『蝶々と灰色のやらかい悪魔』 25
「って、ことは、ななこちゃん、その客のこと〝垢舐め〟って呼んでんの?」
デリ嬢の裏事情を知った彼が、あまり驚きに、思わず声を大きくする。
「うん……」
わたしが俯きながら、遠慮がちに頷くと、
「こ? 怖っ……。おれも裏で、なんて言われてるか分かんね〜な……」
と、まるで女子校に身勝手な幻想を抱いていた男子高校生が、初めて女子校の内情を聞かされたときのようにドン引きする。
「いや、マサキさんのことは、なにも言ってませんよ!」
とりあえず、全力で否定してみるが、その言葉すら信じられないのか、「ほんとにぃ〜?」と、必要に疑いの目を向けてくる。
「ほんとですよ!」
キッパリと断言してみるが、最早、女という生き物が、信じられなくなってしまったようで、
「女っていうは怖ぇ〜な。カワイイ顔して、裏じゃ、なに考えてるか分かんないじゃん……」
と、大袈裟に震え上がる。
「いやいやいやいや! わたしじゃないですから! 言ってるの、わたしじゃないですから!」
自分の冤罪を晴らすため、必死で訴えた。
「え? どういうこと?」
「いや、だから、最初は女の子のあいだで、ヘンな客がいるって噂になってて、その話を聞いたスタッフさんが、『え? なんか〝垢舐め〟って妖怪いなかったっけ?』って言い出したのが切っかけで、わたしは無関係です! お店の女の子が、面白がってみんなで呼び始めて、そのときはわたしは指名されたことなかったから、そのあだ名くらいしか知らなかったけど、みんなその客のことを嫌がって、全員がNGにするものだから、もう店に呼べる女の子が居なくなって、たまたま、まだ指名されてなかったわたしが、その客の餌食になっただけで、むしろわたしは被害者ですぅ!」
わたしがもの凄い剣幕で、無罪であることを力説するものだから、それに圧倒されたマサキさんが、「わ、分かったから……」と、今度は宥め始める。
「で、それで、『結婚して』ってせがまれて、返事を出すのが面倒になって、自分もNGをだそうと迷ってるってこと?」
ただ無言で頷き、彼の出方を待つ。
一呼吸置いて、「それは大変だったね……」と労をねぎらってでもくれるのかと思いきや、
「それは、ご愁傷様だったね……」と、わたしに起きた災難を面白がって、半笑いで喪を服す。
「ちょ、ちょっと! 他人事と思ってるでしょ?」
心ない彼の言葉に、カッとなり抗議すると、「いや、そうは思ってないけど……」と一度は否定しつつ、「あ、いや、でも待てよ。他人事っちゃ他人事かぁ……」と、染みじみ考え込む。
「あ! ほら、やっぱり!」
「いや、違くて!」
必死に弁解しようとするが、とっさに出したわたしの右ストレートが、キレイに彼のみぞおちに決まったらしく、「おま、ちょっ……」と、断末魔の声を上げ、そのまま蹲ってしまった。
「ちょ、だ、大丈夫ですか?」
本気で心配して、そう声をかけると、
「うそぴょ〜ん!」
と、死語を使って、戯けてみせる。
本気で心配した自分がバカらしく思え、今度はバッグでも手でもなく、気がつくと足が出ていた。
至近距離でみぞおちに膝蹴りを喰らわそうとするわたしに、
「ちょ、それは反則だろ!」と、血相を変えて、彼が異議を申し立てる。
「そんなの知ったことか!」
と、わたしが浮かれ半分で、悪乗りする。
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