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『翠』 2
予報では夕方からは晴れのはずだったのだが、日本海側で急激に発達した低気圧の影響で、関東一帯の夜の天気が、予報に反して、所々局地的豪雨に見舞われた。その日は月末業務で遅くまで残業していたのだが、ようやく健流が店の棚卸しと発注業務を終え、店の裏口に併設された社員専用駐車場に出ようとすると、すでに二時間も前に退勤したはずの翠が、土砂降りの雨のなか、傘も持たずに通用口の軒下で突っ立ったまま空を見上げていた。
「どうしたんですか?」
声をかけるつもりはなかったが、状況が状況だけに無下に彼女の横をスルーして、一人だけ帰るわけにもいかず、社交辞令ではあったが健流がそれとなく声をかけると、向こうもまさか自分が声をかけられるとは思っていなかったようで、「きゃっ!」と、まるで痴漢にでもあったような声でふり返られ、逆に健流のほうがその声に驚かされる。
「いやいや、べつにぼく、襲ったりしませんって!」
開きかけた傘を持ったまま、健流がお手上げのポーズで訂正する。
「あ、ごめんなさい……」
「傘、忘れたんですか?」
「あ、はい……。実はそうなんですよ……。主人に迎えに来て貰おうと思ったんですけど、どうやら急に残業になっちゃったみたいで……。駅まで走ってもよかったんですけど、さすがにこの雨でしょ?」
バツが悪そうに彼女がそこまで説明すると、「あ、でも、だ、大丈夫です!」と、心配する自分を気遣ってか、自分に対する警戒心からか、そう前置きしつつ、
「なんっていうか、えっと、ほら……、あの人! あ、あの人ってうちの主人のことなんですけど……、あの人も『仕事終わったら迎えに来てくれる』って、言ってくれてるんで……、だから、その……、大丈夫です!」
と、まだこちらが何も言っていないのに、まるで自分の自信のなさを否定するかのように、そこまで早口で捲し立てたあとで、
「たぶん……」
と、頼りなげにつけ加える。
「あ、あれだったら、送りましょうか?」
あまりに不憫に思え、思わず出た言葉がそれだった。
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