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大谷朝子『がらんどう』読書感想文|「わたしには」選べない?


がらん どう 
(名・形動)
広い所に何もないこと。中にだれもいないこと。
また、そのさま。がらんど。

大辞林 第7版


**


とある理由で恋愛ができない平井と、死んだ犬のフィギュアを作り続ける菅沼。アラフォー女性2人のルームシェア生活を描く本作。
『四十二歳と三十八歳。アイドルの推し活が繋いだふたりのコロナ禍でのルームシェア』って帯に書いてあって、どんなのほほん小説だと思って読んだら、ぜんぜん違った。淡々と描かれる日常と心理描写は、なんだか読んではいけない日記を読んでいるようだった。最後は泣きたくなったよ。


『人生に、遅すぎるなんてことはない』
『いつからだって今がスタートだ!』
みたいな標語を、たまに街で見かける。
でも皆んな、薄々は気づいている。


人生に、遅すぎるということは、ある。


それが身体にまつわることならなおさら。
例えば子を産むこと。
この小説『がらんどう』には終始、主人公 平井の寂しさと焦燥感が漂っている。


「わたしにも」と、「わたしには」が混じり合って、 瞼の裏でうねっていた。

がらんどう p.72

「わたしにも」選べたはずなのに、「わたしには」もう選べないのだろうか。
誰かと愛し合う人生、子を産み育てる人生。
なんでも選べたはずの平井は、もう40代。
気づけばもう選べなくなっている。


本当に一人の人間を産んで育てたいのか、それがどれくらいの重さなのかわかっているとも思えない。(中略)わたしの産みたさは、一体どこから来るのだろう。

がらんどう p.106

高瀬隼子 著『犬のかたちをしているもの』のミナシロの「子どもがほしいのと、子どもがいる人生がほしいのは、同じことだって思う?」というセリフを思い出した。
子を産むこと。いつか選べなくなる時がくるからこそ、子を産む人生を想う。


「生き方なんて人それぞれだ!」みたいな風潮になってきたって、やっぱり「普通はさぁ」みたいな空気はまだあるわけで。
頭では拒絶していても、そんな空気に呑まれてどこかで「わたしにも」を求めちゃう。

「それってさ、本当にあなたが望んでいることなの?」と聞かれたら、もしかすると平井はうまく答えられないかもしれない。
そうやってできた欲求、寂しさの正体は、結局がらんどうで、とても空虚。気づくことは諦めることに近いのかな。ラストの平井の心理を勝手に想像して、勝手に泣けた。


ううん。
でも、そこにちゃんと存在していたよって、読者である私たちは知っている。もしかしたら、「普通」と比べてできた欲求だったかもしれないけれど、あなたがちゃんと望んで、悩んで、挑んだことだと、私たちは知っている。そう平井に言ってあげたい。
それは、がらんどうで空っぽな欲求なんかじゃなくて、中身のしっかり詰まった生身のあなたの願い。


すばる文学賞を受賞している本作。
すばる文学賞は、『犬のかたちをしているもの』『ミシンと金魚』と読んできてるけど、どれも良すぎる。この2作が好きな方は、この本もきっと好き。おすすめです!

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