『翠』 14
クリーニング店で旦那のYシャツを受けとり、柔軟剤が切れかけていたのを思い出し、ショッピングモール二階のマツモトキヨシに立ち寄った。売場が判らず柔軟剤を探して、日用品コーナーと台所用品コーナーを行ったり来たりしていると、とつぜん、「あの……」と背後に立っていた男から声をかけられた。
よほど商品を探すことに没頭していたのだろう、実際に声をかけられるまで、すぐ後ろに立っていた男の気配にも気づかなかった。思いがけず声をかけられたせいで、こちらがきょとんとしたままふり返ると、「あ、あの……。麻倉さん?」と背後に立つ男が、さらに続けてくる。
「え?」
首を傾げて固まっていると、視線の先に見覚えのある男が立っていた。
「え? あ……、あれ? し、志田さん?」
ふだん職場でスーツ姿しか目にしていなかったせいで、背後に立つ男が志田さんであることに、気づくのに少し時間がかかってしまい、つい挙動不審な反応になってしまう。
「あー、やっぱり!」
興奮した彼が嬉しそうに声を上ずらせ、「なんか似てる人が居るな〜って、思ってたんですけど、自信がなくて実際に声をかけるか迷ったんですよ〜」と、そこまで一息で言い切ってから、「いや〜、でも、間違ってなくて良かった〜。もし人違いだったら、恥ずかしすぎて、その場で浮かび上がってしまいそうでしたから……」と、ほっと胸を撫で下ろす。
苦笑いしながら、一通り彼の話を訊いてから、
「そういえば、何してるんですか? こんなところで?」と、それとなく彼に訊いた。
「あー、最近、ちょっとDIYにハマってて、ちょっとそこのホームセンターに用があって……」
そう言いながら、彼が手に持っていたレジ袋を持ち上げて見せ、ホームセンターの店舗のある方角を一瞥する。
「あれ、でも、志田さんの家って、舞浜のほうじゃなかったでしたっけ?」
「ああ、いや、この近くに住んでる友人宅に寄った帰りに、たまたまここのホームセンターに寄っただけなので、これといって、とくに深い意味は無いんですけどね……」
自分の照れくささを紛らわそうとでもしているのか、こちらが訊いていないことまで、彼が説明しようとしてくる。
「ああ、そうだったんですね……」
彼の話に適当に相づちを打ってから、「あ、私は旦那のYシャツのクリーニングを……」と、それとなく手に持っていた紙袋を相手に見せる。
「あ〜、そうだったんですね……」
そこまで言って、話すことがなくなり、急にバツが悪くなったのか、
「いや~、それにしても、まさかこんなところで、麻倉さんと逢えるとは思ってもなかったです……」と、唐突に彼が話をすり替えてくる。
「あ、そうだ! 今日って、まだ時間あります?」
「え? あ、まあ……、べつに大丈夫っちゃ大丈夫ですけど……」
とくべつこれといって用事あるわけでもなかったし、家事といっても夕方までに帰って、夕食の支度をすればいいだけだったので、あまり深く考えずそう返事をしてから、
「何かあるんですか?」と、逆に聞き返してみた。
「あ、いや、とくにヘンな意味はないんですけど、立ち話もなんですし、もしよかったらそこのマックでコーヒーでも一杯どうかな? と思って……」と、遠慮がちに彼が訊き、「あ、でも、べつに無理にってわけじゃないんで、ダメだったらいいです……」と、すぐに自分の言葉を訂正しようとする。
正直、昨日の旦那との一件があったのもあるのかもしれない。とにかく、あのだだっ広い家に一人で居たくなかったし、何よりこのまま帰って、あの空間で一人で過ごすのかと思うと、そのことを永遠と頭の中で、ループしてしまいそうな気がしてしかたなかった。誰かに話を聴いてほしいとまでは言わないが、誰でもいいから話して気を紛らわしたかった。
「あ、いや、大丈夫ですよ。全然……」
その返事に彼が安堵したような表情を浮かべ、空かさずわたしが、
「〝奢りなら〟」とつけ足す。
冗談のつもりだったのだが、彼にはそれが伝わらなかったようで、その言葉を真に受け、「いや、もちろんですよ!」と、マジになって返してくる。
「いや、本気にしないでくださいよ! 冗談じゃないですか! 奢りじゃなくてもいいですよ……」
そう言って戯けて見せると、動揺した彼が、
「まさか遊んでます? ぼくで?」と怒ったような表情をする。
ふだん職場では見せない彼の砕けた一面に、思わず、可愛いと思ってしまう自分がいた。心なしかその場に漂っていた緊張感みたいなものが、少しだけ解れたような気がした。
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