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大切なものを胸に抱く


もうすぐ2歳になる息子と2人の朝は、なぜかマクドナルドに行くことが多い。私は朝マックを買い、息子にはプチパンケーキを買ってあげる。彼はプチパンケーキが好きで、目の前に出してあげると、口元を両手で隠してニシシシと喜ぶ。「そんな笑い方する人、ほんとにいるんだ」と私は毎回思う。でも、その顔を見るのが好きで、マクドナルドに連れて行っているような気もする。

朝食のあと、図書館へ行き、いったん帰宅するも、息子がまた「そとぉ!そとぉ!」と言い出す。言い出すだけでなく、私の腕まで引っ張ってくる。昨日、あまり外で遊べなかった分を、今日で取り返そうとしているようだった。

仕方なく近くの公園へ向かう。妻が新しく買ってくれた砂場遊びセットも持っていく。彼はその砂場遊びセットがいたく気に入った様子で、プラスチックのスコップで砂場をシャカシャカしながら、楽しそうに遊んでいた。

ところが段々と公園にくる子供たちが多くなるにつれ、砂場に遊びにくる子も多くなった。中には、息子の砂場セットを勝手に借りていく子もいる。もちろんちゃんと親御さんが声をかけてくれて「借りてもいいですか?」と聞いてくれる。そうして互いのおもちゃを共有しながら、皆んなで遊んだ。

だが、息子は自分のおもちゃをとられたように感じたのか、ひとりだけポツンと棒立ちになって、周りの子が自分のおもちゃで遊んでいる様子を寂しそうに見ていた。そして、子どもたちが飽きて置いていった自分の砂場道具をひとつ、またひとつと手に取って、「もう誰にも渡すまい」という覚悟をもって胸に抱きしめていた。


そんな彼の姿を見て、私は米田兄弟(仮名)のことを思い出した。母の友人の子どもたちで、歳が近いのもあって小学生の頃は、よく一緒に遊んでいた。

それはそれで楽しくやっていたのだが、唯一嫌だったのは、彼らが人のものを我が物のように扱うところだった。ジャイアンのように「おまえのものはおれのもの~!」と明言してくれれば、まだ言い返す言葉もあっただろうが、彼らはそんな言葉もなく、まるで当然かのように私のおもちゃやゲームなどをとっていくのだった。私もそれが「普通」なのだと言い聞かせた。友達なのだから。それが当たり前なのだから。

だけど、もっと嫌だったのは、飽きた人のおもちゃをポイっと投げたり、強く床に叩きつけたりすることだった。自分のものを乱雑に扱う、ということは、まあある。だからといって、人に自分のものをそういう風に扱われるのは気分が悪かった。なのに当時の私は、口をぎゅっとつぐんで、見ているしかなかった。なんなら、一緒になって笑っていたかもしれない。

息子が、自分のおもちゃをひとつずつ、大切そうに胸に抱いていく姿をみて、私の胸もきゅっとなる。そうやって、別に声には出さなくても、態度には出なくても、自分の大切なものを一つずつ拾って、ぎゅっと守れるようになってほしい。

そして、心許せる人があらわれたら、その時はその腕をゆっくりと解いてほしい。その人と一緒になって、ニシシシと喜ぶの。小さい頃の、私からのお願い。

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