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「多読」について思うこと

僕は月に大体10冊程度の本を読みます。

読んだ累計数は覚えていないのですが、社会人2年目になってから読み始めたので800冊くらいは読んでるんでしょうか?(計算はザルです)

これだけの本を読んできて、思うことは「多読」ってほんとに良いものなのか?ってことです。色んなところで読書は推奨されているし、僕も読書はオススメしたいと思います。
しかし一方で、本を多く読むことの弊害というのも少なからずあると思います。

今日は、そんなことを書いていこう思います。

読書は思考を奪う

いまは情報がインターネットなどで溢れて、情報過多の時代ですよね。
もはや、情報を知っているだけではあまり意味がありません。

その情報を活用し、自分なりの思考に落とし込んで行動していく必要があります。

それは僕も常々に思っており、本を読む傍らで思うことや考えをノートに書いたりしていました。

ところが書いていると、ふと気づいたんです。
「これどっかの本に書いてあったことばかりだ」、と。
どこかの本、どこかのYouTubeで見たような綺麗なの言葉ばかりがノートに並び、本当にそう言えるのか?なぜ言えるのか?という自分の体験から来るような言葉がひとつもないように思えたのです。

書くことも、思考することも自分の頭で考えて、自分の言葉で表出することが重要です。

しかしながら多くの本の言葉に塗れると、いつの間にか
「自分の言葉ってどんなんだっけ?」
と、思うことが増えてきてしまったのです。

多読をすると、馬鹿になる?

ショーペンハウエル著「読書について」の中に、こんな文言があります。

読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。
ショーペンハウエル著「読書について」より

これの意味は「本を多く読む者は、思考を他人に任せ、自分で考えることを放棄した愚か者である」ということです。

誤解なきように言うと、ショーンパウエルは読書そのもの自体は否定していません。
「読書に思考を任せる者」を否定しているのです。

本来、読書から得られる知識や知見というのは、自分の思考やモノの見方を問い直させてくれるものです。

しかし、それらの知識を利用せずに、その知識・知見をそのまま自分のメガネにしてしまうこと、それを危うんでいるのです。

こうやって書いてみると「当たり前のことじゃんか」と思われると思いますが、多読をしていると、知らぬ間に他人の思考が自分の思考と入れ替わっていることがあるのです。


知識がなければ思考できない?

「いや、本を読んで知識がある方が思考ができるんじゃないの?」
という意見がありそうですが、これは半分正解で、半分間違いだと思っています。

実は、思考そのものや意見を持つことそれ自体は知識がなくてもできます。

例えば、雨が降っている時に外に出る否か、道がわからなくなった時に右に曲がるか左に曲がるか、これらは何の知識もなくとも考えることができますよね?

これはごく簡単な問いでしたが、
「自分にとって読書とは何か?」
「自分はどんな生き方がしたいのか?」
などの問題も知識がなくたって、思考することができます。

だから、思考するのに知識は本来要りません。
知識は思考するためにあらず、思考の幅を広げるためにあるのです。

しかし、本に載っているような知識や他人の意見というのは一見して正しそうなものばかりです。自分の意見が誤りなようにも思えてきます。
なので、自分の本意だけで思考するにはむしろ、他人の意見や知識は邪魔だとも言えます。

そもそも、なんで人は知識を先行したがるのかと言うと「正解したいから」です。正確には「自分の選択が不安だから」です。
要は、失敗したくないのです。他人が書いた知識や言葉に責任を負わせてしまえば、仮に正解しなくとも"自分の”失敗はなくなります。
だから、知識を集めたがるのです。


それでも読書は続く

ここまで書くと、じゃあ読書をやめた方が良いのか?となりますが、そういうわけではありません。
僕の場合、最初は自学のためにはじめた読書ですが、今はもう趣味といってよいレベルに達してきています。読むことが止められない状態です。

だから、これからも多くの著書と触れ合いたいと思っています。

しかしながら、多読をするにあたって気をつけるべきことがあるとすれば、
「思考を先行させる」ことだと思います。

とりあえず本を読む、手当たり次第に本を読む、というよりも
「自分は何を考えているのか?」
「◎◎について自分はどう思うのか?考えるのか?」
思考を先行させることによって「自分で考えた」という布石ができ、読書によって得られる知識や知見は、その自分の思考の上に乗っかっていくだけになります。

学校では知識→思考の順番でしたが(もしくは『思考』はなかったかも)、
これからは思考→知識の順番が大切なのだと思います。

今まで僕は、悩んだらまず最初に本を開いていました。他人に思考を任せるアカン読書です。

これからは先にノートを開き、自分が何に悩んでいるのか、何を考えたいのか、どんな知識を補えばさらに思考の幅が広がるのか。
それらを先行的に考えた上で、本と対等に向き合っていこうと思います。

現代はちょっとスマホをいじれば、すぐに情報にありつける時代です。
しかし情報に操られてはならない、と思います。自分の人生の主は自分であり、あくまで本や知識は人生を豊かにするためのもの。主従関係を誤らないように気をつけていきたい。

そう自戒を込めて、本文を締めさせて頂きます。
ここまで、読んで頂きありがとうございました❗️


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