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『蝶々と灰色のやらかい悪魔』 13

 結局、一度も猫コーナーのケージに並ぶこともなく、わたしに衝動買された子猫を連れ、妹と待ち合わせしていた、FM福岡のJR博多シティスタジオ前の広場に行くと、先に着いていた妹が、「ちょっとぉ〜! お姉ちゃん、遅いよ! 何しよった、とっ……、て……、え、えぇ? なな、な、何それ?」と、わたしの手元を見るなり、ドン引きする。

 さすが我が妹、幼少期から計画性のない姉と接しているだけあって、そのリアクションだけは、こちらの期待を裏切らない。まあ、無理もない。本来、わたしの手にあるはずもないモノが、抱えられているのだから、当然と言えば、当然のリアクションなのだが。

 ふだん、何もしてあげれていない父のために、妹と約束して、父の日のプレゼントを買いに行こうと、お互い休みを合わせて、オープンしたばかりの『KITTE博多』に、足を運んでみることにしたのだが、ある程度、休みの自由の利くわたしと違い、お役所勤めをしている妹は、なかなか休みがとれず、実際の父の日から、一ヶ月遅れての父の日となってしまった。

 ちなみに、私たちの父も現役で県庁に勤めている地方公務員で、祖父も曾祖父も小学校教員をしていたことから、我が家は(私以外の全員が)、親子三代に渡って公務員という、大正時代から続く、由緒正しい公務員家系なのだが、わたしが突然変異なのか、劣性遺伝なのか、家族のなかで一人だけ(母親は専業主婦してうるので除外)、デリヘル嬢という特殊な仕事に就いており、そのことは、もちろん父親には話していない。というか、言えるはずがない。

 母親と妹には、わたしがこの仕事をはじめたころに、何かの拍子に打ち明けたのだが、妹は案外そういう仕事にも寛容で、すんなりと理解はしてくれたのだが、母親は打ち明けたときには、しばらく絶句していた。

「いや、なんか、買っちゃった……」

「か、か、買っちゃったって……。え? な、何を……?」

 そう恐るおそる尋ねる妹が、そう眉間にシワを寄せながら、ペット用のキャリーケースを覗き込んでくる。

「ね……、ね、猫?」

 拍子抜けしたように、妹がそう呟く。

 無言で頷くと、妹は腑に落ちないようで、

「え? な、なんでまた……?」

 と、今度は真剣に、わたしの顔を覗き込んでくる。

 あまりに真剣に見つめられるものだから、こちらも逆に身構えてしまい、

「え? え、え……。ダ、ダメ?」

 と、思わず声をどもらせながら、聞き返してしまった。

「いや、別に、ダメじゃないけど……」

「け、けど……?」

 意味深な彼女の言い方に、そう相づちを打ちながら、次の言葉を待った。

「いや、お姉ちゃん、むかしさぁ〜」

「え、な、何?」

「いや、むかしさぁ。インコ飼ってて、そのインコ飼っとうことを忘れて、餓死させたことあったよね?」

「え? あったっけ?」

「ほら、それよ! それっ。そんなんで、ちゃんと育てられると?」

「そ、育てられるわよ……。た、たぶん……」

 自信なくそう答え、子猫の入ったキャリーケースを庇うように、両手で抱え込む。

 そんな姉の姿を見て、妹が呆れたように、深いため息をつくと、

「いい。お姉ちゃん……」と、何かを諭すように口火を切る。

 あ、はじまんしゃった。妹の説教タイムが……。

「生き物を飼うって言うことはね……。一つの命を預かるってことなんよ。そもそも、あの事件(インコ餓死事件)を忘れてること自体が論外なんよ。どうせ罪の意識とか感じてないんやろ? いい、お姉ちゃん、すでに一つの命を殺めとーとよ!」

「お、大袈裟な……」

「あ、大袈裟? 大袈裟なんかじゃないわよ。事実、事実よ! いや、ちょっと待って。そういえば、お姉ちゃん。確か、小学校のときに飼育委員しとったよね? あのときウサギ大量死騒動、まさかあれ……」

「いやいやいやいや! ちょ、ちょっと待って!」

 飼育委員をやってたってだけで、犯人にされたら堪らない。わたしは理不尽な言いがかりをつけてくる妹を、全力で制し、「な、なんで、わたしが犯人なんよ! てか、そんとき、わたしが担当してたのは、ウサギ係じゃなくて、ニワトリ係よ!」と、声を荒げて反論した。

 まだ納得がいかないらしく、自分の姉に対して、妹は、尚も疑いも目を向けてくる。なんて妹だ。いや、バイキングの小峠風に言えば、「なんて日だ!」

「ま、まあいいわ。とにかく飼うんだったら、インコの二の前にはならんようにね!」

 そう言って妹が、まるで口喧しい母親のように、わたしの鼻筋を指して念を押す。

 彼女の人差し指を払い除けながら、

「あ〜、もう、はいはい! 分かりました! ちゃんと世話をすればいいっちゃろ!」

 と、妹とのやりとりが面倒になり、逆ギレして、一方的に話を終わらせると、さすがに生まれたときから一緒にいるだけあって、わたしの性格を熟知しているらしく、これ以上言うと本気でケンカになると察したようで、「ま、とにかく、お姉ちゃんが自分で、飼うって決めたんやったら、ちゃんと可愛がってあげないかんよ!」と、念を押しつつ、

「と、ところで……、名前はもう決めとうと?」

 と、上手に話をすり替えてくる。

「な、名前?」

 そう尋ねられ、何も考えていなかったことに気づいた。

「名前ねぇ〜……」

 しばらく考えてみたが、何も浮かばず、

「ん〜……、『タマ』とか?」と、てきとうに答えると、

「あのさ〜、お姉ちゃん、ちゃんと育てる気ないやろ?」

 と、冷たくあしらわれてしまった。

 言っておくが、妹が口うるさいは母親譲りである。むかしからそうなのだが、彼女はご近所でも評判の優等生で、中学のころには生徒会役員まで務めていたことがあり、本人が進学校に進みたいからという理由で、内申点を稼ぐために、望んでしたことなのだが、母親同様、とにかく外面や世間体というものに、異常なまでのこだわりを持っている。それとは真逆の人生を送っているのがわたしで、両親の薦めで、一応進学校に進みはしたものの、やはり勉強に着いていけず、一七歳の高校二年のときに、高校を中退している。

 それからは、ずっとアルバイトを転々としながら、自分のお小遣い程度は稼いでいたのだが、順調に進学校に通い続けている妹と、このまま一つ屋根の下で暮らし続けることに、肩身の狭さを感じはじめ、家を出たい一心で一九歳の終わりに、清水の舞台から飛び降りるつもりで、風俗業界に飛び込んだのだ。

 ただ、だからといって後悔はしてない。最初は実家の居心地の悪さから、逃げ出すために始めたデリヘルという仕事も、今はちゃんと自分なりの夢を持ってやっている。誇りは無いけど、その分、得られるものも大きいのが、この仕事なのだ。


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