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『蝶々と灰色のやらかい悪魔』 32

 響子さんには意外な一面がある。

 もちろんみんなは知らないだろうし、そんなことに興味もないはずだから、この店でそれを知っているのは、たぶんわたしだけなんと思う。

 響子さんのカバンの持ち手の部分には、注意して見なくては気づかないほどの、小さなクマのぬいぐるみが、さり気なくつけられており、その手のマニアの間で人気に火がつき始めたテディベアで、夢の国の住人が作った(という設定で)、一体一体のぬいぐるみが作ったキャラクターに、ちょっと似ているのが特徴だ。

「それ、ユニベアシティの『ノッテ』ですよね?」

 勇気を振り絞り、そう響子さんに声をかけてみると、意外にも少女のような顔つきに変わり、「え? コレ? 知ってるの?」と、目を輝かせる。

「知ってるというか、わたしも好きなので……」

「え? そーなんだ?」

 思いのほか気さくな反応に、身構えていたこちらが、狐につままれたような顔になる。

「これ、カワイイよね……。えっと……、ななこちゃんだっけ?」

 一応、わたしの名前の認識はあるらしく、響子さんがそう確かめる。

「え? あ、はい。な、ななこです……」

 ぎこちなくそう答え、ちゃんとした自己紹介もしたこともなかったので、再確認のつもりで、「きょ、響子さん? ですよね?」と、訊くと、

「あ、そうか。ごめん。そういえば、まだちゃんと話したことなかったっけ? あ、うん。私、響子。よろしくね!」

 と、いつもの近寄りがたい印象とは違い、気さくに答えてくれる。

「なんか、ななこちゃんの写メ日記、つい面白いくて、更新される度に欠かさずに読んでたから、私だけあなたのこと、ずいぶん前から、勝手によく知ってる気になってたわ……」

「あ、そ、そうだったんですか? ありがとうございます! ま、まさか、響子さんがわたしの写メ日記を、ずっと読んでくれてたとは……」

 驚きのあまり、そう口にすると、「実はね、私、ななこちゃんの隠れファンなの……」と、彼女が面白がって、わたしに耳打ちしてくる。

 赤面で済んだものが、背中にじとっとヘンな汗が滲んできた。

「ちょっ……、え? 嘘っ!」

 ひとりテンパっているわたしを見て、

「ハハハッ! 冗談よ! 冗談! ななこちゃん、本気にするんだもん」と、目に涙まで浮かべ、響子さんが大笑いする。

「ちょっと、揶揄わないでくださいよ!」

「ご、ごめんごめん。ななこちゃんが、あまりにカワイイから、つい揶揄いたくなっちゃって……」

 褒めているのか、単に揶揄っているだけなのか、澄ました顔で平然と冗談を言ってくる響子さんの表情からは何も読みとれない。

「まぁ、でも……、写メ日記を欠かさずチェックしてるのは、冗談じゃなく、ほんとだけどね……」

 白けた顔で疑いの目を向けるわたしを見るなり、

「いや、ほんとだって! ななこちゃんの写メ日記更新されるの、楽しみに待ってるんだから! ほら!」

 と、身の潔白を晴らそうと、自分の携帯を翳し、すでに開かれた写メ日記のページを見せてくる。

「ね?」

 なぜか得意げな響子さんのどや顔に、急に復讐心が込み上げ、さっきの報復のつもりで、

「あの、失礼だったら、ごめんなさい……」と、不意に切り出してみる。

「え? 何?」

「響子さんって、案外、とっつきやすい人だったんですね……」

 とつぜんの後輩からのカウンターに、

「ちょっと、それ、どういう意味よ!」と、逆上した響子さんが、嬉しそうに目くじらを立てる。


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