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『蝶々と灰色のやらかい悪魔』 9

 その夜、待機所の大型テレビで情報番組を見ていると、例の事件が報道されていた。

 大河内さんの自宅は、天神からほど近い場所にある高級住宅街のタワーマンションで、事務所のある中州川端からも、車で一五分もかからないような場所にある。テレビの画面に映し出された映像には、リアルにわたしの知る大河内さんの顔写真が公開されており、紛れもなく何度も通った大河内さんの自宅マンションが、報道ヘリからの空撮映像で映し出されていた。

 通り沿いにあるマンションは、地元でも一目置かれた存在で、福岡市内に住んでいる人であれば、大概の人は、映像を見た瞬間に、「あ! あそこのマンションだ!」となるようなタワーマンションで、福岡の低い街並みから、頭一つ抜きん出ているような建物である。

 事件自体は大したことのない(というと語弊があるが)、会社でのストレスに耐えられなくなった、大手ゼネコンの役員が、マンションの浴室で手首を切って自殺したというだけの、ストレス社会で生活していれば、どこにでもあるような、ありきたりな事件なのだが、どうやら報道の内容によると、大河内さんがある福岡の大規模な公共事業と関わっており、不正な金を地元の議員に渡していたのではないか、という疑いがかけられているというものであった。

 そしてその容疑をかけられている張本人はというと、「わたしはそんな金は受けとっていない!」「そんな事実無根の容疑をかけられて、被害者はこっちだぞ!」と報道カメラの前で、息巻くばかりで、事件の真相は掴めていないようだった。

 自分の客が自殺するということ自体気味が悪いのに、こんな事件に関わっていたなんて……。店長から口止めされているからというわけではないが、まさか、「わたしの客、自殺したらしいよ」なんて、口が裂けても他の娘には言えない。

 共有できない気味の悪さを抱えながら、わたしが素知らぬ顔でリビングのソファーで、いつものように客待ちしていると、

「わ〜、綺麗!」

「ほら! すごーい!」

「ほんと! 大きいねぇ〜!」

 と、他の嬢が待機所のベランダに出て騒いでいた。個々のスマホで空を撮影したり、その写真をSNSでつぶやいたり、写メ日記に投稿したり忙しそうにしているようだけど、ふだんあまり自分から、その輪のなかに入っていくほうではないので、何をそんなにはしゃいでいるのかと気になりはしたが(というか興味津々)、自分から輪のなかに入っていく勇気はなく、ディ○ニーの『ダンボ』ばりに耳を大きくして、聞き耳を立てていると、どうやら月の話らしかった。

 あ、と言っても女性特有の『お月様』の話ではなく、いつもより月が大きく見える『スーパームーン』のことだ。今回は六八年ぶりの『ウルトラスーパームーン』というものらしく、いつものふつうのスーパームーンよりも、さらに大きく月が見えるらしい。写メ日記マイスターとしての、わたしの血が騒ぐイベントではないか。

 さっそく自分もベランダに出て、月を写メりたいのだが、ベランダを占領している彼女たちが邪魔で、その場所に辿り着けない。わたしは一向に回ってくる気配のないベランダの順番待ちをしながら、無意味にスマホを弄るふりをして、持ち前のコミュ障を発揮していた。彼女たちが、さっきから窓を開け放しではしゃいでいるせいで、せっかく冷されたエアコンの冷気が、開け放たれた窓の隙間から外へと逃げていく。それと入れ替わりに入り込んできた湿気を帯びた外気が、じっとりと肌にまとわりついてきて、下着の内側にじんわりと汗が滲む。ただ、「窓を閉めてください」と言えばいいだけなのだが、コミュ障のわたしにとって、その一言がなかなか言い出せない。

 スマホの画面に釘付けになり、じっと暑さに耐える姿は、さしずめ、本をスマホに持ち替えた現代版『二宮金次郎』と言ったところか? いや、そもそも、何かを学ぼうという姿勢が端からないのだから、こんな勤勉さに欠けた『二宮金次郎』も、あまりありがたいものではないが……。

「あの……、暑いんだけど。はしゃぐなら、そこ閉めてからはしゃいでくんない?」

 わたしが言いたくても言えないことを、いとも簡単にその人は言ってのけた。

 振り返ると、出勤してきたばかりらしい響子さんが立っており、無意識に、「カッコイイ……」と、声が溢れそうになる。とっさに口元を押さえ、その出かかった言葉を呑み込んだ。

 同じコミュ障でもこうも違うものか、言いたいことをはっきりと言えるコミュ障もいれば、わたしみたいに言いたいことも言えずに、ただ、モジモジとしているだけのコミュ障もいる。どうせ同じコミュ障なら、前者でありたい。

 渋々、窓を閉めた女の子たちが、ブツブツと文句を言いながら、部屋のなかへと入ってくる。

 眼光鋭く彼女たちを睨みつけた響子さんが、「なに? 言いたいことがあるなら、はっきり言えば!」と、物怖じせずに突っかかる。

『孤高の一匹オオカミ』

 わたしのなかで勝手に、今、そう彼女のことが命名された。

 女性ながら、そのあまりの男らしさに、思わず見惚れていると、その視線に気づいた響子さんが、「何?」とでも言いたげに、わたしをチラ見する。

 無言で首をふり、慌ててスマホの画面に視線を戻すと、唾でも吐き捨てるような舌打ちをして、響子さんが隣の部屋へと去っていく。『孤高の一匹オオカミ』は、無害な相手にも容赦がないらしい。女の世界が恐ろしいのは、デリ嬢の世界も例外ではない。

 さっきまで我が物顔で騒いでた女の子たちも、やはり孤高の一匹オオカミには逆らえないのか、反論する余地もなく一撃され、心なしか、しおらしくなったように見えなくもない。というか意気消沈?

 軌を一にして、手持ちぶさたを隠すように、またバツの悪さを誤魔化するように、無意味にスマホを弄り出す娘もいれば、ふだん手にもとらないくせに、思い出したようにマガジンラックからファッション誌を手にとり、凍り付いた場の空気を少しでも和まそうと、大して興味もない服を差して、「これ! 可愛くない?」と、必要以上にハイテンションに振る舞う娘もおり、その姿が、どこか痛々しい。

 これといって尿意があるわけではなかったが、なぜかわたしまで居心地が悪くなり、その場を離れ、携帯を片手にトイレに立った。

 せっかく空いたベランダで、話題の『ウルトラスーパームーン』とやらを撮影したかったのだが、このタイミングでベランダに出る勇気など、わたしにはない。わざわざ寝ている虎を起こすような真似は、誰でもしたくないものだ。

 トイレの個室に籠もり、スリープモードになっていた携帯を開くと、このデリで唯一(店長以外で)、わたしと連絡先を交換しているねねちゃんから、LINEが届いており、さっそく開いてみると、〈おしり前マン、むずかしすぎぃ〜www〉と、さっきのプチ修羅場のことなど知る由もない、彼女らしい呑気なメッセージが書き込まれていた。

 わたしが、〈実は、わたしも、まだクリアしたことないの~(笑)〉と、すぐに返信すると、

 既読がつくなり、〈ウケる〜(笑)〉と、即答で返事が届く。

 彼女と話していると、どういうわけか二、三歳しか年齢が離れていないにも関わらず、ジェネレーションギャップのようなものを感じる瞬間がある。年齢のわりに、単にわたしが堅物なだけなのか? それとも彼女が稚拙すぎるのか? 同じゆとり世代を過ごしているはずなのに、その二つのあいだには、大きな隔たりがあるように思えてならない。

 LINEの返信しようと、こちらが次のメッセージを打ち込んでいると、

〈きょうは休みだったから、久々に美容室行って来ましたぁ~www〉

 と、矢継ぎ早にねねちゃんからのメッセージが届き、せっかく途中まで打ち込んだメッセージを消して、改めて〈写メ送ってよ〉と書き直した。

 すでにこちらの意図は伝わっていたようで、こちらが送信するよりも先に、ねねちゃんから画像が送られてくる。

 腰まであった髪はバッサリと切られ、デビュー当時の『広末涼子』を彷彿とさせるような、耳が隠れるくらいのショートヘアになっていた。童顔の顔がさらに幼く見え、低身長、ロリ顔、不思議ちゃんの三拍子に『ショートヘア』は、さすがに反則である。

 ボーイッシュで快活なイメージのショートヘアの女の子が、実はベッドの上ではエッチな一面を見せるだなんて、世の男性諸君が放っておくはずがない。

〈ねねちゃんは、ショート似合うからいいなぁ~〉と、改めて画面に打ち込み送信した。

〈え~、ななこ先輩も絶対似合いますってぇ~!〉

 社交辞令とは思いながらも、後輩の言うことを真に受けて、

〈じゃあ、わたしもショートにしてみようかな?〉と、送ると、

〈そうしましょっ! 私たち、お揃ですねぇ~〉と、女子力の高い返事が返ってくる。

 とくに髪を切る予定ではなかったが、話の流れで、わたしまで髪を切ることになり、引くに引けなくなりLINE上で、

〈よし、じゃあ、わたしも切るよ!〉と、ノリとその場の勢いで決意表明をすると、

〈ラジャー!〉

 というメッセージと一緒に、リラックマが敬礼をする動くLINEスタンプが彼女から送られてくる。

 ふだんからおしり前マンのLINEスタンプを愛用しているような、シュールなわたしの趣味とは違い、彼女の趣味はなんと女の子らしいことか。

 ねねちゃんとのLINEを終え、トイレの個室を出た。しばらくトイレに籠もっていたせいか、いつの間にかリビングから女の子たちの姿が消えており、自分だけが灯りの点けっぱなしになった、人影のない部屋にとり残されていた。

 壁かけの時計に目をやると、すでに夜の九時を回っており、ちょうど会社帰りの殿方がデリヘルを利用し始める時間帯だった。

 ふと気になり、響子さんの姿を探して寝室を覗いてみると、ちょうど人の形に膨らんだシーツのなかで、響子さんが寝息を立てて眠っていた。

 せっかく気持ち良さそうに眠っている響子さんを起こすのも悪いと思い、なるべく音を立てないように踵を返し、寝室のドアを閉めた。

 誰も居なくなったリビングを横切ってベランダに出ると、ずっとエアコンの効いた室内で過ごしていたせいか、まるでぬるま湯にでも浸かっているようだった。肌にまとわりついてくる不快感に堪えながら、わたしはベランダの柵に手をかけ、念願だった夜空の月を見上げた。

 実際に目の当たりにするその月は、前評判通りの大きさで、思わず声が溢れるほどだった。わたしはその夜空に浮ぶいつもより一回り大きくなった月を、ポケットからとり出したスマホで撮影すると、その写メを携帯のアルバムに保存した。

 画面に切りとられた『ウルトラスーパームーン』が、まるで周囲の暗がりを染めるように、ぼんやりとその姿を滲ませていた。

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