくれる、マジックが酒にはあった。

そんな私が活路を見出したのは、"書く"ことだった。


つづき。

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