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「使える」「使えない」思考に囚われないようにしたい

社会に出ると「仕事」をせざるを得なく、「仕事」では他人との協調が必要になります。
そして「仕事」では、人を「使える」か「使えない」かという軸で判断されがちだと思います。

それは人を道具として見ていることとほぼ同義であり、かつ“自分にとって(使える奴か?)” という枕詞がつくことが殆どです。

僕の働く訪問看護ステーションというところは、一事業所につき6〜8名ほどが在籍しています。

小規模の事業所だからこそ、スタッフの感情の機微が、そのまま事務所内の雰囲気に出てしまいやすい。

とくに当事業所の上司は、その気分や感情の揺れ動きが激しい。
普段はいい人になのですが、仕事が忙しくなり、余裕がなくなると、途端にイライラとしだします。

自分の仕事が忙しくてイライラしている時は、まだ自分の中で押さえ込めるようなのですが、そんな時のスタッフのミスには強くイライラが溢れ出てしまうようです。

ここに勤務するスタッフのA君は、とにかくこの上司との相性が悪く、上司がイライラしている時に限ってミスをしたりします。

そうすると、一気に事務所内の雰囲気が悪くなります。うげーっと、外に出たくなります。

上司は「使える」部下には贔屓しますが、「使えない」と判断した部下のことは目の敵にします。

この点は、この上司の人間性にクエスチョンマークなので良いのですが、今日ショックだったのは、いつの間にか自分も「使える」「使えない」思考に囚われてしまっていたことです。


とにかくAくんは、ほんとにミスをします。
けれど、利用者さんや外部に重大な影響を及ぼさない限り、僕はあまり気にしない方です。

「何ができるか」というのは会社にとってもちろん大事ですが、僕が重要視するのは誠実さや素直さです。

誠実さがあるかないか、素直さあるかないかで、その人の成長度合いは変わってくると思っています

ミスをしたって、失敗したって、それに対して謝罪出来たり、受け入れられたりすることの方がよっぽど大切です(ミスなんて、誰だってするので)。

もし、ミスをして、平謝りしているようなら、僕はミスしたことよりも、素直にミスを認めたり行動を改めたりできない不誠実な部分を指摘すると思います。

けれど、今日は違ったのです。

Aくんは、今日もミスをしました。
また上司の機嫌が悪くなりました。

それで、僕は思ってしまったんです。

「なんでそんなことでミスするん⁉️」と。
「またお前のせいで空気悪なるやん❗️」と。

思った瞬間、うわーって自分で自分に引きました。
その場のムードに加担して、「何ができるか」で人を見てしまったなって。
「使える」か「使えない」かで、人を裁いてしまったなって。

上司のことを軽蔑してたはずなのに、いつの間にか自分こそがその思考に囚われている。
大きな空気に飲まれてしまったようで、情けなくなりました。

「仕事」という性質上、確かに何かしらの能力で貢献することは必要かもしれません。
だけど、それは「Bくんは出来るのに、Aくんには出来ない」などの相対的な評価で決まるものではないと思います。

小さな職場です。
せっかく集まってくれたのなら、
Aくんが輝けること
Bくんが貢献できること
Cくんがプラスにできること
という絶対的なものを活かすべきだと思います。

困ったことに、そういった「その人だけが持つもの」というのは言語化も可視化もされにくいものが多いです(患者さんの話を聞ける、居たら雰囲気が良くなる、先々の計画性がある、など)。

だから、見つけるのはめちゃくちゃ難しい。
それでも、上司にも、ムードにも負けず、その人がキラッと輝く部分を僕は見つけていきたい。

そんで昼休みくらい、くだらない話で皆んなでゲラゲラ笑いたい。
「使える」「使えない」で人を判断すると、その人とは簡単に笑えなくなっちゃうんですよ。

あんまりまとまってないけれど、「使える」「使えない」思考は、人間同士の関係を狭くするなと反省する日になりました。

それでは、また。

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