“擬似”体験でも、心が動けば実際に何かを置いていく
*今日のnoteは、自分の憂さ晴らしnote。とあるゲームについて書いてます。
**
今日は一日、まじで気分があんまり良くなかった。
ずっと陰鬱な気持ちだった。
その原因はわかっていて、あるテレビゲームの第二作目のYouTubeのネタバレ動画を見たからだ。
そのゲームは「ラストオブアス」といって、第1作目は2010年代にプレステーション3で発売されたゲームだった。
『 「ついやってしまう」体験のつくりかた 』という本を読んだ時に、このゲームのことが本に出てきて、興味本位で買ってしまった。
ゲームなんて、かれこれ3〜4年はやってなかったのに。
ラストオブアス は結果的にサイコーのゲームだった。
ゲーム難易度
操作性
ストーリー
どれをとっても最高で、土日に1時間ずつ2ヶ月くらいかけてクリアした。クリアする頃には、主人公のジョエルとエリーのことが大好きになっていた。
このラストオブアスの続編であるPART2は2020年に満を辞して発売され、熱狂を生んだが、同時に酷評の嵐となった。
レビューを見ていると、PART2で1で大好きになった主人公たちにとんでもないことが起こり、そこからはどうしようもなく陰鬱なストーリーが続くということが、なんとなく分かった。
1をプレイしている時から、そうやって2のレビューに目を通していたので、なんもなく内容は知っていたが、YouTubeなどにある実況動画などは避けるようにしていた。どうせPART2も買うだろうと思っていたからだ。
ところが1をクリアすると、レビューで見かけていたPART2のとんでもない展開に胸がざわつくようになった。
「こんなに良いストーリーだったのに、PART2ではこんなことになるの…⁉️」
PART1をクリアしたことで、猛烈にPART2の動画が見たくなった。なぜ、レビューで見かけたような展開になるのかが気になったからだ。そこで、YouTube動画を見てみることにした。
子どももいて、もう長時間ゲームもできない。
もしかしたら、買うこともないのだから、と自分に言い聞かせて、そのYouTube動画を視聴した。
とんでもないゲロ展開だった。
序盤でも既にゲロだったが、ラストも納得できないというか、全く誰も救われないストーリーだった。
1で絆の見えた展開だったのに、なんで…
それを昨晩に見終えて、今日を迎えている。まるで、近い友人が亡くなったかのように心にポッカリと穴が空いていた。
その空いた穴を塞ごうと、ラストオブアス 2にまつわるレビューやnoteを見て回った。
どれもが、★1つで、このゲームを酷評するものが多かった。
ところが、そんな中こんなレビューに出会った
「他の方のレビューを見ていると、どれも酷評が目立つから驚いている。だが、ここまで苦しい、悲しい、悔しい、ムカつく、なんていう感情を呼び起こさせてくれるなんて、すごいゲームじゃない?だって、ゲームだよ?現実には誰も死んでないんだよ?なのに、ここまで賛否両論と人々に感情を生むゲームって傑作じゃない?というかこれ、ゲームというよりは“体験”だよ」
うろ覚えだが、こんな文章だったと思う。
けど、この文章に出会えて少し救われた気がした。
あ、ほんとうだ。
これは、ゲームだった。
なのに、ひとりの人間の一日をこんなに陰鬱にさせるくらい、没頭や感情を擬似体験させてくれたこのゲームはすごい。
ゲームだけじゃない。
小説だって、映画だって、本当に素晴らしい作品というのは見ている者を、物語の中に引きずり込み、あたかもその物語を体験したかのような錯覚を引き起こさせる。
その疑似体験は、“擬似”にも関わらず、私たちの心や感情を確かに動かし、実際に何かを置いていく。
「面白かった」
こんな一言で終わらせず、世界に賛否両論を巻き起こしたラストオブアス 2というゲームは、本当に凄いゲームなのではないか。そう思えた。
だけど、ラストオブアス 2をやる気には、今はなれない。動画を見ているだけで苦しくなったのに、自分でプレイするなんて、今は耐えられそうにない。
けれど、いつかはプレイしてみたい。
ちゃんと彼らの物語を体験し、心に何が置いていかれるのかを経験してみたいと思う。
★参考にした書籍など